3学年だより「自分」
先日の池江璃香子さんのレースとその後のインタビューを聞いて目頭を押さえた人は、日本中にたくさんいたことだろう。
たんに病気を治しただけではなく、一水泳選手として復活した姿。
泳ぐことができたというレベルではない。病気になる前と比べものにならないくらい細い肢体でありながら、インカレ出場の標準記録を突破するタイムで、見ている者を驚愕させた。
彼女の闘病生活がどれほど辛いものであったかを軽々に語ることはできないが、池江さん自身がSNSで発信してきた言葉から垣間見ることができる。
「急性リンパ性白血病」と診断されたのは、2019年の2月。治療に入ってから、こんなふうにつぶやいていた。
~「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです。三日間以上ご飯も食べれてない日が続いてます。でも負けたくない」(2019年3月)~
そんな病床からも、3月11日には、東日本大震災で亡くなった人を悼む言葉をつづる。延期された東京オリンピックへ出場することはあきらめない気持ちも伝わる。そして治療が順調にすすんでいることが報告される。
~ 「普段、体調が良い時は、今までやらなかったぬり絵やパズルをやったり、映画を観たり、泳いでた時は出来なかったことを楽しむ、という生活を送っています。正直、心が折れそうな時もあります。ですが、たくさんの言葉にはげまされ、最後まで頑張りたい、負けたくないという気持ちがこみ上がってきます」(2019年5月)~
6月には、一時退院したことや、自身の姿の写真も投稿した。家族で食事をしたり、外の空気をすって「もう病院にはもどりたくない」と正直に語り、人生のなかの数ヶ月をがんばろうと決意をあらたにする。
12月に退院すると、東京五輪ではなく、その次を目標にすると語った。
~「抗がん剤治療で吐き気が強い時や倦怠感もありましたが、そんな時はとにかく「大丈夫、大丈夫、いつか終わる」と自分を励まし続けました。オリンピックについてですが、2024年のパリ五輪出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたいと思います」(2019年12月)~
年が明けて2月、トレーニングを再開する。病気が判明してから一年が経っていた。考えてみれば、一年でそこまでになるという現代医学の力にも驚く。テレビ朝日「報道ステーション」で、インタビューに答える池江さんの姿を見ることもできた。
~「ここにいることが奇跡。生きていることが奇跡です」(2020年2月)~
池江さんを支えているものは何だろう。オリンピックに出たい、メダルを取りたいという思いはもちろんあるだろうが、それだけではない何か、その程度ではない何かがある。
かりにオリンピックがなくても、彼女は泳ぐ。泳がないと自分でなくなってしまうのだ。
先日の池江璃香子さんのレースとその後のインタビューを聞いて目頭を押さえた人は、日本中にたくさんいたことだろう。
たんに病気を治しただけではなく、一水泳選手として復活した姿。
泳ぐことができたというレベルではない。病気になる前と比べものにならないくらい細い肢体でありながら、インカレ出場の標準記録を突破するタイムで、見ている者を驚愕させた。
彼女の闘病生活がどれほど辛いものであったかを軽々に語ることはできないが、池江さん自身がSNSで発信してきた言葉から垣間見ることができる。
「急性リンパ性白血病」と診断されたのは、2019年の2月。治療に入ってから、こんなふうにつぶやいていた。
~「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです。三日間以上ご飯も食べれてない日が続いてます。でも負けたくない」(2019年3月)~
そんな病床からも、3月11日には、東日本大震災で亡くなった人を悼む言葉をつづる。延期された東京オリンピックへ出場することはあきらめない気持ちも伝わる。そして治療が順調にすすんでいることが報告される。
~ 「普段、体調が良い時は、今までやらなかったぬり絵やパズルをやったり、映画を観たり、泳いでた時は出来なかったことを楽しむ、という生活を送っています。正直、心が折れそうな時もあります。ですが、たくさんの言葉にはげまされ、最後まで頑張りたい、負けたくないという気持ちがこみ上がってきます」(2019年5月)~
6月には、一時退院したことや、自身の姿の写真も投稿した。家族で食事をしたり、外の空気をすって「もう病院にはもどりたくない」と正直に語り、人生のなかの数ヶ月をがんばろうと決意をあらたにする。
12月に退院すると、東京五輪ではなく、その次を目標にすると語った。
~「抗がん剤治療で吐き気が強い時や倦怠感もありましたが、そんな時はとにかく「大丈夫、大丈夫、いつか終わる」と自分を励まし続けました。オリンピックについてですが、2024年のパリ五輪出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたいと思います」(2019年12月)~
年が明けて2月、トレーニングを再開する。病気が判明してから一年が経っていた。考えてみれば、一年でそこまでになるという現代医学の力にも驚く。テレビ朝日「報道ステーション」で、インタビューに答える池江さんの姿を見ることもできた。
~「ここにいることが奇跡。生きていることが奇跡です」(2020年2月)~
池江さんを支えているものは何だろう。オリンピックに出たい、メダルを取りたいという思いはもちろんあるだろうが、それだけではない何か、その程度ではない何かがある。
かりにオリンピックがなくても、彼女は泳ぐ。泳がないと自分でなくなってしまうのだ。