ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

秋篠宮殿下 46歳に8

2011-11-30 10:14:59 | 皇室報道

 定年制について

記者;天皇陛下の公務に対して、定年制を設けたらどうかというような意見もありまして、

例えばある程度の年齢になればご公務というのを減らして、

国事行為に専念していただくという、そういう制度をもう考えていくべきではないか

という意見もありまして、私もなるほどと思ったんですけども、

殿下はこの制度から見直すという、そういう考え方というのはどうでしょうか。

秋篠宮

「私は、今おっしゃった定年制というのは、やはり必要になってくると思います。

というか、ある一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだんいろんなことをすることが

難しくなっていきますので、それは一つの考えだと思いますけれども、じゃ、

どの年齢でそういうふうにするか。やはりある年齢以降になると、

人によって老いていくスピードは変わるわけですね。

だから、それをある年齢で区切るのか、どうするのか、そういうところも含めて

議論しないといけないのではないかと思います」

 

 記者の質問がかなり具体的で「定年制」の導入を秋篠宮が提言したように

  見せたいという思惑があったように感じますが、そんな事はなく「議論」に留めて

  います。

  ただ、現状では陛下の公務を名代として行えるのは皇太子のみなわけで。

  いくら秋篠宮が肩代わりしてあげたいと思っても制度上不可能です。

  ゆえに「定年制」の名の下にいっそ分けてしまうという考え方もあるんじゃないかと。

  皇太子に譲ってしまうと削除されそうな公務が多々あるから、陛下は自分で

  やろうとしているかもしれず・・・でも、それを制度の下に秋篠宮に譲れば、

  そこから眞子内親王・佳子内親王・悠仁親王と受け継がれていくわけですよね。

 今回の誕生日会見ほど考えさせられるものはなかったと思います。

  それだけ秋篠宮の立場が重要になってきたことなんでしょう。

 

 眞子内親王 鴨場接待に 

昨日、今日と両陛下は立て続けに公務をされて、いつの間にか元に戻った感じ

ですが、秋篠宮家では眞子様が鴨場デビュー

冬の恒例行事である「鴨場接待」は外国大使夫妻らを招いて行うもので、毎年

皇族方が持ち回りで担当。

(皇太子夫妻はもう何年も行っていないのですが、一説には不評だったらしい)

おととしも秋篠宮夫妻で今年はプラス眞子様というメンバー

20歳で早々に刈りだされる内親王も大変だと思いますが頑張って欲しいと思います。

 

 アエラ 「頼りになるのは秋篠宮さま」 

今日発売の女性週刊誌に「皇太子殿下は名代の仕事と自分の公務で疲れて

倒れるんじゃないかと思った」「疲れからか不機嫌だった」と書かれてしまった

皇太子。

でも、皇太子の仕事が名代も含めてそんなにハードでない事は「日程」を見れば

一目瞭然(っていうか、今までが暇すぎたの)

名代から解放されたら途端に暇になっちゃう皇太子っていうのも悲惨。

今週の「アエラ」には秋篠宮両殿下がいかに忙しい日々を過ごしているかが

書かれています・・・(多分具体的に出てきたのは初めて)

 被災地訪問・・両陛下と皇太子は自衛隊機で直接飛ぶが、秋篠宮家は

  公共交通機関と現地の手助けで動く。

 今回は「被災地の負担にならないように」との事で全て宮家の車で賄う事に。

 宮家の運転手が前日に現地入りして待ちうけて両殿下を運ぶ。

 5月25日早朝 → 両殿下は新幹線と車を乗り継ぎ5時間かけて遠野に

                行く。その後1時間半かけ大槌町に。

                1時間半かけて遠野に戻って宿泊。

 5月26日 → 宮邸帰宅は午後10時すぎ。

   5月27日 → 紀子妃は結核予防会へ

   6月17日 → 宮邸を8時半に出てくるまでいわき市へ。帰宅は午後6時半。

   6月27日 → 午前7時半に宮邸を出て8時12分発n新幹線に乗って気仙沼。

             午後8時過ぎに一関から新幹線で東京に着いた尾は11時。

   6月28日 → ハンガリー大使夫妻接見と結核予防会。

   7月8日 → 新幹線で石巻入り。東京に戻ったのは午後9時45分。

 8月、紀子妃は栃木県での被災地を招いてのボランティア活動に4日間参加。

  2日間は1泊2日。残りの二日は東京から通う。

 

  7月の日程は こちら

   6月の日程は こちら

    5月の日程は こちら

 宮家の運転手さんは「お休みを貰えますから」と言ってるそうだけど、先々に

  先回りして行くのは大変だろうなと思います。

  私も昨日1日古川・仙台デ銀行周りをしましたが、全部車だったけどでもやっぱり

  疲れましたもの。

 紀子妃の4日間に及ぶボランティアは全く知られていませんでしたね。

  すごい事だと思います。人知れずそういう交流をされる事が「宮家のありかた」

  と考えているんでしょう。

  秋篠宮家にこそチャーター機が必要なのでは

  日帰りで一箇所しか行かなかった皇太子夫妻が自衛隊機を使うなんて・・って

  当時もネットでは批判されていたんですけど、宮家の大変さが表面化すると

  余計に皇太子一家が疎ましい。

 女性宮家が云々されていますが「皇室のあり方」を問う時、「存在するだけでいい」

  内親王や女王は不必要でしょう。

  総理大臣に精神障害者がなってはいけないのと同じように、今時の皇室に

  「適応障害」の妃と「精神障害の女帝」は絶対にダメなんです。田原総一郎さん。

  「愛子女帝で何が悪い」とおっしゃっているようですが、人数が少なくの密度が

  濃い活動を求められるからこそ、皇族の質の高さを求められるんでしょう。

  それがわからない人こそ皇室を語るなかれです。

 真面目で仕事を一生懸命しつつ過程を守り・・・という家が常に経済的にも

  負担を迫られ、週刊誌から叩かれ、反日勢力から貶められるのを見るのは

  日本人として辛すぎます。

  秋篠宮家がきちんと日本中から祝福される事が日本の本当の「復興」では

  ないかと思います。

 

