昭和25年7月、A級戦犯の東郷茂徳の病床に娘(いせ)が訪ねてきて、獄中で書かれた手記を預けられる。その5日後に東郷は亡くなる。それが子孫の手によって、『時代の一面』として刊行された。
東郷という名から東郷平八郎の一族か縁者と思っていたが、実は韓国から来た薩摩に住む陶工を生業とする朴寿勝の長男として生まれた。5歳の時に父が士族の東郷姓を買って、日本人になったことを巻末の解説で知った。
東郷と云う名は鹿児島ではありふれた苗字であるそうな。とすれば、西郷も?と思ったが、それは調べていない。とにかく東郷平八郎とは縁もゆかりもないことが分かった。それに、彼はドイツ人の女性のエディと結婚していた。
ということは、冒頭「序にかえて」を書いたいせという女性は、ハーフということだが、文や漢字の知識の深さに気づいていたので、正直おどろいた。急に興味を持って、ネットで調べたら、東郷の妻はユダヤ系のドイツ人であることが分かった。
あることを思い出した。つい数か月前に読んだ『国家の罠』で佐藤優がユダヤ人の含蓄を披露した。ユダヤ人の血統は母系を原則とするので、母がユダヤ人では無条件でユダヤ人になると、そう説明した上司がきょとんとした顔でいる。その人こそ、外ならぬ東郷和彦、東郷いせの子、東郷茂徳の孫である。
祖先が韓国からやってきた陶工の息子から日本の外交官一族となったという訳である。差別が当たり前の戦前封建社会でよく外務大臣まで上りつめたものだと感心した。しかし、気になるのは、死ぬ寸前までまとめていたこの手記は、「陛下が如何に和平に熱心であられたかを記録するために」書かれたという。
それにしては、『昭和天皇独白録』では東郷の存在がうすいではないか。終戦は自分が率先して進めたということを強く主張したかったからかもしれない。どちらにせよ、死ぬ間際まで、気遣われる昭和天皇とは、この圀にとっていかなる存在だったのだろうか。