水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

星をつける女

2017年04月14日 | おすすめの本・CD

 

 飲食店や娯楽施設の調査し、星を付けて評価することを生業とする人がいるという。逢ったことはないけど。
 そういう方々の中にも格はあって、中でも「ミシュラン」の調査員だと格上扱いとかあるのだろうか。
 でも、それで食べていけるのかな。それで生活が成り立つほどの収入を得る人がそんなにいるとは思えないが、業界の事情はこの小説でよくわかる。
 牧村紗英は、会社をやめて独立し、「格付け人」として各種のリサーチを行っている。
 たとえば投資家に依頼され、あるレストランを覆面調査する。雑誌やテレビで紹介するためではなく、投資の対象として可能性はあるかをシビアに判断しなければならないというような仕事だ。
 メディアでも話題の有名シェフのいる高給フレンチ店、教祖的存在の店主がいる大行列のラーメン店、高級志向の宿にイメチェンして経営を立て直しつつある白浜温泉の旅館。
 三つのお話は、どれもモデルがありそうで、描かれる内実も生々しく、関わる人たちの人間模様や、取り巻く業界事情がうかびあがってきて、読み始めるとやめられなかった。
 良質の「お仕事小説」だ。
 「私は冷徹に星をつけるだけの女」と言いながら、つい深入りしてしまい、二番手のシェフの悩みをきいたり、ラーメン店の中間管理職的な女性の体を心配したり、旅館の家族関係に口をつっこんでしまったりする。
 そんな紗英をときにたき付け、ときにセーブし、あわよくば口説き落とそうとする大学の先輩にあたる真山の存在も味わい深い。


 ~ 欧米人には〝仕事は人生の大切な一部ではあるものの、すべてではない″という意識が根底にある。ところが日本では、長時間労働を嫌う人間は〝やる気がない″とか〝プロ意識がない″とか言われてしまう。〝仕事のためなら多少の無理や自己犠牲は当たり前″という特異な意識が根づいてしまっている。
「だから残業や休日出勤をしないで効率的に働こうとする人間は、知らず知らずのうちに社内の風当たりが強くなる。そうした日本人ならではの意識を巧みに利用するのがブラック企業と言われる会社だっていうんだな」
 実際、見せられた新聞記事によれば、その手口は狡猾かつ陰湿だという。たとえば「自己成長のためにも業務外の時間を利用して勉強しろ」と社員に告げ、業務命令ではなく自発的学習だとしてサービス残業をさせる。「自発的な休日出勤には、とやかく言わんぞ」と暗に休日出勤を促し、会社は指示していないからとサービス休日出勤にしてしまう。「やり方は自由だが、きみならできる、期待してるぞ」といった言い回しで無理な仕事を無報酬でやらせる。
 さらにこうした状況が進むと、いよいよ脅し文句が登場する。「これができないようだと評価にかかわるぞ」と査定をチラつかせたり、「みんなが遅くまで頑張ってるのに、どういうつもだ」とチーム意識を煽ったりして過重労働を押しつける。それでいて「残業の多いやつは生産性が低いと見なさざるを得ないな」と逆の話を持ちだし、サービス残業やサービス休日出勤に切り替えさせる。
 挙げ句の果てに社員やバイトが辞めたいと申し出ても「退職は承認事項だ。後任が決まって引き継ぎが終わるまで承認できん」と退職させない。本当は、退職は社員からの届出事項だというのに。 ~


 こういう現場の状況は、飲食店関係に限らない。
 「会社は」と一般化しても同じことが言えるし、学校の中にだって見られる。
 日本人が、世の中をどう形成しているか、その根本の部分に関わってくることだからだろう。


 ~ 「結局、ブラックの手法には二種類あるってことだよな。職を失いたくない弱みを利用してこき使う方法と、〝やる気″と〝自己犠牲の精神″を利用してこき使う方法。で、七海さんの場合は、後者の手法にしてやられているわけで、おれとしては前者よりも悪質だと思うんだよな。休みを返上して自腹を切ってまで会社に奉仕する自分に酔ってる姿ってのは、傍から見ると哀しいもんだよ」
 真山は長い息をついて腕を組んだ。悪意の経営者ほど法に抵触しないやり口を知り尽くしてる。バイト歴が長い真山は、それがわかっているだけに居たたまれなくなるという。
 紗英は杏奈から聞いた〝ブラック部活″という言葉を思い出していた。結局、会社でも学校でも、同じ日本人気質が働いている限り何も変わらないということなのだろう。 (原宏一『星をつける女』KADOKAWA) ~