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秋篠宮殿下 46歳に7

2011-11-30 10:07:11 | 皇室報道

 これからの抱負、

両陛下・皇太子殿下との思い出

秋篠宮

「この1年、私の公的な活動、それから研究などを通して言いますと、

やはり、一番にあるのは東日本大震災であります。

私たちも各地を訪れて、そこで被災された方たちにも会って、その当時の様子などを

聞いたりもいたしました。

その中で、先ほどともちょっと重複になりますが、肉親を亡くした人もいますし、

家が流された、それから原子力発電所の事故があって避難を余儀なくされている、

そのような人たちが、これは私がお会いした人たちですけれども、

その多くがより前向きに日々を過ごしている様子が、私は非常に、

この1年を通してみても印象に残っております。

 そして、そのような中、8月の上旬に全国高等学校総合文化祭が福島県で

開催されました。

当初は開催をどうしようかということが随分いろいろ議論になったようで

ありますけれども、全国から高校生が集まって、これはひとえに実行委員会の熱意に、

それから努力によるものだと私は考えますが、残念ながら幾つかできなかった

種目(部門)はあるものの、かなりのものを行いました。

 開会式で行われる構成劇も、今回の震災が起こる前までに用意して

いたものではなくて、震災が起こってから、日本、被災地の復興ということを考えた

「ふくしまからのメッセージ」というタイトルだったと思いますが、

そういう構成劇を新たに地元の高校生たちが作ったわけですね。

私は、福島県の高校生がそのように非常に生き生きと今回活動し、

さらに全国から高校生が大変な数、福島県に集まったという様子を見た時に、

非常に大変な状況の中に、何か明るいものを見た感じがいたしました。

 一方、ご質問にあった、研究、私の行っている研究についてですけれども、

昨年までかなり長い期間、タイの研究者との共同研究を行っておりまして、

それがまあ、(紀子さまを見つめて)昨年でいいのですよね。

紀子妃 はい

秋篠宮

「昨年の3月に、サイアム・ソサエティーというところから本として

出版されております。

それで、最初のフェーズは一応一段落ついたという感じはします。

ただ、やり残していることもまだたくさんあります。

これは抱負のようなものになるのかもしれませんけれども、

そこでやり残したことというのを、またもう少し続けてみたいなと。

私の研究は、キーワードはドメスティケーション(家畜化)なのですね。

タイの人たちと一緒に仕事をしながら自分自身で感じるのは、鶏の

ドメスティケーションを考える時に、タイのみでなくて、もっと広くアジアを見る

必要があるし、もうちょっと言えば、他のヨーロッパとかそういうところに、

世界的に広がっているものを知る時に、やはり、そういうところを少し

見ていかなければいけないなという気がしました。

 私の場合、時間を長く取って、海外の方に調査に行くということは

なかなかできませんけれども、何年かに一度くらいはですね、現地へ足を運んで

、自分で実感をしてみたいなと思います。最近、現地に足を運ぶことが

意外と少なくなってくると、大学で講義をしていても、最初の頃はかなり

自分の体験に基づいて話をしていたのが、だんだん人の受け売りが多くなってきて、

若干それについて、恥ずかしいこともあるものですから、そんなことも今少し

この1年を振り返って考えているところであります。

 それから、両陛下ですね。両陛下との交流という点で言いますと、

毎年例えば葉山であるとか那須であるとか御料牧場であるとかに、

ご一緒する機会があります。

葉山はちょっと短めなことが多いのですけれども、今年も2回ほどは葉山に、

紀子さまに確認して)2月と6月の2回ですね。

紀子妃 (秋篠宮さまをみつめて)そうでしたね。

秋篠宮

「ご一緒しましたけれども、夏の期間にはうまく時間が合わなくて、

ご一緒する機会はありませんでした。ただ、長男が夏の時期に、

昆虫採集に興味があるというのか、虫を探すことに興味があったものですから、

この赤坂御苑よりも恐らく種類数でいうと、皇居ははるかに多いと思うのですね。

そういうことから、夏の一番虫の多い時期にはほぼ毎週に近かったですよね。

紀子さまを見つめて

紀子妃 はい

秋篠宮

「皇居の方に行って、御所でごあいさつして、それで虫取りに吹上御苑に

行くということがありました。

そのような時に、陛下も息子の虫好きを知っておられますので、

普通だったら草刈りをしてしまう所をそのままに残して、虫がたくさんいられるような

環境を作っておいたりとか。

それから、暑い時期、当然短い期間ではありますが、ほとんど(毎週)家内と

息子が二人で虫取りに出かけていくわけなのですけれども、

それでも短時間、息子の悠仁に誘われるようにして、(陛下も)ご一緒に

昆虫採集……。(少し考え込む)

紀子妃 (秋篠宮さまを見つめて)虫探し?

