玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

芸風の知識人たち

2022-10-24 14:33:33 | ブツブツ

近頃の大手メディアやテレビが使う専門家・知識人の中に、威勢はよいが、結局、政権ヨイショの生活苦が見え隠れする。

ヨイショをしなければ自らの地位を維持できないのかも。抑々、知識人枠という地位が安定的ではなく、所詮、浮き草稼業であろう。

常に人々の耳目を集める、或いは賛否の刃境に立って見せて、必ず右傾の方へ、政権の方へと倒れ込んで見せる芸風は、常に先を見通す勘と賭けが求められる。

特にアベ以降はその芸の風向きは難しいだろう。

それらは瞬間芸であり、「2チャンネルのヒト」が一番注目株のように見える。その分「〇〇エモン」がパッとしなくなった。

人々は押しなべて賃金も上がらず物価は値上がりして、生活苦に陥っている。

同じに知識人も、縁故主義や既得権益の中で、大学や言論界で安定的な地位を得るのが難しい時代になった。

芸風を競う知識人たちは、押しなべてお笑い芸人ならぬ「政治風芸人」に見えてくる。それが顕著に見分けられるのが「○○まんま東」だろう。

近頃、街の老舗が減ってきた。この中華屋は焼きそばとラーメンが好きだった。私の作る焼きそばこの店のまねっ子である。

 

 

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蔵のある町

2022-10-21 18:11:16 | 都市

遊行寺通りの裏道に蔵がある。

藤沢は古い町だから旧東海道筋にも幾つか蔵が残っている。

古い蔵を見るとつい歴史を感じるが、・・・。

こと藤沢宿においては、元々が東海道の宿場町なので、蔵というモノより、旅籠に関わるモノの方が価値があるというのを郷土史家に聞いたことがある。けだし、それも尤もな説だと納得した。

これらの蔵や建築物は築90年だそうだ。

ということは、建造されたのは昭和初期で、1931年の満州事変の頃だということだね。

ふーん、外観は古いが、近現代史の中では、まさに此の國の軍國化への真骨頂時代でもある。

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今頃?エアロゾルへの言及

2022-10-20 13:56:13 | ブツブツ

先達て、ブック・オフで「世界」を買ったので、それ以来ネットで目次を調べて良い場合には買うことにした。

2022年7月になって、やっと、新型コロナウィルス感染症対策分科会が「エアロゾル感染のリスクを初めて真正面から取り上げた」とあった。

それは、政府及び政府系専門家たちが当初新型コロナウィルスは接触と飛沫により感染し、空気感染はないとしていた。その後は、その方向をメンツのために腐心してきた。(参照:2022・9月号、片山義博の「日本を診る」)

どうも新聞も取らず、TVもあまり見ない私には、いつ政府が方針転換したのか知らないが、とっくに昔からネットでは「空気感染」だと言い、換気が重要だと言っている。

このバカげた感覚のズレは、単に医系技官の面子という愚鈍な権力執着だけが原因なのだろうか。

ひとえに自民党・公明党の政府与党並びに有力野党の怠惰な情報収集に起因すると思う。

あまりに議員たちは自らの議員既得権に固執し、日頃の政治活動がおろそかになっているかがよく判る。これじゃ、ワクチン一本足打法は危なくて、信用できない。

路地売りの柿、美味くないが、昔の家の渋柿よりはましだ。

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引き際の演出

2022-10-19 14:40:11 | あれこれ

政治の世界では事前の準備や周到な演出のない純粋な行為はほとんどない、と長く生きていれば自然に判るものだ。

広島の平和記念式典で読み飛ばした元首相が珍しくうまく読めたのを、ほめそやしたマスコミや一部の議員たちの癇に障っただけで、テレビの人気コメンテータが降板することになった。

玉川氏は「電通を使った」ではなく、「安倍政権が使っていた電通的演出」と詳しく述べればよかったのかも、でもこれは事実だからもっと非難を受けそう。

まあ、大人として黙っていた方がよかったのだろう。でも、空気を読まずに言ってしまうのが彼の個性で人気だった。

江口紹子が「ちゃんとした取材もしないで、彼は言ってきた」と玉川氏を評価した。フリーの記者からすれば、大手メディア社員に対する厳しい目もあるのも事実だ。

最後に「元首相と電通に対して」謝罪したのは、彼が問題の所在を明確化する強い意志を示していて、引き際の演出としては良かったのではないか。

 

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『八月十五日と私』

2022-10-18 14:01:35 | 

我々世代は活字の中でしか、戦争の実体験を知り得ない、と思い、先日古本屋に行って「角川文庫で読む戦後50年」というシリーズ本を数冊仕入れてきた。

先ず各界の有名人たちの書いた短編を集めた『八月十五日と私』から読み始めた。

実際に書かれた年代は作者によりバラバラで、かなり遅れて書かれたモノもある、出典も色々の「短編集」なので、期待した現場感には正直欠けていた。

特に感じたのは、小説家の多くは8・15の記録ではなく、所謂小説(ショート・ストーリー)を書いているのである。

五木寛之、瀬戸内晴美、に強くそれを感じた。不思議に寺山修司は実際の彼の劇を見た事がないのだが、彼が劇作家であることがよく分かった。

歴史記録として深く残ったのは、大岡昇平と大庭みな子だった。

大岡は「50年以来我が国が専ら戦争によって繁栄に赴いたのは疑いを入れぬ」との歴史現実を語った。これを避けてはこの國を語れない。

大庭は広島の原爆被災を目の前にして、「黄泉の国のゴミ捨て場、救護というより、見学の為に地獄へ招待されたピエロ。そこには手をほどこすすべのあるひとかけらの希望もなかった」と記していた。

私は学生時代に吉本を読んでいない。やはり、これからも読まないだろう。

歴史観ではなく、夫々の有名作家たちの文章に触れられる面白さが読後感として残った。

巻末に「若い読者の便宜を考えて、一部旧字体を新字体に、…あらためてある」と書いてある。

理由はいるのだろうか? 発行者は角川歴彦。

「オリンピックへの賄賂?そんな卑しい商売はやらない」と言い切っていた。

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