いつの間にか、タイムリーに、いろんな弁解が生まれる。宛名も発信者も明確ではないファックスが予定されたようにマス・メディアに送りつけられる。
まさに公文書ではないのに、メディアは騒ぎ、国会も取り上げ、いざ登場するのは、責任者ではなく単なる使者である。ただ現実の人間で在る、だけの話。蓋し、奇妙な話だ。
結果、それは誰もが責任を取らない方法で、反論している。しかし、何の証拠もなく、ただあの世襲政治家を擁護するだけの意図しかない。
何かが狂ってきた、この今の社会の上層はあまりにも醜い。要は、上層に居る人間としての人格が備わっていないのだろう。世襲そのものへの疑問が生まれる。
こんなバカげた、恥ずかしい所業をいくつもつみ重ねて、いつの間にか、「国民のために国家がある」から「國家のために臣民がいる」という旧体制に向かっている。