秋篠宮 (紀子さまを見つめて)虫探し?

紀子妃 (秋篠宮さまを見つめて)観察も……。

秋篠宮 「観察、そういうことがよくありました。

 皇太子同妃両殿下のところとの交流については、残念ながらそれほど

多くはありません。

ただ、先ほど家内がお話ししたように、秋口でしたか、みんなで集まった時に、

子供たちが集まって、非常に和やかというか、にぎやかというか、

一時を過ごしていたということが私には印象に残っております。以上です」

 

 福島の「文化祭」について、ここまで具体的に色々語って下さったら、頑張った

  主催者や高校生達も嬉しいのではないかと

  ただ式典に参加して視察するだけではなく、開催の立ち上げからきちんと話をして

  調べてその上で成果を見る・・というような手順を踏んでいる事が素晴らしいです。

 研究者としての秋篠宮殿下の具体的な悩みを聞いたのも今回が初めてでは

  ないかと思います。もっと勉強したい、もっと調べなくちゃ・・という焦りも感じ

  られますが、多分、今後はさらに時間がなくなるかも

  「水の研究」といいつつ何も愚弟的に出てこない皇太子とは偉い違いだなあって。

 陛下とのエピソードは出てくるのに、皇太子との話しになると

  「残念ながらそれほど多くありません」というもんきり調。これっていつかの

  陛下の「お話できることはありません」にそっくりで。

 

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秋篠宮殿下 46歳に6

2011-11-30 10:04:02 | 皇室報道

 陛下の健康・公務について

秋篠宮

「天皇陛下の公務、それから両陛下の公的なお務めとご健康のことというのは、

非常に関係してくることだと私は思います。いわゆる公務と言われる国事行為は、

数を減らすとかそういうことはできないわけですね、臨時代行とかでない限り。

それ以外の公的なお務めについては、何年か前にそのようなことから、

負担軽減が図られております。

例えば、行事の内容を少し短くするとか、行事の間にちょっと休憩、

ポーズを入れるとかですね。それから非常に大きかったのは、

お言葉を無くす行事が大分多くなりました。

 ご承知かと思いますけれども、陛下は一つ一つの行事におけるお言葉というのを

非常に大切にしておられますので、それに使われている時間、

労力というのは大変なものがあります。そのようなことから、

ご自身も言われていますけれども、かなり軽減は図られてきたものと思います。

 ただ、本年のことを言えば、東日本大震災が起こり、

その後の各地へのお見舞いがあったり、大震災の被害等に伴う進講が

あったりなど、お務めの量が非常に多かった、

ある意味特別に多かった年だと言えます。

この1月から11月までの間で見ましても、ここ数年の中では断トツに今年が

多いというのは事実です。

 やはり両陛下とも喜寿を過ぎておられます。

そのようなことからも、今までにかなりの公的行事の見直しということは

なされてはおりますし、年を取っても、ある程度の忙しさがあることが

健康を維持する上では大事なこともありますけれども、宮内庁には、

これからの行事の在り方を今の状態でずっといいのだという認識ではなくて、

常に医師とも連携を取りながら柔軟に対応していくことが私は必要だと思っております」

 

 要するに「父上は非常に頑固者なので、仕事に手抜きをしない。手抜きしてって

  言ってる訳じゃないんです。お願いだから自分の年齢を考えて欲しいと

  申し上げているだけです 全部減らせとはいいません。でも休憩をこまかに

  取るとか・・プライドを傷つけない程度に色々出来るんじゃないでしょうか?

  宮内庁と医師とでそういう「休憩」時間を考えて欲しいです」

  って仰っているんだろうと。

  とにかく昭和ヒトケタ世代は「自分が頑張らなくて誰がやる」みたいな使命感に

  燃えてますし子供に譲るっていうのは『プライド」が許さないんですね。

  「楽が出来てよかった」とは絶対に考えない世代ですから、子供は大変です

  「息子」秋篠宮の思いが伝わってくるような印象ですが、そういうのって

  本来は「長男」が考えるべきじゃないの?

  ああ・・「宮内庁が考えるべき」ってお兄様は逃げましたっけね。

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秋篠宮殿下 46歳に5

2011-11-30 10:00:59 | 皇室報道

 皇位継承問題について

秋篠宮

恐らく皇室が今後どういうふうに存在するのか、その在り方と関係すると思います。

私は以前に皇族の数が少ないことは国費負担という意味において悪くはない、

ということを申しましたが、この考えは今でも変わっておりません。

一方、現在の皇室というものをそのまま維持していくためには、

やはり一つの集団というか、ある一定の数というのは当然必要に

なってくるわけです。

国費負担の面、一方で、今ご質問にもありました、

活動の幅、継承、そういうことを合わせて、それにふさわしい数というのは

多分あると思いますけれども、それは私には分かりません。

 いわゆる皇室の制度については、皇室典範があります。制度論については、

これは国会の論議に委ねることになるわけで、私が何か言うということでは

ありませんけれども、その過程において、今後の皇室の在り方を考える時には、

何らか、私もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあって良いと

思っております

 皇太子殿下との皇室の将来の在り方について(のお話)ですけれども、

今年は少し私が怠けていたところもあるかと思います。

去年ほどそれについての話はしておりませんが、

話し合いをしたことはあります。

ただ、その内容については、ここでは控えたいと思います」

 

 質問している記者団にしても殿下にしても「皇統」の問題をとても真剣に考えて

 どこからか解決策を見出したいとの感情が伝わってくるような、内容の濃いお話です。

 戦前から昭和天皇の時代にかけて皇室、天皇はそこに在るだけでいい存在でした。

 でも今は「その在り方」が問題であるとおっしゃっています。

 ただ存在するだけでなく「何のために、誰の為に何をどうするか」という事。

 昔と考え方を変えられない人が単純に「女性・女系で悪いか」と言ったり

 「皇室に対して民間人が言うべきでない」というような発言をするのではないでしょう

 か。

 皇太子との話し合いについて「私が怠けていた」と兄を庇った殿下。

  でも本当は怠けていたんじゃなくて皇太子の方が避けていたんじゃないですか?

