バブルがはじけて大分、時間が経っていた。
各地で続く大きな地震、大震災、噴火・・・加えて地下鉄サリンにサカキバラ事件・・・
今まで日本人が経験した事のないような事件の連続に、時が経つのも忘れる程だった。
そんな中で景気は緩やかに、そして静かに下り坂となり、蟻地獄のような穴にずるずると
落ちて行く国民は落ちて行く。
自民党は、そんな蟻地獄からどうやって這い出したらいいかわからなくなっていた。
なんせ地価は下がり、株価も下がり・・・・そのスパイラルは日々スピードアップしていくような
気がしたからだ。
オブチ政権の業績はあまり国民に正しく知らされる事はなかった。
赤字国債の発行による公共事業を増やす政策や、国歌・国旗法や男女共同参画、日米ガイドライン等、それなりに
評価されるものが多々あるのだが、彼の功績として後々有名になったのは
「ばらまき」と呼ばれた「地域振興券」だった。国民一人あたり2万円の商品券をばらまくもので、貰える方は嬉しいながらも
馬鹿にしていた人も多かったのではないだろうか。
それから、2000円札の発行である。沖縄の首里城の門や紫式部をデザインしたお札が来年発行になる・・・といっても
多くの日本人は「何で今さら?」と思ったに違いない。
正直、このころのオブチ首相のやる事なす事、すべて「ズレてないか」という意識があったのは事実。
多分にそれはマスコミによってつくられたイメージだったのだが、自分の事で精一杯の日本人はマスコミに巣食う
反日組織の介入に気づいていなかった。
そんなオブチ政権が何とか支持率アップに・・・・と考えた事が「マサコ妃の懐妊」だった。
36になろうとしているマサコにぜひ親王を産んでもらい、日本がもう一度「おめでたい景気」に沸いて欲しい。
そんな意識からだったろう。
それがカマクラ宮内庁長官らの思惑と一致し、政府あげての「プロジェクトチーム」が発足したのだ。
そこに名前を連ねたのがツツミだった。
しかし、高い不妊治療費はどこから出すつもりなのか?それには一切誰も触れない。
ツツミは医者としてやるべき事をやるだけだ・・・と思いつつも、湯水のように使われる費用の出所に疑問を持った。
プロジェクトチームを立ち上げられては皇太子夫妻といえども逆らえない。
渋々同意する。事ここに至ってもマサコには事の重要性がわかっていなかった。
マサコにすればフランスドイツに行けなかった事が「恨み節」として頭から離れなかったのだ。
そんな2月に、突如、ヨルダンのフセイン国王死去の知らせが届き、皇太子夫妻は急きょ葬儀に出席する事になった。
思えば、中東訪問時に世話になった国王で、それを思えばしんみりとする筈だったのだが、
久しぶりの外国訪問とあって、マサコは非常にうきうきしていたのだった。
「妃殿下、今回は葬儀ですから」と、回りは喪服を揃え、とにかく格式にのっとった支度をするのだ、
当の本人はにこにこと笑っている。
ただ一つの不満はすぐに帰ってこなくてはならない事だった。
出来ればもう一度ヨルダンで素晴らしく贅沢な接待を受けたい。マサコのもくろみはそこだった。
しかし、実際に行ってみると、とにかく退屈の一言でしかも回りはしんみり。
(当たり前だが)
観光もなく、マサコにとってはつまらない海外旅行にすぎない。
それでも行かないよりはましだった。
国王の葬儀に参加するだけでもいい・・・と思える自分が情けなかった。
その後、宮内庁は埋め合わせのように北海道公務のついでにスキー遊びを加えたり、四月には浅草観光なども
入れてくれたのだが、マサコの気はなかなか晴れなかった。
澱のように心の中にずしっとたまっている「懐妊」の二文字。
とにかくこれを果たさないと誰も認めてくれそうにない。
学歴とそれにともなう権力を後ろ盾にし、それだけを信じて生きてきたマサコにとって、どうしても理解できない
