数日前、息子は10歳になった。二桁台の年齢への大きな転換を迎えたせいか、親目からは体も一回り大きく見え、心も昔以上に複雑に成長したように見える。
去年の息子の誕生日は、腑に落ちない一日になってしまった。その半年前にある自閉症で名の知れたジャーナルに息子のことを縦断的にまとめた論文を投稿したが、不採択の知らせをもらったのが、偶然にも息子の誕生日だった。3人のレビューアーの判断は、不採択、修正または不採択、採択と大きく分かれてしまったが、結果的にエディターが出した答えは不採択だった。がくんと落ち込んだ私は、レビューアーのコメントを斜め読みにしかできないくらいに悲しかった。息子は、投稿前から自分のことが出版されるかもしれないと、心待ちにしていたので、その夢をかなえてあげることができない自分の無力さを痛感した。
先日、久しぶりにレビューアーのコメントやエディターからの手紙を読み直してみた。時間がたったこともあって、内容が好意的、前向きに読み取れたのもあり、もう一度トライしてみようという気持ちになった。今度は、違うジャーナルへの投稿になるが、挑戦する過程が大切だということを肝に銘じて、気長にやっていこう。
去年の息子の誕生日は、腑に落ちない一日になってしまった。その半年前にある自閉症で名の知れたジャーナルに息子のことを縦断的にまとめた論文を投稿したが、不採択の知らせをもらったのが、偶然にも息子の誕生日だった。3人のレビューアーの判断は、不採択、修正または不採択、採択と大きく分かれてしまったが、結果的にエディターが出した答えは不採択だった。がくんと落ち込んだ私は、レビューアーのコメントを斜め読みにしかできないくらいに悲しかった。息子は、投稿前から自分のことが出版されるかもしれないと、心待ちにしていたので、その夢をかなえてあげることができない自分の無力さを痛感した。
先日、久しぶりにレビューアーのコメントやエディターからの手紙を読み直してみた。時間がたったこともあって、内容が好意的、前向きに読み取れたのもあり、もう一度トライしてみようという気持ちになった。今度は、違うジャーナルへの投稿になるが、挑戦する過程が大切だということを肝に銘じて、気長にやっていこう。