  夏に那須へ行った時も遊びにでかけて会おうとしなかったし、秋篠宮家のお祝い

  事は完全にスルー (着袴の儀に静養をもくろんでいた程だし皇后陛下の

  お祝い御膳も途中退席)

  なのに愛子内親王を宮邸で遊ばせるってどういう事?

  眞子様が東宮御所に成年の儀で挨拶に行った時も出てこなかったでしょ?

  庇ってあげる必要なんかない。ひどいお兄さんですもの。

 制度上の問題について「わたし、もしくは皇太子の意見を」というのはまっとうな

  話で、いつも「控えさせて頂きます」と「プライバシーの問題」しか言わない

  皇太子に比べると、今回の秋篠宮殿下の言葉は肝が据わっているというか

  あえて矢面に立とうとしていらっしゃるんだなと感じました。

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秋篠宮殿下 46歳に4

2011-11-30 09:00:56 | 皇室報道

 悠仁親王殿下について

秋篠宮

「去年おととしくらいでしたか、教育方針ということについて質問をいただきましたが、

私は基本的にその時と同じ考えで、これから幼稚園、今、年中組ですけれども、

年長組それから小学校、中学校、高等学校と進んでいく中で、

きちんと社会生活を送れるようになってもらいたいなと思っております。

 また、そういう中で、ある時期になれば自分の立場もきちんと認識しなければ

いけませんけれども、それと共に自分が関心を持っていることを

伸ばしていってくれたら

良いと思います。ただ、やはり若いうちというか子供のうちというのは、

できるだけ広くいろいろなものに触れておいた方が、裾野が広がると言いますか、

よろしいと思いますので、そういう方向に、サジェスチョンのようなことがで

きれば良いかなと思います。

紀子妃

「教育方針についてですが、確か一昨年、それ以前にもお話ししましたように

基本的な生活習慣や身につけるべきことは年齢に合わせてございますので、

大切に学べるように心がけたいと思いますし

先ほど宮様もお話しされましたけれども、

幅広い経験を重ねていくことも大事だと私も思いますので、

生活の中でそのような機会を考えたり、環境を作っていくことができたらと思います。

 毎日、元気に幼稚園に通っており、集団生活の中でお友達と一緒に

遊ぶことで喜びがあり、楽しみがあり、また、さまざまな経験をすると思いますし

、幼稚園から戻ってきてから、あるいはお休みの日に、悠仁が関心を

持っていることや、してみたいことができるような機会を作っていくことが

できたらと思います」

 

 悠仁親王と内親王方のふれあいについて

秋篠宮

「そうですね。成長ぶりですけれども、同じ屋根の下に住んでいますから、

毎日のように顔を合わせていると、連続的に変化していくものというのは

なかなか見えないですね、私からは。ただ、確かに去年の誕生日と

今年の誕生日では、体も大きくなっていますし、それから、例えば、

木にすたすたと登っていくのを見たりしますと、去年だったらあまりできなかったの

かなと思ったりすることもあります。

また、一緒に本を見ながらあれこれと虫や恐竜のことなど、

話す会話の量も増えて。そんなところが成長の様子なのかなと感じます。

また、これも非常に不思議なことですが、先日、いわゆる「着袴(ちゃっこ)の儀」と

いうのが行われましたけれども、何となく、袴(はかま)を着けると大きくなったように

見えてくるのですね。紀子さまを見つめて)私だけかね。

紀子妃 「紀子さま (秋篠宮さまを見つめて)私もそのように(と、うなずく)。

秋篠宮 「そんなところが成長のその様子と言いましょうか。後は何でしたか」

      そうですね。そのあたりはどうでしょうね。上の二人の娘とよく何か

       鬼ごっこをしたり、鬼ごっこって言うのかな。(紀子さまを見つめて)

紀子妃 「(秋篠宮さまを見つめて)走り回ったり」

秋篠宮 「走り回って遊んでいることはあるけれども。(紀子さまを見つめて

   どうでしょう。

   私はあまりよく知らないので……。

紀子妃 「そうでございますね。今年は、敬宮(愛子)さまと子供たちが

一緒になる機会というのは限られておりましたが、一緒に4人で過ごしている時は

いつの間にか子供たちだけで楽しそうに語り合ったり、また、敬宮さまが宮邸の

方にいらした折には、

いろいろなおもちゃがございますので、皆で楽しめそうな物で本当に

声を弾ませながらおもちゃを積み上げたり……。

 後は、4人の中で悠仁が一番小さいものですから、3人のお姉ちゃまの周りを

うれしそうに走り回ったりすることもございまして、そのような、ほほ笑ましい光景を

目にすることが度々ございます。

以前から御所に参内させていただきました折も(4人の)子供たちでいろいろな

楽しい話をしていることもございましたように、こちらの宮邸でも、20歳から5歳まで、

15歳の年齢差はございますが、あまりそういうことも感じないような楽しい空間を

作って。

秋篠宮さまを見つめて)

