玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

明晰な老人であった

2018-10-13 13:51:30 | 政治

戦争責任を問われて、「それは言葉のあやのようで、それに私は文学的なことはよくわからない」と、この国の先代天皇が答えたような記憶がある。これを聞いた国民は「ああ、天皇はとうとう呆けてしまわれた」と感じたに相違ない。この時天皇は74歳だった。

がしかし、それをじかに聞いたわけではない。今活字に残る事柄を拾うと、19751031日、米国訪問から戻った昭和天皇に対して、ザ・タイムズの記者が、ホワイトハウスで「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」という発言がありましたが、「戦争に対して責任を感じているということで宜しいですか?」と聞いたのである。悲しみという感情を責任に結び付けた質問であったわけである。

それで昭和天皇は、「そういう言葉のあやについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、・・・」と答えたのである。まったくボケていない。十分に批判に対応できる、また、それに値する明晰な頭脳を持つ74歳の老人であった。さすがである。

ご飯論法で、カエルのツラに小便のような恍けたふりを平気でやる無責任首相より、はるかに要を得た答えをしているではないか。問題はこの戦争責任質問がされたのは、戦後から30年経っていたということである。この圀は骨の髄まで呆けた言論体制ある。そして今も延々と、この呆けた風土は続いている。

いまだに、「天皇の戦争責任」という言葉が禁句となっている。したがって、すべてがあの815の昼から、古いセピア色の写真のように静止して、誰もあの戦争の責任をとっていない。だから、今だに「従軍慰安婦問題」が生きかえり、「原爆反対」も堂々と言えない肩身の狭い圀なのだ。「教育勅語」を残したいだって、「9条を改正したい」だって、ただズレているとしか思えない。

【引用文献】

H・ビックス『昭和天皇』・辺見庸『1★937

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