2000年以降、たぶん小泉政権以降、確実な足取りで公共部門の民営化が進んだ。
およそ20年後、コロナ・パンデミックにより、特に行政部門を「改革」と称して、市民の命に関わる保健所等の集約化・合理化を徹底した維新の大阪に、公共医療の崩壊による患者被害として明確な数字となって現れた筈である。
ところが、政府も、当の大阪府・市民も、一般の人々も、喉元過ぎれば何とやらで、行政と政治の失敗を全く振り返らない。
巴里オリンピックを見ながら、はたしてコロナ禍で行った東京オリンピックは本来やるべきだったのだろうか。また、同じ轍を踏むのだろうか、大阪万博で、…。
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