 現代文の時間に、丸山真男「 「である」ことと「する」こと 」を読み始めたが、その補助教材にもなりうる作品だ。もちろんエンタメ作品としての出来も比類ない。もう次の直木賞をあげてしまおう。
 物語がはじまってすぐ、登場人物のキャラが立ちまくる。映画化してくれないかな。
 シングルマザーの紗英さんは尾野真千子さん、ラーメン店の女性営業に木村文乃さん、紗英の仕事を手伝うようになる役者くずれの大学の先輩には、う~ん、誰かな。佐々木蔵之介さんか安田顕さんか。尾野真千子さんの娘さんは慶應中学校に入学した芦田愛菜さんで。この設定ならば、「川の底からこんにちは」の石井裕也監督にぜひおねがいしたい。

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カラフル

2017年04月13日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「カラフル」


 「努力」が逆効果になっている姿を、授業中も見かける。
 一見真面目に授業を受けているように見え、本人も「がんばっている」気持ちで取り組んでいるのだろう。そのこと自体に罪はないのだが、18歳という貴重な時間の使い方として考えると、本当にもったいない。
 先月放送された「アメトーク」の「勉強大好き芸人」を見た人はいるだろうか。
 ロザン宇治原さんと、パンサー尾形さんが、世界史の授業を30分受けて、ノートの取り方がどう違うのかを見るという企画があった。授業のあとに予定されているテストで、宇治原氏が圧勝するであろうことは予想できたが、勉強ができる人と苦手な人とでは、ここまで違うのかと驚いた。
 そして正直に言えば、われわれが、川東で日常的に目にしている違いだった。
 端的に言うなら、授業を咀嚼しながら受けているのか、黒板をただ写しているのかの違いだ。
 実際にどう違うのか、「アメトーク」のホームページ(http://www.tv-asahi.co.jp/ametalk/news/0033/)に現物があがっているので、見てみるといい。
 尾形さんのノートも、ぱっと見は悪くない。むしろカラフルで見やすいと感じる人もいるだろう。 しかし授業中の尾形さんは、先生の話を理解しようとするよりも、板書をいかにきれいに写すかに労力を割いていた。結果的に、先生の話している内容においついていなかった。
 宇治原さんは、まずは話を聞き、ある程度の分量をパーツとして理解しながら、まとめている。
 結果として、カラフルでもなく、整然ともしていないが、因果関係が整理されていた。
 同時に、板書以外のメモがあちこちに書かれてもいる。


 ~ ロザンの宇治原さんは、授業を聞くことに専念し、色ペンを使わず黒一色のノートで、先生が口頭で言ったことはナナメにメモして区別する、というノートの取り方をしていらっしゃいました。黒板に書いていないけど、先生が途中で言ったことは、※印をつけて、わざとナナメに書いて区別する、という工夫は初めて知りましたが、これいいですね!
 このメモを書かないと意味が分からないところがあるし、黒板に書いたことだけ、そのまま丸写ししても、後から見返して意味が分からないことがある。
 黒板をうつすのを最優先にしがちだけれど、黒板は主役ではなく、授業の補助でしかない。
 黒板がすべてなら、黒板=教科書、ということになるけど、教科書は本として別にあるわけで、教科書を丸写ししても、時間の効率が悪い。
 黒板は、先生の伝えたいことの要点や補足でしかないと思います。 (木村美紀メルマガ「木村美紀が明かす家庭教育の秘策」) ~


 自分のノートを開いてみよう。板書をそのまま写しただけの状態だとしたらピンチだ。
 色を使ってきれいにすることが目標になっているなら、努力の方向性を間違えている。
 板書だけでなく、先生の話したちょっとした一言がメモしてあったり、自分がふと思いついたことがメモしてあったりしたら、頭を使えていると判断していい。
 一応言っておくが、ノートをとろうとしないのは問題外だ。

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恋と巡礼

2017年04月12日 | おすすめの本・CD

 

 ~ 家のゴミ箱で見つけてしまった妊娠検査薬のことを誰にも相談できず、気持ちが落ち着かない「すず」。そんな時、地蔵堂の軒下で眠っている千佳をを見つけて!? 夏の日差しが降り注ぐ鎌倉を舞台に、家族の「絆」を丁寧に描く、シリーズ第8巻。 ~


