日本の近現代史は、天皇に人間としての感情や行動があることを明確には言わないので、歴史上は天皇の存在が空白になってしまう。そのため歴史上の歪みが生まれる。孝明天皇が日米修好通商条約を忌避し、攘夷運動を自ら煽ったということを書いてある歴史書は少ない。一般的理解では、条約拒否で幕末日本の世論が沸騰し、それを受けて朝廷・天皇が浮上するというストーリーになっている。孝明天皇は、通商条約は「神州の瑕瑾」で「許すまじきこと」だと述べる。天皇の意を受けて朝廷の公家(近衛、三条、その他の平公家)は条約拒否に動いた。(井上勝生『幕末・維新』岩波新書)そこから尊王攘夷運動が盛んになった原因が生まれたとも言える。一方、「攘夷をとるか、開国をとるか、国論を二分する大問題となり、両派が朝廷に働きかけた」という教科書的表現はあたりさわりはないが、天皇の権力者としての存在が消えてしまう。
ところで、昭和においてはどうなのだろうか。戦後の天皇の「人間宣言」というのは、そう思うと、重いものがある。果たして、人間として戦争をどう考え、どう動いたのか。これもまた、この21世紀にあっても明解ではない。
観念としての「天皇制」はわかりませんでしたが、陛下が着替えの最中に、美智子妃殿下が「陛下からお相手をしておくようにと仰せつかりました」と私に子育ての苦労話をしてくださいました。当日同伴しなかった、妻と子供のことにも触れられ、自分は自分がどう修練を積んでもたどり着けない境地にいる人と接し、世界観が変わりました。この経験は長い時間を経て自分の中では発酵して、皇室に対する見方が180度変わりました。この瞬間を妻と子供と共有できなかったことが残念でした。しかし、この経験と同じ思いを抱いた日本人は私一人ではないと思います。政治思想における天皇と、生身の天皇との位相の違いをどう理解すべきでしょうか。昭和天皇の危篤が世に伝えられたのはそれから半年以上後のことでした。