秋篠宮 「(紀子さまを見つめて)そうね。

       子供たちが4人でいるととてもにぎやかな。ありますね。

紀子妃 「そのようなこともありますからでしょうか、11月の上旬に敬宮さまが

入院されました時、子供たちも心配しておりましたが、その後にご回復されたことを

伺い、とても安心しておりました。

 質問前半の悠仁の成長ぶりについてお話をさせていただきます。

長男の悠仁は、9月に5歳になりました。幼稚園での生活も1年半がたちまして、

随分慣れてきたように感じられます。恐らく、年少、そして今、年中として、

いろいろと行事に参加したり、また遊びも広がったりする中で、

昨年に比べると積極的に関わる姿が見られるようになったと聞いております。

例えば運動会についてお話しいたしますと、昨年は初めての運動会ということも

ございまして、他の年少のお友達と共に、運動会っていうのは何だろうかと、

むしろ戸惑って少し立ち止まって考えるようなこともございましたけれども、

今年は随分いろいろな競技やお遊戯でしょうか、楽しそうに元気に参加している

様子が見られまして、そういうところでも成長を感じました。

秋篠宮 「(紀子さまを見つめて)何度も手を振ってくれたね」

紀子妃

「(秋篠宮さまを見つめて)大分心に余裕があったのでしょうか、

うれしそうに満面の笑みで手を振っていました。また、宮様が玉入れをしている時も

「頑張って」って他の子供たちと共に応援をしたりもしていました」

秋篠宮 「(紀子さまを見つめて)それは玉入れをしていたから

    私は分からないですけど」

紀子妃 「(秋篠宮さまを見つめて)勝ちました時はとてもうれしそうにして

いました。

 その他に、運動に関連してということになりますが、私たちが5月に岩手県の

山田町を訪れました。そこの小学校で体育の授業、体育館で全校生徒が

体操を見せてくださいました。海の子体操でしたでしょうか。

音楽に合わせて、とても活発な動きをいたします。夏休みのことなのですけれども、

その海の子体操のDVDを悠仁と一緒に見る機会がございまして、それを見ましたら、

悠仁が海の子体操をしたくなりました。動きが小学生向きで、

難しい動きもございましたが、悠仁なりに頑張って毎日というか、時間があると

一日に一回するようなことをしておりました。

 一人ではなく、私はそばにいることも多いので私と一緒にしたり、

また父親とも一緒にしたり、元気な自分の姉たちとしたいということもあって、

家族一緒になってしておりました。何か自分のしたいことをできるようになりたい、

そういう気持ちを表現するようになってきたことも、大きくなったと思う時でした。

 最近関心を持っていることを一つお話しいたしますと、

紙工作という言葉でございますでしょうか。(秋篠宮さまを見つめて)

秋篠宮 紀子さまを見つめて)ペーパークラフト。

紀子妃 「(うなずいて)ペーパークラフトに凝っております。図鑑を開いて、

例えば魚とか恐竜とか、何か良さそうなものを選んでそれを紙に描いて、

はさみで切って、そして色を塗っておりますけれども、恐竜などは非常に大きなものが

ございまして、そういうものは紙を貼り合わせて作りました。

出来上がった喜びを家族にも伝えたくて、私たちが出かけている時は戻ってから

「できたよ」って報告したり、大学や高校から戻ってくる眞子、

佳子に早く見せたいということで、心待ちにしていることもございました」

 

 愛子内親王は宮邸に遊びに来るのに東宮御所には呼ばないのね・・・・

  もうすぐ10歳の子がおもちゃを積み上げて遊ぶのか・・・

 悠仁親王の「海の子体操」と秋篠宮殿下の「玉いれ」みたいっ

  それにっペーパークラフト・・私は紀子妃のようにほほえましくみていられません。

  だって紙くずがすごい事になるんですもん。悠仁親王はちゃんとお片づけも

  しているんでしょうね・・・偉いなあ。

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秋篠宮殿下 46歳に 3

2011-11-30 09:00:18 | 皇室報道

 眞子様のご結婚は?

秋篠宮 「(ほほ笑みながら)彼女が、この前会見で、父親が自分の年齢の時には

既に結婚のことを考えていたようだけれども、自分はまだそういう考えはないと

確か言ったと思います。確かにそれはその通りですし、私たちも割と早く結婚

しましたけれども、これはあくまでも本人次第ですので、考えというのは今のところ

私には、特にありません」

紀子妃 「宮様と同じように、結婚についても、本人の気持ちを大切にしたいと

      思っております」

 

 佳子内親王について

秋篠宮

「私も時々次女と進路については話すことはあります。ここで具体的なことはお話し

できませんけれども、娘なりに恐らく真剣に今後の進路のことについて考えていると

思います」

紀子妃 「次女の佳子は今高校2年生でございます。

中学に比べますと高校の授業は選択科目が増えまして、自分の関心や

興味を深める機会が多くなっているように思います。これからの進路については、

長女の眞子の時と同じように娘の考えや希望を聞きながら、

少しずつ具体的に詰めていく過程を見守ってまいりたいと思います」

 こんなに具体的に内親王一人ひとりについて質問が来るというのも

  初めてではないかと。本当によくお話されてるという印象です。

  でも年頃の娘の気持ちは殿下より妃殿下の方が・・・ねえ・・・お父様としては

  戸惑いがあるように見えるのですが。

  (そういう質問をされていた両陛下の気持ちがやっとわかる?)