 『海街diary』最新巻は、4人姉妹が人生の転機を迎えつつあり、4人家族の形態が大きく変わる前夜を描いていて、これまで以上に切なさがつまっている。
 三女千佳は、つきあっているスポーツ店店長との間に子を授かった。でも、彼女はそれを店長に言えない。
 エベレスト登頂チームの一員として、その準備に入ろうとしている彼に負担をかけたくないとの思いからだった。
 四女すずが、千佳の妊娠に気づくが、姉たちにはまだ言わないでほしいと口止めされる。
 その千佳が軽い熱中症で病院に運び込まれた。
 かけつけた姉たちが事実を知る。「あたしがついていながら … 」と号泣するすずを、あんたは悪くない悪いのチカだと次女の佳乃がなじる。
 「もうやめて! チカちゃんのこと怒んないで! チカちゃんだって、ほんとは言いたかったんだよ、だけど … 」。
 泣き崩れるすずを見ながら、サチ姉がチカに語る。

「 … わかったでしょ。これがあんたのしたこと。
 そんなつもりなくっても、あんたはすずを傷つけたの
 噓をつくって重荷を負わせたのよ
 浜田さんにもよ
 あんたはあの人の登山家としての誇りを傷つけるところだった
  … あんたの気持ち、わからなくもないわ
 好きな相手のこと優先して 先回りして考える 
 それが相手のためにもなるはずだって
 相手に事情があればなおさらね
 でもね、それはやっぱり違うと思う
 佳乃の言うとおり 
 彼の仕事と子供のことは全く別なものよ
 そんな大切なこと
 言ってもらえないほうがきっと あの人は傷つくわ」

「お姉ちゃん … 」

「ちゃんと話なさい 
 あの人がヒマラヤに行く前に」


 噓をつくとはどういうことか
 相手のことを本当に思いやるとはどういうことか
 気を遣うことと信頼することとはどう違うか

 道徳からもっとも遠い人たちがつくる道徳の教科書を読ませるより、
 『海街diary』を読ませることが方が、よほどいい教材になる。

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感謝

2017年04月11日 | 日々のあれこれ

 

 コンビニで朝ご飯を買って、そのまましばらく浅田真央さんの映像を見ていた。
 さまざまな大会での演技が映しだされる。同時に同じ頃の自分がどんな境遇で見ていたかむ思いうかぶ。
 この演技は、修学旅行中に夜一人で見てて感動したなあとか。
 卓越した技術と芸術的な美しさとが、これほど見事に同居していた選手は、いなかったのではないだろうか。
 吹奏楽でも、技術的にはとんでもなく上手なことはよくわかるけど、音楽としてはそれほど胸を打たないという演奏もあれば、下手なんだけどなぜか感動するという演奏もある。
 サウンドと表現が、真央ちゃんほどの境地に達している演奏に出会うことは、なかなかない。
 高橋大輔さんと同じで、三回転とか一つもとばなくても、そのすべりを見てたい、むしろただ滑っててほしいと思う選手だった。ていうか、そんなにとぶ必要あるのか、あの競技は。回る以前にもっときれいに滑ってよといいたくなる選手もいる。
 学校に着いてパソコンをひらく。
 コーチの佐藤夫妻の「私たちにとって、あれだけ素晴らしいスケーターが一緒にいてくれたのは幸せだった。あれだけ華やかな選手はいない」とコメントしてるのを読み、お二方にも感謝の念がわいた。
 自分たちのもとにやってきた浅田真央選手の天分がどれほどのものであるか、佐藤夫妻だからこそ、恐ろしいほどそれを感じ取ったにちがいない。相当な覚悟がないとできなかったお仕事だと思う。
 どうみてもオレより頭いいなあと瞬間に気づく生徒さんに出会うことは多々あるが、彼らを曲がりなりにも指導せねばならぬと思うと、さすがに勉強を怠るわけにはいかない。だいたい、人にものを教えるという行為自体が恐れ多いことだ。
 昨夜のニュース速報で知ったときは、ああ、そうなのかと思っただけだが、今朝車の中で号泣してしまったのは、一スケート選手の枠に収まらない物語を彼女が紡ぎ出し、日本中の人々に届けていた存在だったからだろう。
 結果的に、彼女はその類い希な才能を、自分のためではなく人のために使ってくれたのだ。感謝しかない。

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大合格(2)

