水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

考える力

2020年09月14日 | 学年だよりなど
 3学年だより「考える力」


 今のみなさんには、圧倒的な知識の注入が、まず大事だ。
 圧倒的に注入し続けていても、「知識×考える力」の比率が100:0になっているわけではない。
 脳の中では、注入以外の作業が勝手に行われている。
 より効果的に注入しようとして、自覚的に頭を働かせながら取り組む人もいる。
 そうなると、十分に知識を注入しながら、同時に「考える力」も育ってゆく。
 小学校高学年ぐらいの年齢の脳は、「機械的暗記」が得意だ。
 電車の駅とか、円周率とか、歌の歌詞とか、あの頃は何でもすぐに憶えられた。
 高校生になると、やみくもに何でも憶える力よりも、情報を整理しながら、その価値判断をしながらインプットできる脳になってくる。
 小さな頃から塾に通い、難関中学、高校と勉強している人と、部活もやりながら勉強している人とでは、18歳時点での勉強量、つまり積み上げてきた総勉強量には圧倒的な差が生じる。
 しかし、高校卒業時の学力を比べたときに、そこまでの差はなくなっている場合も多い。
 もちろん「大学に受かる学力」という限定された能力での話だが、逆転している場合もある。
 それは、脳の使い方にその原因を求められるのではないか。小さい頃から「お受験で」勉強し続けてきた生徒さんは、そのままの勢いで圧倒的に知識を注入し続ける。
 高校デビュー組は、時間がないため、最初からある程度工夫しながらインプットしている――。
 完全な仮説にすぎないが、そうでも考えないと追いつける理由が見当たらない。
 新共通テスト制度が生まれたとき、「今の大学入試は知識偏重だからダメだ」という意見の方がいた。「詰め込み」だけで対応できない問題を日頃解いている立場からすると、「そんなことはないのだが……」と思うしかなかった。
 そういう意見の方は、ご自身がそんな勉強しか知らないということなのかもしれない。
 「考える」といっても、自分の頭でまったく新しいものを生み出そうとする作業ではない。
 まずは、他人の思考をなぞっていくことからスタートする。


~ 考える力も料理と同じで、最初は考える力の高い人の真似から入り、試行錯誤を繰り返しながら自分のものにしていく。具体的には考える力の高い人が書いた本を読むことです。それは歴史的に長く読み継がれてきた古典に他なりません。たとえばアリストテレスやデカルト、アダム・スミス。最初はそうした極めて優秀な人たちの本をていねいに読み込んで、その人の思考のパターンや発想の型を真似ていくしかないと思います。
 本を読む意味は単なる知識の獲得にとどまらず、先人の思考のパターンや発想の型を学ぶことにあります。料理のレシピとまったく一緒です。先人の思考のプロセスの追体験からはじめるのです。 (出口治明『還暦からの底力』講談社現代新書) ~


 同じ受験勉強をしていても、そのことだけを学ぶ人と、そのことに潜む原理を理解できる人とに分かれるということなのだろう。
コメント
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