「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、
痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。
その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、
台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、
戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、
戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、
決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、
日本再建の原動力となった事実を。
中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、
再び祖国の土を踏むことができた事実を。
米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、
互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、
日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、
それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、
いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。
戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、
すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
「以徳報恩」を逆手にとりましたか。
「痛切なお詫び」と「心からのお詫び」も入れました。
文章のニュアンスでいうと、「そういう気持ちを表明して来たけれど、そんな言葉で
遺族や戦争体験者の悲しみが癒える筈がない。
どんな言葉を尽くしても癒せないからこそ、日本は戦後、アジアの復興に援助してきたのだと。
要するに、「謝れ」と言い続け土下座させても、一時のすっきり感でしかないよ。って話。
だけど、そういう思いがわかるのは日本人だけで、中・韓は「復讐こそ最大のすっきり」
だから通じません。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から
向き合わなければなりません。
謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、
命をつなぐことができた。
そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。
それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、
米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、
恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。
歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして
世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、
この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、
平和的・外交的に解決すべきである。
この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。
唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、
国際社会でその責任を果たしてまいります。
そうだよ。私達や若い世代に「罪悪感」を埋め込んではいけないのです。
そんな事、亡くなった方々が望むでしょうか。
日本は唯一の被爆国です。原子爆弾を落とされた国。他に比類なき経験を
してしまった事はより一層「平和」を希求するものでしょう。
「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた
過去をこの胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。
二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、
世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、
自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、
世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。
暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、
医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして
堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、
「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、
そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
はい。よく出来ました。
左翼のプレッシャーの中でここまで言えば十分というしかないでしょう。
戦後70年を迎え、日本の為に戦い、散って行かれた方々に心から哀悼の意を表し
感謝の心を捧げます。
日本は今、とても暑い夏を迎えています。
70年前より約5度か10度は気温が高い夏です。
真夏の日差しをあびる度に「戦争中に生きていなくてよかった」と思ってしまう自分がいます。
もし、あの時代、子供だったら大人だったら、生き延びる事は
出来なかったでしょう。
体力がなく、体がよわい自分など、きっとあっさり死んでいたかもしれません。
戦後の日本の繁栄が私を生かしてくれました。
同じように体が弱く、生死の境をさまよった子供達も、無事に生きています。
全て皆様の犠牲の上にあるのです。
皆さまの働きは、当時、空襲におびえていた国民にとって大きな支えだったと思います。
皆さまの崇高な志を感じ、大人も子供も必死に耐えていけたのだと思います。
しかしながら70年後の現在、皆様の志が歪曲されて伝えられている事は
いなめませn。
あなた方が必死に守った少国民達の次の世代は、戦争を憎むあまり、
皆さまのお働きを正当に評価する事無く、現在に至っています。
そして残念ながら日本国籍を持ちながら日本に憎しみを抱く人達が
増えている事も事実です。
皆さまが生きた時代、価値観、生活様式の全てを否定するような動きがあり
若い世代は正しい歴史を知る事もないのです。
こんな日本になってしまってごめんなさい。
皆様が心の支えとし、今、共に眠る靖国神社は天皇も総理大臣も参拝できない
「触れてはいけない場所」になってしまいました。
こんな国は他にはないでしょうね。
どこの国の軍人も最高の栄誉で称えられるべきなのに日本だけは
「過去の罪」の象徴としてしまうのです。
それでも皆さまには「軍神」としてこの国の行く末を見守って頂きたいのです。
どうしようもない国になってしまったけれど、それでも見捨てないで欲しいのです。
いつかきっと・・・・まっとうな国になると・・・導いて欲しいのです。