2017年04月10日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「大合格(2)」


 人生における成功とは何か。
 最後の大会でインターハイ出場を決めること、目標の大学に見事合格すること、素敵な彼女とリア充の日々を過ごすこと、就活を勝ち抜き誰もがうらやむような企業に就職すること、プロジェクトリーダーに抜擢されて成果をあげ一気に出世すること … 。
 Jリーガーになって活躍しプレミアリーグから声がかかる、バンドでメジャーデビューし武道館ワンマンをSOLD OUTする、起業した会社が年商10億を越えヒルズに居をかまえる、希ちゃんと結婚する … 。「成功」の具体例は、こういうイメージだろうか。
 それが叶うならば、どれも人生におけるすばらしい一場面だ。
 では、成功したら、どうなるのか。
 目標を達成した、夢が叶ったと悦びはするだろう。で、どうする?
 満足したからといって、その余韻に浸りながら、この世から旅立っていくわけにもいかない。
 実際に成功した人はどうしているのかをイメージしてみるといい。
 ほとんどの成功者は、そこをゴールとは考えない。
 自分はまだまだだ、成功なんてほど遠いと思っているくらいの人が、むしろ多い。
 一般人から見れば大成功と思われるような結果を手にしていても、そこで満足するような人ではないからこそ、その場所に行けたのだ。
 もっと単純な例にしてみよう。インターハイの100メートルで高校新記録を出して優勝したら、その選手は練習しなくなるだろうか。模試で全国一番とったら、もう勉強はしないだろうか。
 おそらく他の誰よりもさらにトレーニングを積んだり、勉強の質をあげようとし続けるにちがいない。そういう人だから、その結果を手にできたのだ。
 「成功を成功と考えない人は成功できる」というパラドックスがそこにある。
 だとしたら、別に成功を求めなくてもいいではないか。
 成功者は、何が楽しいのか。おそらく、結果そのものよりも、そこにいたるまでに自分が積み上げてきたことの自信、工夫を重ね努力してきた中身の濃い時間、それをなしえた自分が一回り大きくなった実感といったものに、充実感を覚えるのではないだろうか。


 ~ 夢だったお笑い芸人になって、テレビで活躍する今になっても、いろんなジレンマや悩みに直面することがあるなあって。
 たとえば、「もっと笑いをとるにはどうしたらいい~」「憧れのあのタレントさんみたいに活躍できるようにはどうしたらいい~」とかね。
「こうなりたい!」「何かを手に入れたい!」
 って気持ちって、人生のステージは変わっても、常に変わらずに心の中に湧いてくるものなんだよね。  (中田敦彦『大合格』KADOKAWA ~

 

 成功の反対語は、実は失敗ではなく、成長だ。

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4月8日

2017年04月08日 | 日々のあれこれ

 

 4月8日。2、3年生の始業式があり、そのあと新クラス発表があった。
 1学年に移った担任の先生の代わりにホームルームにいき、配りものをして、じゃ移動しよう! と声をかける。
 一年生のようにシーンとしてるわけでもなく、共学校のようにきゃーきゃーいうのでもなく(推測)、しかし少しの緊張と高揚感をはらむ喧噪のなかに身を置いていると、自分のクラスがあるっていいなあと少しうらやましくなった。
 一年生はクラス写真を撮っていた。1年だけ早く授業をスタートし、一段落してから行う企画だが、例年とちがって、今年はまさに満開の桜の下で撮れていた。
 上から見ると、グランドの新しい緑と桜のコントラストが、それは美しい。学校周辺が舗装もされていなかった入社当初とは隔世の感がある。
 午後、和国さんの定演にいく部員を駅までおくり、自分も出かけて「三つのジャポニズム」を聞いて巨大な戦力を羨み、いやうちだってもっとやれるはずだ頑張ろうと決意し、夕方は保護者会役員さんの懇親会に出かけた。
 卒業されたあとも、ぜひ演奏会や文化祭に遊びにきてほしいとの思いで、心をこめて「ありがとう」を歌わせていただいた。お気に入りのBm7♭5のコードを押さえ損ねたのが悔やまれる。
 ありがとうございました!

