子どもが授かる前、そしてまだ小さかった頃は、人並みに育ってくれさえすればと思っていた私。
ところが、子どもがだんだん大きくなるにつれ、点数化された成績の評価表をもらってくるとだんだん親の欲が出てくるのが分かる。成績重視主義に表向きは反対しても、自分の子どもとなると本音がつい出てしまうのが悲しい現実。
ターニングポイントは、娘が3年生の時に担任の先生より秀才教育プログラムに推薦された頃。凡人だと思っていた娘にもしかして見えない才能があるかもしれないと知ると、事情が変わってくる。娘の知能テストの結果が95%タイルだと知り、オットと二人で大驚き。その後のテストでも国語の標準試験の結果は98%、97%タイルと好成績。
ところが、いつもそうはいかずアップダウンする娘の成績を見ると、自分のエゴに娘を重ねていた自分が見えてくる。
自閉症を抱える息子にしても、小さい頃は知恵遅れではないかと案じていたが、小学校、中学校と年数を重ねるにつれ、努力が素直に成績に反映されるのが親にも息子に励みになってきた。ところがこの夏になって学年が上がり、先生の一人がかなりシビアな成績評価をするため、今までとってこなかったCやDの成績を小テストでもらってくるようになり、息子は大パニック。
自閉症でありながらも去年はストレートAの成績を治めた息子にとっては、その記録が破られるのはかなりショックでがっかりした様子。しかしオットと二人で、一生懸命がんばってもだめなら、それもいい社会勉強じゃないかと言い聞かせるが、果たしてどこまで真実味があるのだろうか。
アメリカの大学院で、Aをとるために必死に猛勉強してきた私にとっては、Aに対する思い入れは自分のアイデンティの一部になってしまったのかもしれない。日本の大学や高校では、良い成績を取りたいという願望が薄かった私だが、競争社会のアメリカは「人より優れていたい」という欲望が育ちやすい土壌なのかもしれない。
自分のエゴがコドモたちへのプレッシャーになっているのではと反省です。