今年も終戦記念日を迎える。終戦のほぼ1年前の1944年7月中旬、東條英機(首相・陸軍大臣・参謀総長・軍需大臣を兼任)政権は、ほんの数日間で総辞職に追い込まれた。
東条は、一身に戦争責任を背負って、東京裁判でA級戦犯として刑死した。その秘書官であった赤松貞雄は戦後になって、『東條秘書官機密日誌』の中で、「木戸幸一内相の陰謀によって東條内閣は倒れた」と書いた。
近現代史は、岸信介の勇気ある行動によって、東條内閣が倒れたという面が強調された。
実際は、東條は天皇に内閣改造を約束してしまった。そのために現大臣の一部に辞職を求めたが、岸国務大臣が辞職を拒否したため改造ができなくなり、責任をとって東條は退陣した訳である。
岸が辞職を求められた時に、相談する人があると答えた。その人が木戸内相であったことは、『木戸幸一日記』にさらっと載っている。赤松は更に云う、「岸も木戸も長州でつながっている」と。どうも、岸の勇気は眉唾らしい。
東条は、天皇と木戸内相の信任を失ったと思い、潔く退陣する。その後の重臣会議では、後任のあてがない東条おろしだったことが分かる。結局、サイパン陥落後の非常時で、当然軍人内閣であること、且つ、前線に居ないという小磯朝鮮総督が消去法で首相になった。その程度の軍人内閣だった。
はたして東條は俗に云うファシズム的独裁者だったのだろうか?ヒットラーは最後まで戦い、ベルリンまで攻めさせて、勝手に自殺した。この國は東條に戦争責任を負わせて、その後カッコよく昭和天皇が聖断によって戦争を終結させた。
いったい誰が本当の権力者だったのだろうか?こんなことを戦後70年過ぎても明確に口に出せない臆病な国民性に付け込んで、現在は岸信介の孫の政権が存在している。