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秋篠宮殿下 46歳に 2

2011-11-30 08:59:36 | 皇室報道

 眞子内親王について

秋篠宮

「私たちが結婚したのが90年で、眞子が91年に生まれました。私たちが今まで

21年間、娘が生まれてからだと20年間ですが、この時間というのは割と

すーっと過ぎて、あまり時の経過を感じないように思うわけですけれども、

生まれた子供が二十歳になる、その成長を考えると、やはりそれ相応の

時間がたったのだなという感じがいたします。

 20年間の思い出と言いますと、私はそんなに娘と遊んだりとかはしなかったの

ですけれども、やはり、二人でどこかに行ったということが印象に残っております。

子供の頃に水族館に連れて行ったこととか、神宮の次期式年遷宮が

ありますけれども、

その関連行事の御木曳(おきひき)に二人で行ったこと、それから、

海外も2回ほど二人で行きました。

 海外にはマダガスカルとラオスに行ったわけですが、やはり一緒にいる時間が

長い分、

例えば長いドライブをしている間とかに、いろいろ話をしたりしました。

そういうことが、私の記憶にはよく残っております。

比較的いろいろなものに興味を持つ子なものですから、どちらかというと父親の

興味に付き合ってくれていると、合わせてくれているというところもありますけれども、

そのようにして二人で行ったいろいろな所のことが、良い記憶として残っております」

紀子妃

「小さかったと思っておりました長女の眞子も、いつの間にか成長して

二十歳を迎えましたこと、感慨深く思っております。

小さい時のことを振り返りますと、眞子は本を読むこと、それから絵を描くことや

外で元気に遊ぶことが大好きでした。

 どのような思い出があるかと振り返りますと、たくさんございまして、

宮様のように具体的にどれにしようかと悩んでしまいますが、普段の生活の中で

、とても元気に楽しいことをたくさんしてくれた娘のように思います。

一緒に外で遊んだり、本を読んだり、お菓子を作ったりなど、一つ一つ小さなこと

ですけれども、私にとりまして、とても大事な思い出になっています。

 この20年の流れは、ふと今日感じましたことの中に、長男の悠仁と本を

読んでおりましたのですが、その本が実は眞子が小さい時に読んでいた本で

ございました。眞子と一緒に読んでいた本で、表紙も大分読み込まれたようなもの

でしたけれども、それを手に取って悠仁に読んでおりました時に、

小さい頃から本が大好きだった娘の思い出がよみがえってきました。

 眞子と一緒に読んでいた本、または、眞子が読んでいた本を次女の佳子が読み、

今は悠仁が読んでおりまして、何かそのように一つの本が大事に

読み継がれていくの

をうれしく、また、時がたっていることを感じました。

 先ほど、小さかったと思っておりました娘がと言いましたが、随分大きくなったと

いう印象もございます。どういうところでそのように感じるかと申しますと、

例えば、日々の生活で私がいろいろな務めや用事で慌ただしくしておりまして、

いつの間にか肩に力が入り過ぎたりしたような時は、緊張をほぐすためにでしょうか、

面白い話をしてくれます。

 また、これは私が小さい時からそうなのですが、時折、話すテンポが、子供たち、

(秋篠宮さまを見つめて)宮様からも遅れてしまうことがございまして(一同笑い)、

そういう時には、さりげなくフォローする言葉をかけてくれまして、私も大変助かります。

 娘が二十歳を迎えましたが、その成長の過程では、両陛下が初めての孫としても

、いつも優しく見守ってくださり、また、私が子どもを育てる上でも、

多くのことを教えていただきました。

今日まで娘を温かく見守ってくださった方々に感謝しますと共に、

また、これからの日々、

娘そして(秋篠宮さまを見つめて)家族と共に充実した日々を

過ごせるようにと願っております」

 

 成年皇族として。

秋篠宮

「私は、何か公的な行事を依頼された場合には、せっかくいただいた機会ですので、

それを一つ一つを大切に一生懸命務めるようにと申しております。

紀子妃

「成年として、公的な活動に携わっていくようになりますが、この前、ブータンの

国王王妃両陛下をお迎えする、

秋篠宮さまを見つめて。秋篠宮さまはうなずかれる)

歓迎申し上げる宮中晩さん会に出席させていただきました。

 成年を迎える前のことを少し思いますと、宮様と私は、娘たちと共に、

例えば全国高等学校総合文化祭や、少年の主張全国大会など、

娘たちと同年代の人たちが参加する行事に出席して、またその行事についての説明を

一緒に受けて理解を深めるよう心がけておりました。

 これから一緒に出席する行事がどのくらいあるか分かりませんが、

一つ一つ携わらせていただくお務め、行事など、その経験を大事に積み重ねながら、

また、さまざまなことを学びながら良い務めを果たしていけるように願っております。

 また、公的なお務めをさせていただく中で、娘は今、他の学生と共に勉学に励み、

また、クラブ活動に参加して、若くてさわやかな学生生活を送っていますが、

宮様の時もそうでいらしたと思いますし、また、他の皇族の方も、

学生生活に重きを置きつつ、公的な活動に携わられていらしたと伺っております

ので、

娘もいろいろと考えながらお務めしていくことになると思います」

 

