今回の逗留先のタイ・コンケーンは、日本国内に例えれば、東北部の仙台といった規模の大学が多い落ち着いた地方都市で、観光で訪れる者は少ない。
当初五年前に行ったときは、現地の友人は「この街には、日本人は自分たち二人とJICAの職員が一人の三人ぐらいしかいないだろう」と冗談まじりに云ったものだ。確かにどこを歩いても外国人と気づかれることもなく、気楽に過ごすことができた。
ところが今度ばかりは事情が違った。例えば、スタバに行けば、「ありがとう」「元気ですか」と可愛い女店員に声をかけられて、嬉しいやら、ホテルに戻れば、エレベーターで急に「あなた日本人ですよね。僕は今日本語の勉強してるんです」と習いたての日本語で話しかけられた。
確かに、日本に行くタイ人も増え、日本がタイの地方都市でも有名になるのは嬉しい気もするが、若干のわずらわしさもあった。その点、ミャンマーのヤンゴンでは、道ばたの僧侶に、「チャイニーズ」と声をかけられて、ちっと面白かった。どうも、私は日本人と見られるのが苦手であるようだ。
日本人は、とくに東南アジアでは、何があっても、何がでてきても、動じないし、驚かない。先週、ミャンマーに居た。小ジャレたインド料理店に招待された。料理の出方も、前菜があって、一品づつに出てきて、まるでフランス料理のようだった。最後はナンがでてきて、普通にカレーがでてきてしまったが。
でも日本人は、アジア人に対しては、だいたいが驚かない。こんなの発展途上はよくあること、近代化の過程にはよくあること、と片付ける。
タイに行って、セブン・イレブンでカップヌードルを買う。部屋に戻ってお湯を沸かして、日本から持ってきた箸で食べると、辛味さえ抜けば結構いけている。でも心の中では、これも日本の技術を持ってきただけさ、と片付ける。
どうしようもなく優越感が抜けきれない。これって気を付けないと、アジアの中で一人ぼっちになってしまう。これじゃ、ちっとも昔の日本の軍隊を笑えない。
南京事件は戦前日本軍の最悪の悪行として、いまだに幻か、いやそんなに殺していない、いや中国の云う通りだと、議論は果てしない。どんどん時間がたって、証人がこの世から居なくなって、この圀においては、事件が風化してきている。
戦後世代は、自分の父親世代に話を聞く以外に、これといった確実な事実を捉えられないで、今日までこの問題を逃げまわってきた。とにかく知りたくないことで、自分とは関係ないことにしたい。現実には昔の大東亜圏に旅行しても今の日本人の評判は決して悪くない。が、何かフッと感じることも偶にあることは事実である。
一応は、イヤイヤですが、関係の本を読んできました。しかし、そんなに多くは読んでいません。ともかく、読むのが厳しく、辛いのです。
今回は学術系での言説でまとめますと、南京事件が起きた原因は、戸部良一は「戦う目的がはっきりしないために、反動や憤りが生のままでストレートに噴出してしまった」と述べています。古屋哲夫は「日本軍のあり方、戦争のやり方そのものに関係している。特に意図的に補給を節約し、現地調達に依存する軍隊であった」と述べています。
戦後世代の吉田裕は、日本軍のあり方・やり方を当然の原因としながら、「中国人に対する根深い侮蔑意識の存在があった」と結んでいます。世のなかは、徐々に事実に近づきながら、時間が過ぎて事件を風化していくのをむしろ待っているような気がします。
しかし、問題は、南京事件が有名であるだけであって、日本軍の侵攻した跡は、東南アジア諸国の一般人に対して、大なり小なり同じような掠奪、殺戮、強姦が常態に行われていたのです。
南京事件の本を読んで、幻だという人は、その心の目を信用しません。もし映画ならば、それは造りものだと逃げられるかもしれませんが。なかには、殺した人数の規模に問題をすり替える人もいますが。要するに、南京に限った問題ではなく、広くアジア諸国で日本人が行った問題行動なのです。
どうでもあれ、一冊でも関係の本、どれでもいい、読んでみれば、自分で感じるものができると思います。それがあなたにとっての、私にとっての「南京事件」であると思います。
参考文献:戸部良一『逆説の軍隊』、古屋哲夫『日中戦争』、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』
「私の言っていることは正しいです。私は総理大臣なんですから」という答弁をする首相がいる。その答弁を聞いた時、かたい煎餅を噛んだつもりが、実はぬれ煎餅だった。そんな違和感があった。この種の人間は、生まれも、育ちも、考え方も、ちと普通人には理解できない人間であるようだ.
だいたいが六十を超えた男の言葉じゃない。小学生が「きみ将来何になりたい?」と聞かれて、「総理大臣!」と答えたような、そんな光景を思い出した。小泉氏は「自民党をぶっ壊す!」と掛け声ばかりで、実は何も残さなかったが、この國のかつての亡霊の後継者群を呼び戻してしまったようだ。
そもそも民主主義なんて、皮相に見ればまやかしものなのだろう。支配者側が都合の良い時だけ、「これが国民の声だ!」といい、都合が悪くなると「民意を読み間違えた」とかいうのだろうが。どちらにせよ、国民のためを思って行動している政治家がこの圀はどれぐらいいるのだろうか。
戦後70年が経って、何もかもカラッと忘れ、きれいな顔して、「占領国に押し付けられた憲法ですから」「憲法改正はこの党の党是ですから」という人たちの言葉は信用しない。どうしてそういうことになったかを、知ろうとしない、知りたくもない群の人間のような気がします。
それに、そういう人たちは、自分の家、自分の身、自分の家来の繁栄しか考えていないようだし。どうも前世でも、余程いい思いをした祖先の末裔のようですね。果たして自分がその祖先と同じ境遇に成れるかは、分からないですがね。
ドックヤードガーデン(旧三菱ドック)