「懐妊」の二文字。
不妊治療を受ける度に敗北感がつきまとい、どうにもならない。
そう・・これは敗北だった。
自分は宮内庁と天皇に負けたのだ。そうでなかったらこんな嫌な事をする筈がない。
「何よ。あなたは私を守るって言ったんじゃないの?なんでこんなにつらい事を強要するわけ?」
時々ブチきれて皇太子にあたってみるが、その度に皇太子はおろおろするばかりで要領を得ない。
「でも子供がいないと・・・・」
どんな歴史ドラマでも女性が権力を得る為には世継ぎを産むというのは必須項目。
そんな簡単な歴史を知らないマサコは、自分が崖っぷちに立たされている事がわからないのだ。
しかし、皇太子は違った。仮にも生まれつき皇族である。
自分の母が「民間」出身であろうとも、地位を確立できたのは自分という「世継ぎ」を結婚直後に授かったからだ。
今まで、男系男子が継ぐという事に疑問を持った事はなかった。
自分は生まれた時から「世継ぎ」であり、天皇の孫であり、皇太子の長男であったから。
けれど、今、マサコが子供をなかなか授からない事で、そんな制度自体にちょっと疑問を感じ始めている。
皇室外交させてやると口説いたのはほかならぬ自分。
しかし、子供が出来ないばかりになかなか外国にいけないという事実。
自分がマサコにあまり愛されていない事はうすうすわかっていた。
この結婚は失敗だという事も。それでも皇太子はあっさりと彼女を斬って捨てる事などできなかった。
なぜなら、この一人の気の強い女性に執着したのはやっぱり自分なのだから。
あの時、天皇も皇后も弟も妹も親族みんなが反対していた。それを単独で押し切った・・・あの達成感たらなかった。
今まで弟に感じていたコンプレックスが一気に解消したような気がした。
キコよりも学歴が上で美人で金持ちの女性をめとった自分。
そしてマサコもまた日本一名家の長男と結婚するメリットを選んだのだ。それはわかってる。
だからこそ、自分達夫婦はこれからも「夫婦」でなければいけない。
やっぱり間違っていました・・・・とは絶対に言えないのだ。
マサコとてそれはわかって言っているのだろう。
あたる所が自分しかないならサンドバックになってやるしかない。
そこには皇太子としてのプライドもへったくれもなかった。
ただただ、現実を認めるのが嫌な自分がそこにいるだけだったのだ。
その年の梅雨時、皇后の父が亡くなった。
皇后は深い悲しみに打ちのめされた。
先年、母を亡くした時もそうだったが、自分が皇室に嫁ぐと決めた時の父の顔が忘れられない。
あの時、黙って私を見つめていたっけ。
ただただうろたえるばかりだった母の隣で、覚悟を決めたような・・・あまりにも厳しい父の顔。
それは娘の結婚が決まって喜んだり、ちょっと悲しんだりする普通の父の顔ではなかった。
あの日から、父は会社と自宅の往復しかしなくなった。
酒が好きだった筈なのに、クラブにもバーにも行かなくなり、他人との付き合いに慎重になった。
日本でも有数の大企業の社長なのに、ひたすら目立たぬように気を遣い、娘の名前を一切出す事もなく
孫が生まれてもすぐに会う事も許されなかった。
いくら民間人とはいえ、あんまりだ・・・と思う瞬間も多々あったろう。
ショウダ家にはショウダ家のプライドがあるし、歴史に誇りも持っている。ただ爵位がなかっただけだ。
でも、ついに先帝に目通りも叶わなかった。
唯一、ヒロノミヤ達が研究所に見学に来た時だけ。あの時の父の表情は本当に幸せそうだだった。
半生を娘の為に犠牲にした父の寂しい死だった。
葬儀には皇后、そして皇太子夫妻、アキシノノミヤ夫妻、ノリノミヤが出席。30日間の服喪に入る。
しかし・・・・
わずかその1週間後にセツコの結婚披露宴が行われ、皇太子妃が姿を現したのだった。