ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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両陛下成婚50周年・金婚式3

2009-04-10 20:09:52 | 皇室報道

 あらためまして、両陛下、ご成婚50周年おめでとうございます

どうぞお健やかにダイヤモンド婚までお過し下さいませ。

 

 天皇陛下、記者会見で言葉を詰まらせる

 

ちょっとびっくりしたというか、お二人にとってこの50年は

本当に大変だったんだなあ・・・とつくづく感じました。

昭和天皇と香淳皇后の記者会見をおぼろげながら覚えていますが

もうちょっとリラックスして楽しそうで、しかも普通のおじい様とおばあ様

だったなあと思います

戦前・戦中の大変さに比べて晩年はとてもゆったりとすごされた

昭和天皇 夏は3か月も那須で静養していたくらいだし

東宮ちゃんがいるから大丈夫」とおっしゃっていたそうです

 それに比べると、今上ご夫妻は未だ現役・・・現役でないと

全てが壊されそうな危機感が常につきまとっている感じがして

普通に「孫がかわいい」とも言えず、あえて言葉に出さないで公平さを

保ったり、あらためてご自分の生きてきた道を述べられたり、

常に東宮家へのメッセージが込められているように思います

 

 一部の皇族は両陛下に背中を向けないように後ずさりして

  退席。

 

両陛下に皇族方がお祝の挨拶をして退出する時、「一部の皇族」

が後ずさりしながら退席したと・・・

えの・・・この報道ってどうとらえたらいいのでしょうか?

東宮夫妻ならそういう風には書かれなかったでしょうし

朝見の儀などでは背中を見せずに後ずさりしますよね。要するに

これが出来なかった皇族は誰なのかというお話ですね。

 

 麻生総理「弥栄」を「いやさかえ」と読む

 

正しくは「いやさか」ですけど

本当に漢字が読めないのねーだったら難しい感じを使わなければ

いいのに。

 

 プロポーズの言葉にこだわらなくても・・・・

 

本当は50年前の話よりも、

「お孫様達とはどんな風に過ごされていますか?」

とか

「お子様達へのメッセージ」

とか、そういうのを期待したかったのですが、結局のところ

そういうのは全部「雅子様への人格否定」になるので出来ないということですね。

何でそこまで気を遣わなくちゃいけないのか、

皇太子夫妻はGWは御料牧場、夏は那須に2週間以上、春はスキーに

2週間以上と静養三昧なのに、老人である両陛下は、ほんの数日

静養されるだけ

静養しなければ「雅子様への嫌がらせ」と言われ、そうかといって

公務を譲ることは大変危険なので出来ない・・・と。

このジレンマと焦りと危機感がお二人から滲み出ているような気がします。

本当は3か月でも4か月でも葉山や那須でお過し頂き、終戦記念日に

来られるだけでいい筈なのに

 

いつになったらお二人に平安が訪れるのか。

結婚したその日から、お二人は見えないものと闘い続け、そして

それは決して終わらない・・・という、気の毒だなあと思います

 

皇太子夫妻はお正月の挨拶以降、愛子内親王を参内させてないし

皇后さまの怪我のお見舞いもせず、スキーに行ってました。

 

 秋篠宮夫妻は5月に東欧を訪問、そして8月には

オランダへ公式訪問します

お二人の華やかな「皇室外交」を待ってます。

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両陛下成婚50周年・金婚式2

2009-04-10 10:28:50 | 皇室報道

 プロポーズのこと、今贈るとすればどんな言葉?


