原田から「御裁可なしで軍隊を動かすのはクーデター」と聞かされた木戸は、翌日の日曜日は、駒沢にてゴルフをしていた。トーナメントで優勝したとのことである。
翌週の9月22日(火)に近衛文麿や岡部長景ら華族関係者と共に今後の策を研究する。
天皇は満州事変の不拡大の政府方針をまことに結構としていることに側近の入れ知恵と軍部は憤慨しているので、「不得止場合の外は御諚(天皇のお言葉)はなき方がよろしきかるべく、・・」との意見一致を見た、と書かれている。
このあたりから、宮中つまり天皇側近は軍部を恐れて、政府の閣僚の輔弼に責任転嫁をしようとしているのが感じられる。
その結果、五・一五事件が起きて政党政治が潰され、二・二六事件によって宮中は総入れ替えとなって「政府」が事実上「軍府」となっていく。
そして、誰も知らない裡に真珠湾に攻撃していった。
今、我々の近辺でも、それに近いことが起きていないだろうか、…。誰もが止める方が良いと言っていたのに、スガとコイケは「安心・安全」とオリ・パラに突っ込んでいった。
民主憲法を持つこの国でも、専制や独裁ができるということを、我々はどれだけ理解しただろうか。
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