最近人の名前が思い出せない。思い出そうとすると頭が痛くなるし、思い出すまで気持ちが暗くなるので、名前は忘れても良いことにした。先週近所のDVD屋で旧作50円だというので4枚借りた。その中の1枚が「あるいは裏切りという名の犬」だったと思う。ともかく題名が洒落ていたんだ。見始めて少し経って、先のストーリーが解るのに驚いた。こいつは確かに見たことがあるよ。でも不思議なことに結末は忘れていた。今週、また借りに行ったら80円でした。3枚借りて、昨晩その中の1枚を見ました。「ドラゴン・タトゥーの女」これも題名が妙に気にいったんだ。ところがどうだ、こいつは最初から気が付いたよ。でもなんか女の髪型が少し違うんだよな。犯人は出てきた時から判るんだけど、…。モヤモヤしながら、何せ2週連続の呆けなので、自らをまだらボケと罵りながら見終ったけど。でも結末が覚えていたのと違うんだよね。なんか腑に落ちないんで、インターネットで調べたら、氷解しました。英語のリメイク版を見ていたのでした。そして、リメイク版の結末はオリジナルと違うそうだ。私はリメイク版の結末の方が気にいったけどね。なんとか呆けの進行は止まっているようだ。こんなことでもありがたい。
最新の画像[もっと見る]
しかし、国際社会はこれを「外交」カードとして相手国を「冤罪」に追い込もうとする。関係する2か国が「口裏」を合わせれば事実など彼らの「虚偽記憶」の別名となる。そして怖いのはそれを自らも刷り込まれてしますという現象だ。『それでも僕はやっていない』という主張は「被害者」が現れると窮地に立つ。昨夜は「いかに雄弁で、具体的で、熱く語られこと」と「虚偽記憶」は、無関係に成立することを科学的に証明した発表だった。しかし、私たちがさらに困難に直面するのは「偽装記憶」をもとに「冤罪」を作る動きだ。呆けよりも始末に悪いのは、この輩とこの輩からなる国家だ。
それは本来の結末さえ変えてしまうが、本当にそうかという知性は、抗する手段に一つとして鍛え続けねばならないと考えるのは私だけではないだろう。