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大合格

2017年04月08日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「大合格」


 進級おめでとう! 残された高校生活を、貪欲に意義深いものにしていこう!!
 3年の授業では、センター試験形式の演習の時間が増える。
 問題を解く、答え合わせをする、合っていたかどうかに一喜一憂する。
 まだまだ実力が足りないと反省し、自分でも問題を解き、答え合わせをしていく。
 こうして、たくさんの過去問を解いているとき、「自分は努力している!」と考えがちだ。
 しかしそれは、結果をもたらさない「空しい努力」に終わる場合も多い。
 何らかの物事に取り組み、思わしくない結果になったとする。
 まったく同じやり方で、前回よりも頑張ってもう一度やってみる。
 この行為は一般的には「努力」と称される。
 二回目はよい結果がでることもある。理に適った方法で行われていて、足りないのはメンタルや集中力であった場合だ。
 二回目もうまくいかないことも、当然ある。むしろ、その方が多いかもしれない。
 うまくいかなかった原因をさぐり、修正されていないからだ。
 修正しないまま、同じやり方を繰り返している場合、一見努力しているように見えるのだが、実は身になっていないどころか、悪いやり方の強化につながることになる。
 センター試験の現代文などはその典型で、「努力」することによって、だめな読み方がどんどん身についていく。
 へんな投げ方や蹴り方、へんな書き方、吹き方を、練習でより強化してしまう無意味さを考えると、イメージしやすいのではないだろうか。
 「努力」以上に必要なのは「工夫」だ。


 ~ 受験にしろ恋愛にしろ、目標に到達するには、「戦略」が大事だ。同時に、自分の意志で「選択」する、という覚悟も大事。
 高い目標を掲げて、そのために必要な戦略を練り、自分で選び、ひたすら努力する――これこそが、あらゆる悩みを解決するための唯一無二のロジックであり、社会人に求められる、つまり、これからの長い人生にこそ、求められることなんだ。
 目先の「合格」はもちろん、大事。
 でも、人生は、「合格」だけがゴールじゃないよね。
 学校にしろ、進路にしろ、就職にしろ、恋人や結婚相手にしろ、自分で考えて、決めて、納得することこそが、幸せな人生に欠かせないことなんだ。
 常に大きな目標に向かって進んでいく。その姿勢こそが、まさに「大合格」なんだよ。 (中田敦彦『大合格』KADOKAWA) ~


 「やみくもに」やるのではなく、「戦略」が必要だ。

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漢文不要論

2017年04月07日 | 教育に関すること

 

 百田尚樹先生が、「学校では漢文教えなくていい」と雑誌「SAPIO」で主張してらした。
 漢文などを勉強しても使う機会はないし、なにより中国文化を有り難がることになる、それはおかしいという、氏ならではの論拠にもとづいている。
 ただし、その主張を書き表している日本語の文章は、漢文が和文と混じり合うことによってできあがったものだ。
 漢文を土台にする言葉を用いないとなると、百田先生は『影法師』も『永遠のゼロ』も書けなかった。
 ていうか、今の学校で教えているレベルの漢文が、若者の中国文化信仰を生むことはないし。
 教えても教えなくても三国志オタクは生まれるし、教えても教えなくても中国に対する見方がそれによって変わることはない。
 日常生活で使わないことを理由にするなら、数学など中学レベルでさえ必要なくなってしまう。
 あ、だからやらない子が増えているのか。
 我が国の歴史や文化に対する敬意を養おうと国が考えるなら、むしろ漢文をもっとちゃんと教えるべきなのだ。 大学の先生だって、そう思っている人はけっこういるにちがいない。
 なのに、漢文を入試に出すと受験生減るから、やめようかという発想でどんどん少なくなり、別に百田先生が心配するまでもなく、漢文を勉強する人は減る一方だ。
 ふだん使うかどうかで判断するなら、この日本で普通に生活していて、英語を必要とする人はいったいどれくらいいるだろう。中国語や韓国語の方がその気になればよほど使えるではないか。東南アジアの言葉を話せる日本人が多くなれば、どれだけ国際的に貢献できるか。たとえば小学校の先生がベトナム語を話せたりしたら。
 グローバル化を目指すと称する大学が、「本学は多くの講義を英語で行っている」とうたっていることが多い。
 時間もったいなくね? お互い不自由になるだけだ。大学までいって、つまんない中身を英語でいいかえてみて、何の意味があるのだろう。
 せっかく母国語で高等な概念をやりとりできる国に生まれたのだから、その恩恵はうけながら、別のチャンネルで語学を学べばいい。

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初勝利

2017年04月06日 | 日々のあれこれ

 

