書評、その他
Future Watch 書評、その他
卍の殺人 今邑彩
著者のデビュー作とのこと。著者自身があとがきで、発表当時はあまり書評家からの評判がよくなかったと書いているが、読者の興味を持続させる文章の確かさなどは、新人離れしていると思う。当時の本格ミステリブームを意識している割には、トリックが見破られやすいという難点はあるかもしれないが、次の作品を期待させるには十分な面白さだった。(「卍の殺人」 今邑彩、中公文庫)
ディス・イズ・ザ・デイ 津村記久子
帯に「著者の最高傑作」と書かれている。とにかく「サッカーのサポーター群像」という題材と「最終節のドラマ」という設定が面白く、それに著者独特の文章の面白さと語り手の内面表現の面白さが融合して、「著者の最高傑作」というのも誇張ではないような気がする。それぞれの贔屓のチームがどのようなシチュエーションで最終節を迎えたかで微妙に揺れるサポーター心理、それぞれのサポーターがサポーターであることの様々な理由、それぞれのサポーターのチームや選手に向ける視線の違い、サポーター同士の交流、そうした様々な要素の積み重ねが面白くて心に響く。弱小チームのサポーターは、負けて悔しいことの方が多いはずだが、それでも様々なことに喜びや希望を見出す。本書はそうした人々に暖かい視線を注ぐ、著者ならではの作品のひとつだ。(「ディス・イズ・ザ・デイ」 津村記久子、朝日新聞出版)
食べる西洋美術史 宮下記久朗
西洋美術史を食事風景や食糧を主題にした作品にスポットをあてて解説してくれる本書。読んでみて、両者には予想以上に強い繋がりがあるということがわかった。第1章の、宗教画のモチーフとして「最後の晩餐」が頻繁に描かれている背景とか、それらの時代を経るごとの変遷などは、まあ想像の範囲内であったが、第2章以降の食事風景や食糧をモチーフにした西洋絵画の変遷の記述には本当に驚かされた。宗教画においては、描かれた食事風景や食品は宗教的な意味合いを持ったものとして描かれていたが、やがてそれらが主役となり、近景に食事風景などの風俗画、遠景に宗教的なモチーフを描くいわゆる「二重構造の絵」が登場、そしてさらにその近景部分だけが独立した静物画に発展していったという。こうした静物画の西洋における発展は、表意文字を持つ中国や日本とは異なるものだったという。この辺りの記述はミステリー要素もたっぷりの面白さだ。また、本書では、カラーの口絵が21枚、白黒の写真がちょうど100枚も収録されていて、自分の目で著者の主張や解説を存分に確認することができる。内容、体裁共に満点の一冊だった。(「食べる西洋美術史」 宮下記久朗、光文社新書)
フォア・フォーズの素数 竹本健治
著者の本はこれまで3冊読んだが、何となく捉えどころのない作家という印象が残っていた。本書はかなり昔に書かれた作品集とのこと。最初の方に収録されたいくつかの作品は、内容がよく分からないSF小説で、文章も読者を突き放すような感じがするものばかり。こういうSF感覚の作品は自分には合わないなぁと思いながら読み進めたが、表題作以降に収録された3作品は、大変面白かった。特に表題作はこんなことが小説の題材になるんだと感心してしまったし、ゲームの名前のついた作品も面白かった。捉えどころのない作家というこれまでの印象は、幅の広い作家ということでもあるのかもしれないが、自分にとっては合う合わないの両極端の作品が混在した作家ということのようだ。(「フォア・フォーズの素数」 竹本健治、角川文庫)
オーパーツ 死を招く至宝 蒼井碧
著者のデビュー作で、本格ミステリーへのオマージュ、オーパーツに対する蘊蓄など、様々な要素が取り入れられた特異な作品だ。そうした1つ1つの要素は、万人受けするようなものという動機が著者にあるのかもしれないが、全体として不思議な雰囲気を醸し出していて楽しい。主人公の2人の関係など、どうしてそのような設定にしたのかよくわからない部分もあるが、著者の面白い感性を強く感じる。デビュー作にはその作家の本質があらわれると言われるが、その点ではとても楽しみな作家だと思う。(「オーパーツ 死を招く至宝」 蒼井碧、宝島社)
ブラックボランティア 本間龍
2020年の東京オリンピックで必要となるボランティアの数は、11万人と試算されていて、現在の計画では、それらを無報酬、宿泊費交通費自己負担という条件で募集するらしい。本書は、そのやり方のブラックさを痛烈に批判する。いくらブラックでも参加する本人たちが承知の上でのことだから他人がとやかく言うことではないという考え方は、これまでのブラック企業を蔓延らせてきた無関心・無責任と変わるところがない。幸い今のところボランティアの希望者は思いの外少ないらしいが、それではオリンピックそのものが開催できなくなってしまう。運営側がこれまでの非を認めて、正当なちゃんとした雇用条件と待遇を用意してもらいたい。東日本大震災からの復興」といった美辞麗句をつけて、何となく日本中がオリンピックに水をさす言葉や発言がしにくいなか、正々堂々と異を唱える著者の姿勢は、それだけで、耳を傾けたくなる。それに加えて、ここのところの猛暑、ブラック度はますます増している気がするし、そもそもこんな時期にオリンピックを開催して良いのだろうかという著者の主張の疑念に、心から賛同してしまった。(「ブラックボランティア」 本間龍、角川新書)
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