 下の子を見て上の子を思い出す・・ありますよね。うちの場合はジュニアが着ていた

 コートをヨンジュナが着ている時や、絵を描いている姿などに感じます。

 ご両親として内親王教育にひとかたならない教育を慎重い授けてこられたのだなあ

 と感じました。

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秋篠宮殿下 46歳に1

2011-11-30 08:13:28 | 皇室報道

 秋篠宮殿下、お誕生日おめでとうございます

歳を重ねるごとにダンディなジェントルマンにおなりで。

「皇室一身長が高くて、皇室一ハンサムで、皇室唯一皇位継承者の父」

今後ますます皇室での重責が待っていることでしょう。

日々の努力を見ている身としては一日も早く、そのご活動が報われるようお祈り

する事しか出来ません 

「日本人とは何か」を身を持って証明して下さる両殿下に神々のご加護がありますように。

 記者会見 全文 

 大震災発生当時について

秋篠宮殿下 

3月11日に東日本大震災が発生し、多くの人々が亡くなり、また行方不明になり、

そして今でも大変多くの人たちが困難な生活をしております。

震災が起きてしばらくしてから、私たちも最初は被災地ではなく、被災者で東京を

はじめ他の県に避難している人たちの所へお見舞いに参りました。

 その後、被災地の方へと行ったわけですけれども、今回の被害が非常に広域に

わたっているということから、まず、被災地の中でもどこに私たちが行くべきか

ということを考えました。

そして、こちら二人(秋篠宮ご夫妻)が何らか縁のある場所、縁のあるというのは、

その地域に縁(えにし)あるということもありますし、また、二人とも

幾つかの団体に関連しておりますので、その関連する団体に関する、

そういう所を中心に行こうということになりました。

 そして、東北地方を回ったわけですけれども、印象に残っていることと言えば、

私はやはり、それまでテレビなどの報道を通して流れてくるニュースはもちろん

見ていたわけですが、実際にその場所に行って目の当たりにすると、

私たちが行きましたのは震災からしばらくたってからのことではありますけれども、

いまだに倒壊した家屋がたくさんあり、その当日の被害の大きさというものを

改めて実感しました。そのことが最初に強く印象に残ったことです。

 また、そういう大変な状況の中にあって、私たちが接した人々というのは、

本当に限られたわずかな人たちですけれども、その人たちが非常に前向きな姿勢で

一日一日を過ごしているという印象を持ちました。さらに多くのボランティアの人が

活動している場面にも接しましたし、自衛隊員の人たちが作業をしている場面を

見かけることもありました。非常に多くの人たちが、震災に対して誠意を持って

接している、手伝いをしているということが印象に残っております。

 そして、もう一つ、私の印象として強いものは、私は多分99年でしょうか、

今回大きな被害のあった岩手県の大槌町に大学(総合研究大学院大学)の

プロジェクトの研究会で行きました。そして、それから3年後、02年に今度は、確か、

「自然と共生するまちづくりシンポジウム」だったと思いますけれども、

シンポジウムのパネリストとして行っております。

その折には、家族も途中から合流しておりますが、今回、大槌町と山田町に

行きました時

に、そのシンポジウムの時に会ったとか、シンポジウムに自分も参加していた、

そういう人たちが非常に多かったことに私自身も驚きました。

 これだけ多くの人たちと、その場所において、同じ空間で、同じ時間を過ごしていた

ということを改めて認識しましたし、その人たちにも再び会えたことをうれしく

思いました。

 その次は、被災者の方々にどのように心を寄せていくか、ですか。

 やはり、今回の震災(の復興に向けた取り組み)は非常にこれから時間もかかり、

長期的なものだと思います。

従いまして、長期的な視野で今後の復興を見守っていきたいと思いますし、

携わっていきたいと思います。

そして、末永く被災された方々に心を寄せていきたいと考えております。

 また、ちょっと質問と順番が変わるかとは思いますが、こういう大きい災害が

起こった時の皇室の役割についてですけども、私は皇室の役割、それから、

私でも家内でも良いのですが、皇族個人の役割、その二つは少し分けて考えた方が

良いように思います。

皇族である個人の役割というのは、個人によって違ってくると思いますし、

それぞれのやり方があると思いますけれども、皇室の役割ということになりますと、

先ほど申しましたように、被災した地域の復旧・復興を長期的な視野で

見守っていくことであり、被災者に対しても末永く心を寄せていく、

そういうことではないかと思います。

 3月11日のその日、地震が起きた時は、私たちはちょうど来客中でありました。

最初、それほど大きくない揺れでしたですね。

ただ、ずうっと揺れが続いて非常に途中から大きくなってきたものですので、

私たち二人と話をしていたお客さんと一緒に一時、外へ避難いたしました。

紀子さまを振り向かれて)私だけか。

 紀子さま (秋篠宮さまを見つめて)私は子供の様子を……。

 秋篠宮

「(紀子さまを見つめて)ああ、そうだ。私とお客さんは外に出まして、家内は

子供たちが家の方におりましたので、そちらの方の様子を見に行きました。

そして、しばらくしてから部屋に戻ったわけですけれども、その後は

基本的にニュースを見ながら、その時の状況を知ろうとしておりました。

私からは以上です」

紀子妃

今年は国の内外で、規模の大きい自然災害が起こり、心の痛むことの