 天皇陛下 

「私のプロポーズの言葉は何かということですが、当時何回も電話で

話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。

プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。

何回も電話で話し合いをし、私が皇太子としての務めを果たしていく上で、

その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。

承諾してくれたときは本当にうれしかったことを思い出します。


 結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。

皇后はこの度も「努力賞がいい」としきりに言うのですが、これは今日まで

続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。

本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの

悲しいことやつらいことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います。


 夫婦としてうれしく思ったことについての質問ですが、

やはり第一に二人が健康に結婚50年を迎えたことだと思います。

二人のそれぞれの在り方についての話合いも含め、何でも二人で

話し合えたことは幸せなことだったと思います。皇后はまじめなのですが、

面白く楽しい面を持っており、私どもの生活に、いつも笑いがあったことを

思い出します。また、皇后が木や花が好きなことから、

早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。

私は木は好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。


 語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓


 婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から

私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。

結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。終わりに私ども

二人を50年間にわたって支えてくれた人々に深く感謝の意を表します。

 皇后さま 

たくさんの質問があって、全部はお答えできないかもしれません。

とりわけ婚約のころのことは、50年を越す「昔むかし」のお話で

プロポーズがどのようなお言葉であったか正確に思い出すことができません。

また銀婚式を前にしてお尋ねのあった同じ質問に対してですが、

この度も私はやはり感謝状を、何かこれだけでは足りないような

気持ちがいたしますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます。


 次の「夫婦としてうれしく思ったこと」。このようなお答えでよろしいのか、

嫁いで1、2年のころ、散策にお誘いいただきました。

赤坂のお庭はくもの巣が多く、陛下は道々くもの巣を払うための、

確か寒竹だったか、葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、

その2本を並べてお比べになり、一方の丈を少し短く切って、

渡してくださいました。ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと

思ってくださったのでしょう。今でもそのときのことを思い出すと、

胸が温かくなります。


 昭和天皇の崩御後、陛下はご多忙な日々の中、

皇太后さまをお気遣いになり、様々に配慮なさるとともに、

昭和天皇が未完のままお残しになったそれまでのご研究の続きを、

どのような形で完成し、出版できるか、また昭和天皇の残された

たくさんの生物の標本を、どうすれば散り散りに分散させず、

大切にお預かりする施設に譲渡できるかなど、細やかに

お心配りをなさいました。

こうしたご配慮の下、平成元年の末には「皇居の植物」が、

平成7年には「相模湾産ヒドロ虫類」の続刊が刊行され、

また平成5年には昭和天皇ご使用の顕微鏡やたくさんの標本類が

国立科学博物館に、平成7年には,鳥類の標本が山階鳥類研究所に、

それぞれ無事に納められました。「印象に残った出来事は」という

質問を受け、このときの記憶がよみがえりました。


 「結婚してよかったと思った瞬間は」という難しいお尋ねですが、

もうエピソードはこれで終わりにさせていただいて、本当に小さな思い出を

一つお話しいたします。

春、辛夷(こぶし)の花がとりたくて、木の下でどの枝にしようかと

迷っておりましたときに、陛下が一枝を目の高さまで降ろしてくださって、

そこに欲しいと思っていたとおりの美しい花がついておりました。

うれしくて、後に歌にも詠みました。歌集の昭和48年のところに

入っていますが、でも、このようにお話をしてしまいましたが、

それまで一度も結婚してよかったと思わなかったということではありません。


 この50年間、陛下はいつも皇太子、また天皇としての、

お立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。

陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、

私がおそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います」

 

 記者さんが笑うシーンもあったようで、皇后さまは本当にユーモア

があるなと思いました。

  また、陛下が言葉を詰まられるシーンもあり、そこでは私たち

 国民もまたちょっとウルっと来てしまいました。

 

 お二人のお言葉には大変厳しいメッセージもこめられていると

思ったのは私だけでしょうか?

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両陛下成婚50周年金婚式1

2009-04-10 10:17:10 | 皇室報道

 パンパカパーン 今日は両陛下の結婚記念日。

50周年・金婚式です

おめでとうございます いつまでもお健やかにでいて下さい。

 

