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聖書の読み方 大貫 隆

観光旅行でローマに行くことになり、少しでもキリスト教の精神世界について知識を得ておこうと考え、ローマまでの飛行機の中で本書を読むことにした。本書は、聖書に書かれた物語のダイジェスト、聖書に書かれた内容の宗教的な解釈書ではなく、ひたすら聖書を読むときの心構えと前提となる知識が書かれている。本書の約半分は、実際に聖書を読んでどこで躓いたのかというアンケートを元に書かれた「聖書が読みにくいのは何故か」というテーマについての解説で占められている。私自身、聖書を旧約から新約まで通読したことはないが、通読しようとすると大きく違和感を感じるであろうことは容易に想像ができる。新約のなかでも、キリストが人間的な感情を顕にする場面があるし、何を言っているのか良く判らない場面があったりする。そうした点を「キリスト教の世界に暮らしていないからしょうがない」と諦めていた部分も、本書を読むと、それだけでは済まされないものがあることがよく判る。聖書に書かれていることの「無謬性」が主張されながら、キリストの最後の言葉が福音書によって異なっていることも、前から引っかかっていたところだ。それについては、それぞれの福音書は事実を記録したものではなく、それぞれの書き手が「体験したこと」が書かれているという解釈でなんとなく納得していた部分があった。また、聖書を物語として読んではいけないことは知っていたが、それでは「どのように読めば良いのか」ということについては深く考えた事がなかった。本書を読むと、聖書と対峙するとき「どのように読めばよいのか」を考えながら読むことの重要性が強く伝わってくる。当初の目的であった「ローマ観光」の準備にはならなかったが、それ以上に深く考えさせられた本だった。(「聖書の読み方」大貫隆、岩波新書)
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