多い年であったように思います。ご質問が幾つかございますが、

私の場合は、地震が起きた当日のことを振り返りながら、少し順番は

変わるかもしれませんが、当時のことを振り返りながらお話をさせていただいても

よろしいでしょうか。

 3月の11日、震災当日、先ほど宮様がお話しされましたが、

私たちは宮邸におりまして揺れを感じました。

状況を把握するために、ニュースを見たりしながら過ごしておりましたけれども、

報道から非常に規模の大きい地震、津波、そしてその後に

原発事故と複合した災害によって、多くの尊い命が失われ、また、

行方不明になられた方々、大切なものを多く失った方々がいらっしゃって、

たくさんの方々が、本当に私たちでは計り知れない深い悲しみと強い不安を

持ちながら過ごしていることを知りまして、胸がふさがる思いがいたしました。

 こうした災害時において、宮様もお話をされましたが、被災された方たちのこと、

困難な状況にある方たちのことに対して思い続けていく、心を寄せていくことは

(皇室の役割として)非常に大切でございます。

 震災後、宮様と一緒に私は、被災状況をなるべく理解できるようにと思い、

関係者からお話を伺いました。

また、それと合わせて避難所や被災地の学校、施設を訪れました。

少し宮様が話されましたことと重なりますけれども、

訪れた場所は、私たちが以前から関わっている団体が活動している地域を

中心に参りましたが、訪れた先では、大変困難な状況の中であっても、

お互いに助け合い、支え合いながら生きている人々の姿を目の当たりにして、

私たちが大きな力をいただきましたり、勇気づけられることも度々ございました。

 また、この震災では国の内外から本当に多くの心温まるお見舞いや励まし、

そして支援が行われてきました。

自分に何ができるかしらと思われた方も多くいらしたと思います。

大きな団体や組織、それから学校から個人のレベルまでさまざまな形で、被災地、

そして被災者に対して献身的な支えをしている人々の姿が多くございました。

 私が携わっております結核予防会も、震災直後から委員会を立ち上げまして、

被災地の人々の健康を案じ、医療機関と共に連携しながら被災地での医療、

そして健康支援を夏まで行いました。

宮様と訪れた場所でも、結核予防会の活動を見せていただき、お話を伺

わせていただいたところもございます。

また、母子愛育会という私が昨年の10月から携わっている団体も、

子供たちのための支援活動を行っております。

 大震災から8カ月がたちまして、時が過ぎても、被災地で暮らす人々、

住み慣れた土地を離れて暮らす人々、そして、大変な生活を余儀なくされている人々

に心を寄せながら、思い続けながら、人々の心身の健康や子供たちの成長を

長期にわたって見守る活動などを、これからも関わっていくことができれば

と思っております」

秋篠宮 「印象に残ったことは」

紀子妃 「印象に残ったことは、先ほどお話ししましたことと重なりますが、

被災された方々とお目にかかり、お話を伺わせていただく中でも、

ご自分たちが非常に厳しい、大変な状況で過ごしていらっしゃるにもかかわらず、

私たちが伺ったことに対してお礼の言葉や優しい言葉をくださったり、

いろいろな方と出会い、そして、いろいろな方の思いを伺わせていただきながら、

多くのことを感じ、また、その時を大切に思いましたことです。

 被災地では、子供たちが私たちに、夏ですからうちわとか、ビーズで

作った腕輪など、

秋篠宮さまを振り向かれて)それから風鈴もございましたか。

それは宮城県の小学生が作った……」

秋篠宮 「(紀子さまを見つめて)そうですね。

紀子妃 「子供たちの手作りの作品や大切に育てられたお花をいただきましたり、

手作りの「まけないぞう」でしたかしら、被災されたご婦人方がタオルで作られた

かわいい象を贈り物としていただきましたけれども、そういう物も手元に置きながら、

宮様そして子供たちと共に、今年起きた大震災について思い続けたいと思って

おります。

 また、私は先週も東北地方を訪れておりましたけれども、そのような中で、

地域地域の皆さまそれぞれのつながりがあり、また、強い絆を持って

過ごしていらっしゃることを改めて感じました。

それぞれの方が今、時間の経過とともに生活もさまざまでいらっしゃっていて、

その中でこれから寒さも厳しくなって、健康の面でも案じることがいろいろと

ございます。

何か話がまとまりませんけれども。(秋篠宮さまを振り返られて)」

秋篠宮

「(紀子さまを見つめて)じゃあ、ちょっとまとめるね。

 やはり、私が思いますに、いろいろな機会に、ここ何カ月かの間に被災地を

訪れています。私たち二人もそれから娘たちも行っておりますが、

これからだんだん復興に向かっていくその過程で、物理的に何かをするのは

難しいこともありますけれども、何らかの形で携わりながら見守っていきたいな

と思います」

紀子妃 「(秋篠宮さまをみつめて)ありがとうございます」

 

 記者さん達、暑くなかったですか?目の前の両殿下のやりとりを見て

  「いいなあ・・・結婚って」って思ったかもいたかも。

 未曾有の震災の話とはいえ、紀子妃がここまで具体的にしゃべるというのは

  今まであまりなかったかと思います。両殿下ともに携わる団体があり、なので

  より具体的に様々な思いが出てきたのだろうと感じました。また、皇室と皇族の

  役割をわけて考えると言うのも学者さんらしい一面ですね。

  同じ質問をされた皇太子がどう答えるか楽しみです。

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