 記者会見 

 時代にふさわしい新たな皇室のありよう、一方で守ってこられた

  皇室の伝統についてお聞かせいただくとともに、それを次世代に

  どう引き継いでいかれるのかもお聞かせください。


 天皇陛下 

「私どもの結婚50年を迎える日も近づき、多くの人々からお祝いの

 気持ちを示されていることを誠にうれしく、深く感謝しています。

 ただ国民生活に大きく影響を与えている厳しい経済情勢の

さなかのことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています。


 皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また私生活においては、

昭和天皇を始め、私の家族を大切にしつつ私に寄り添ってきてくれたことを

うれしく思っています。

不幸にも若くして未亡人となった、私の姉の鷹司神宮祭主のことは

いつも心に掛け、那須、軽井沢、浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。

姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが、あるとき、

昭和天皇から私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたがどのように

過ごしたのかというお話があったことがありました。


私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、

皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする

生活には戸惑うことも多かったと思います。

しかし、何事も静かに受け入れ、私が皇太子として、また天皇として務めを

果たしていく上に、大きな支えとなってくれました。


 時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが、

私は即位以来、昭和天皇を始め、過去の天皇の歩んできた道に

たびたびに思いを致し、また、日本国憲法にある「天皇は、

日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定に心を致しつつ、

国民の期待にこたえられるよう願ってきました。

象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、

その望ましい在り方を求めて今日に至っています。

なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を

比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場

合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。


 守ってきた皇室の伝統についての質問ですが、私は昭和天皇から

伝わってきたものはほとんど受け継ぎ、これを守ってきました。

この中には新嘗祭のように古くから伝えられてきた伝統的祭祀(さいし)も

ありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。

新嘗祭のように古い伝統のあるものはそのままの形を残していくことが

大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、

形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。

 皇室の伝統をどう引き継いでいくかという質問ですが、先ほど天皇の

在り方としてその望ましい在り方を常に求めていくという話をしましたが、

次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事を

どうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます。

 

 皇后さま 

「50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りましたとき、

不安と心細さで心が一杯でございました。今日こうして陛下のおそばで、

金婚の日を迎えられることを、本当に夢のように思います。


 結婚以来、今日まで、陛下はいつもご自分の立場を深く自覚なさり、

東宮でいらしたころには将来の象徴として、後に天皇におなりになってからは、

日本国、そして国民統合の象徴として、ご自分のあるべき姿を求めて歩んで

こられました。

こうしたご努力の中で、陛下は国や人々に寄せる気持ちを時と共に

深められ、国の出来事や人々の喜び悲しみにお心を添わせていらしたように

思います。


 50年の道のりは、長く、時に険しくございましたが、陛下が日々

真摯(しんし)にとるべき道を求め、指し示してくださいましたので、

今日までご一緒に歩いてくることができました。

陛下のお時代を、共に生きることができたことを、心からうれしく思うとともに、

これまで私の成長を助け、見守り、励ましてくださった大勢の方たちに

感謝を申し上げます。


 質問の中にある「皇室」と「伝統」、そして「次世代への引き継ぎ」と

いうことですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事

及び祭祀とも、昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。

また、皇室が過去の伝統と共に、「現代」を生きることの大切さを深く思われ、

日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々と共に

「今」という時代に丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いてこられたように

思います。


 伝統と共に生きるということは、時に大変なことでもありますが、

伝統があるために、国や社会や家が、どれだけ力強く、豊かになれているか

ということに気付かされることがあります。

一方で型のみで残った伝統が、社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で、

古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは

好ましく思いません。


 また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、

その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることも

あると思います。

WBCで活躍した日本の選手たちは、鎧(よろい)も着ず、切腹したり、

ゴザルとか言ってはおられなかったけれど、どの選手も、やはりどこか

「さむらい」的で、美しい強さをもって戦っておりました。


 陛下のおっしゃるように、伝統の問題は引き継ぐとともに、

次世代にゆだねていくものでしょう。

私どもの時代の次、またその次の人たちが、

それぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、統と社会との問題に対し、

思いを深めていってくれるよう願っています。

 

 陛下が昭和天皇の公務を全部引き継いでいる事を強調して

いるのが特徴的ですね。

一旦は伝統を踏襲しつつ、少しづつ意義を考えつつ替えるべきもの

は変えていくというのが必要ですよね

でも東宮の場合は「やりがいのある公務」ですから・・・・


 

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