森功は、入省時の国家公務員第Ⅰ種試験合格順位の上位者によって、ほぼ次官昇任者が決まると言っている。今井尚哉氏の入庁時の合格成績は知らぬが、事務次官になれない訳ではあるまい。
彼は栃木県生まれ、新日鉄社長、経団連会長の今井敬の甥、血統として事務次官候補のサラブレッドであった。2002年7月経産省課長に、2006年9月、第一次安倍政権の首相秘書官を務める。ここで安倍の信任を得ることになる。
祖父岸信介の商工大臣の秘書官だった元通産次官今井善衛の甥であることに安倍が気付いたからである。安倍は血や縁を大切にする人だったにちがいない。
第二次安倍政権の「三本の矢」はエール大学浜田宏一の「金融緩和」や京大の藤井聡の「国土強靭化計画」を取り入れ、実際の政策に落とし込んだのは今井であった、と官邸関係者は分析する。
今井氏は門外漢の外交にも手を突っ込んだ。彼は安倍の支持率を上げることしか考えていない、北方領土やロシアへの経済支援等も支持率を上げるだけのことだった。
安倍のロシア外交が素人の今井の技となれば、「北方領土を返せば、アメリカ軍の基地を造らないと保証できるのか!」とのプーチンの質問に返答に窮した安倍外交の呆れる程の脇の甘さの理由が分かった。
そして、コロナ禍の「一斉学校封鎖」という頓珍漢なパンデミック対策も教育の門外漢の経産官僚の今井の発案だと言うのだから、安倍の今井への買い被りは異常であった。
彼は安倍との出逢いを今頃どう回想しているのだろうか。
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