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スポーツウォッシィング 西村章

題名の「スポーツウォッシィング」という言葉、初めて耳にする言葉だったが、「スポーツの爽やかで健康的なイメージを利用して社会に都合の悪いものを覆い隠し洗い流してしまう行為」という意味で、特に欧米でここ数年よく使われるようになった言葉とのこと。行為の主体は主にその時の政治体制で、古くはヒトラーが1936年のベルリンオリンピックを国威発揚、ユダヤ政策隠匿のために利用したなどがそれにあたる。その後も、東西冷戦下の1980年モスクワオリンピック、1984年ロサンゼルスオリンピック、近年のサッカーワールドカップなど、政治に翻弄されるスポーツ大会が相次ぎ、それを問題視する言葉として「スポーツウォッシィング」という言葉が一般的になりつつあるとのこと。本書では、何故日本ではまだこの言葉が一般的でないのか、日本のメディアは何故この言葉を全く使わないのか、2021年東京オリンピックの汚職問題などの不祥事とスポーツウォッシィングの関係、スポーツ選手のドーピングとこの言葉の関係、スポーツ選手に名誉とお金を引き換えに政治や人権に関する発言を封じる圧力の深層など、この言葉を巡る諸問題について色々なことを教えてくれる。この本を読むまでは、自分も「スポーツと政治は切り離したほうが良い」と単純に考えていたが、それが本当の論点でないことに気付かされた。様々な要素が絡み合ったこの問題、すぐに解決することは困難だが、オリンピックで国歌斉奏や国旗掲揚をやめてみるなど、本書に示された小さな改革が実施されれば少しずつ変化していくかもしれないと感じた。(「スポーツウォッシィング」 西村章、集英社新書)
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