 1年生はすでに授業が始まっているが、上級生はまだ。
 最難関校をめざす者対象のミニ講習では、先日の東大の二次試験をとりあげた。
 その予習はさすがに時間がかかるのと、新学期準備や会議で練習には顔を出せなかった。
 忙しいなあと思いながらふと見ると、すぐそばの校長、教頭が顔をよせあっている。
 どうした何か重要な案件がもちあがっているのかと様子をうかがっていると、「140㎞出てるな」との声が聞こえる。ネットをチェックしてた。そうか、パリーグはデーゲームだった。
 漢文の書き下しを打ち続けるふりをして、切り替えて見たら、二番手で登板しているではないか。
 ランナーを出したが見事に1イニングを抑えきった。
 そして、高梨雄平くん、みごとに初勝利。
 開幕一軍いけるかな、投げさせてもらえるかなと、心配する声も職員室にはあったが、こんなに早く結果を出すなんて。なんてやつだ。

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はるかぜちゃん

2017年04月05日 | 教育に関すること

 

  道徳の教科書が、文科省の検定の結果、パン屋さんが和菓子屋さんに書き換えられるというニュースがあった。

 … って書き始めてみたが、これじゃ、知らない人には伝わらないヘタクソ過ぎる文章だな。
 ていうか主語述語がおかしい。こんなおれが、今年本格的な小論文始動に入れるのだろうか。
 もう少しくわしく言うと、新設される道徳科の教科書検定の話だ。

 今までと違って、一教科として独立した「道徳」の時間ができる。
 その教科書は、国語や数学のように文科省による検定を受けなければならない。
 東京書籍の教科書が「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度を学ぶ」内容が不足しているとの指摘を受けた。 東京書籍側は、「にちようびのさんぽみち」という作品で、主人公が散歩して見かける町の「パン屋」さんを、「和菓子屋」さんに書き換えたという。
 別の作品では「アスレチックの公園」を「和楽器店」に書き換えた箇所もあるという。
 もちろん文科省は、直接こう書き換えよと指示したわけではない。
 文科省に抗議の電話をする人もいたらしいが、そんな指示はしてないと担当者は当然答える。
 まさに出版社の忖度によるのだが、この稚拙な書き換えによって、検定に通ることになるのだろう。
 
 朝日新聞で、池上彰さんがこの件を取り上げ、おかしいと書いてらした。
 自分も、なんていうか、腹が立つというか、あぜんとした。
 こんなヤツらが作った教科書で道徳を学ばせられるというシュールさに、教員のはしくれとして驚かずにいられようか。
 文科省は、天下りはもうしょうがないから、道徳には口を出すなと内田樹先生もつぶやいてらしたが、本当にそのとおりだ。
 このやりとり自体がまさの道徳の教材にはなりうるが。
 
 こんなときは「はるかぜちゃん」だ。
 メディアで目にするどんな言説より、はるかぜちゃんのツイッターは、勉強になる。
 物事の本質をついてくる。それでいて、おれの文章のように品悪くならない。
 年下の人で、ここまで心から尊敬する存在はいない。


 ~ パンが日本の教育にふさわしくないとかおかしなことを言う人は、もう日本でパンをたべないでもらいたい ~

 ~ 愛国心ってそういうことじゃない
 この国で働いている人達すべてに敬意を払う気持ちを持つことが国を愛するということ
 毎日この日本で日本人がたべるおいしいパンを焼いているパン屋さんと和菓子屋さんになんの違いがあるのか教えてもらいたい
 おまえのパンねーから ~

 ~ あと個人的にはこうやって ど素人が部分的に文章をいじくるのも
 元の文章を書いた方に対して とてもとても失礼な行為だと思います
 書く側は文字の持つ雰囲気やバランスまで考えて作品を仕上げているのに ~

 ~ パン屋と和菓子屋じゃぁ 文字の持つ「匂い」がぜんぜんちがう
 どうしても差し替えたいなら、せめて雰囲気合わせなよって感じです  プンスコ ~

 ~ わかんない人にはわかんないんだろうけど
 別にいーじゃんって思うんだろうけど
 パン屋がいやなら新しく「和菓子屋さんが出てくる物語」を書いてもらえばいい
 そしたら気づくはず。
 ぜんぜんストーリーも登場人物の名前も文章のリズムも句読点の位置も、何もかもきっと違ってくるはずだから。 ~

 ~ パン屋でも和菓子屋でも作品は変わらないなんておもうなら
 いっぺんハイジの白いパンを肉まんに置きかえてみたらいいんだわ ~


 あまたの評論家のような、文科省や教科書会社の政治的かけひきへの批判にとどまらない。
 言葉で表現する仕事に真摯に向かい合っているからこそ発せられる言葉愛だ。
 彼女の域に達することはできない。できないが、努力しなくていいことにはならない。

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