玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

存在証明

2022-01-10 20:07:35 | 或る話

今年の年賀状は一枚だけ来なかった。去年は全部来た。数年前に何人かの友から年賀状を辞めますという知らせが来た。私も辞めようと思ったけれど、私より十歳以上の先輩から来るので、何となく言い出せなかったので、ぐずぐずと今も年賀状をやっている。

うちの女房にも言っている。若し、私が死んだらその年に来た年賀状で欠礼挨拶を書いてくれと。

いつも来る年賀状が来ないという胸騒ぎの時間が少しあって、家人からの欠礼挨拶は身に浸みるモノがある。この理不尽な圀にあって、こうしたやり取りは、日本人らしいやさしい弔いの知らせ方だと思っている。

このコロナ禍ではそういったものも、すべて呑み込まれてしまうような感じがする。今人類は、大きな、大きな災害にあったような気もしないではない。

去年の夏

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