私の「心の多重過程モデル」でシステム2(自我・思考機能)を考えたい。
心を構成するサブシステムのうち、システム0は恒常性維持、システム1はより能動的な環境適応(行動)を担い、そして現生人類で発達したシステム2は、内的処理過程が外界刺激処理から自律できるようになった。
システム2はこの自律主体としての自我も誕生させたが、自我は自らが居るそのシステム2の完全な主人ではない。
すなわち、自我は”心”の主人でないことはもちろん、”意識”(システム2)の主人でもない。
脳には覚醒時の何もしていない時に作動する、デフォルトモードネットワーク(DMN)があることが発見された。
覚醒下で意識活動※が休止している時に作動するネットワークであるため、この名がついている。
※:覚醒は”意識がある”状態、意識活動は意識が何ものかに向かっている状態。
これはシステム1が作動する外界の処理や身体活動時ではないため、システム1に対応する反応ではない。
認知症患者はこの活動が低下し、逆に幻覚などの症状を示す統合失調症患者はこの活動が亢進するという。
ここでは自我活動(明晰な意識活動)が休止状態でも作動する意識活動を問題にする(これがDMNに対応するかは不明)。
この現象をきちんと概念化して、ここでは「システム2の非自我活動」、より一般的に「自我非制御の意識活動」(Non Ego-controled Conscious Activity:NECA)と命名する。
このNECAの典型は夢見(睡眠中の非病理的幻覚)であるが、多くの人は(フロイトなどの影響で)夢見は意識(システム2)ではなく無意識(システム1?)の作用と思っていて賛同を得がたいので、ここでは、入眠時幻覚に近い、覚醒と睡眠の境界状態での意識経験(開眼夢、半睡、夢うつつ)を挙げる(→夢:表象と自我の分離現象)。
すなわち、覚醒時の自我活動が低下している状態で短時間に経験する、自我の制御外の意識現象(情報精細度の高い視聴覚表象経験)である。
これは居眠り時に時々発生する現象で、能動的なイメージ表象活動ではない、自我にとっては受動(非制御)的で、また知覚に近い高精細なイメージ(視聴覚)経験である。
私はこれらを幾度も経験しているので、自我非制御の思考・表象活動を確信しているのだが、未経験者には納得しがたいだろう。
でもこれほど強い非自我性でないが、瞑想にトライしたことある人なら、思考やイメージ表象が自我の制御下に収まらない状態(マインドワンダリング、モンキーマインド)は経験したはず。
すなわち瞑想に入ろうとして、思考やイメージ表象を自我が抑えようとしても、思考やイメージ表象がその制御に逆らって湧き出してくるのだ。
システム2の本体ともいえる思考・表象機能は、自我の活動から独立できるというより、本来は独立しており、むしろその制御を試みる自我機能が後から誕生したといえる(後からやってきて主人づらしている)。
こう考えると、「意識(自我)は3000年前に発生した」という説とも整合できる(→紹介記事、ただし、記事ではシステム2における意識と自我とを区別していない)。
たいていの人は自我が思考を制御していると思い込んでいるが、実は思考が自我を支配している、というのが仏教や認知療法の見解である。