先日、ケーブルテレビで『日本のいちばん長い日』を見た。ふと終戦詔書が815文字であったことを思い出した。数えたことがないので本当かどうかはわからないが、米内海軍大臣が数えたそうである。
本を取りだして、そこの箇所を確認していたら、終戦詔書は8月9日の御前会議の後に、迫水久常内閣書記官長を中心に連日徹夜の三日間で原案が練られ、川田瑞穂・安岡正篤ら漢学者が筆を入れ、8月14日の閣議で6時間かけて原案の一部修正された、とあった。(出典 佐藤卓己『八月十五日の神話』)
実際の作成に係わった者たちは随分と長く苦しい作業であったに違いない。終戦詔書には、負けたとは書かれていない。戦局必ずしも好転せず、とある。
「玉音」放送から7時間後、鈴木貫太郎首相はラジオで「…勝利を得られなかったことについて、国民はことごとく陛下に心よりお詫び申し上げる」と云った。
8月17日には東久邇宮内閣が成立した。8月28日、記者会見で、東久邇首相は「一億の国民が総懺悔する」ことが国家再建のための第一歩だ、と述べた。(出典 ジョン・ダワ―『敗北を抱きしめて』)
東条政権失脚以来、まるで道具のように首相が代わる。あたかも穢れを掃うかのようにスバヤイ。
最近、或る本で、「一億総懺悔」とは、全国民の総懺悔によって、天皇に敗戦の失態を詫びようという趣旨であった、と書かれていた。なんとなく、嫌なことが少しずつ分かってきた。