びっくりしたというかなんというか。
まさか、自分たちが行った次の日にテロが起きるなんて。
日曜日の時点では、中国人ばかりの骨董屋が並び、本殿では七五三などの
祈祷が行われていて、とにかく人が一杯。
靖国神社ってこんなに若い人達に愛されているのかーーとちょっとほっとしたところなのに。
被害者がいなくて幸い。
というか、被害者を出したかったわけじゃないのよ。
もし被害者を出したかったらトイレになんか爆発物をしかけたりしない。
ただやだ新嘗祭をつぶしたかった。靖国って怖いとか思わせたかったからじゃないのか?
穏やかで明るい神社の雰囲気が一気に凍り付いてしまうような事が起きてしまい
心が痛いです。
たまたま前日だっただけで(時間帯は同じだったからーーほんと、ずれてたら大変)
いつどうなるともしれないのが人の運命ですね。
池上さんの番組は、ちょっと不愉快になる部分があるので見ないようにはしてるけど
やっぱり、どんなふうにミスリードしているか知りたいじゃない?
だから、一応見ましたよ。
そしたら、終戦の3日後にソ連が攻めてきた占守島の話。
今はロシアの領土ですか?
穏やかで綺麗な花が咲く島に、今にも動き出しそうな赤さびた戦車が。
日本の。
ここに駐留してた日本軍は終戦まで戦闘せず、8月15日に終戦を迎え
日本に帰る事が出来ると思っていたのです。
しかし3日後、突如ソ連が攻めて来ました。
スターリンは、日本との戦闘態勢は終わっていないと勝手に解釈。
後に北海道をドイツや朝鮮半島みたいに分割したいと思っていたようですね。
戦って生き残った兵隊は北海道に護送されると聞かされ、着いたところはシベリア。
「また騙された」と。
ところが、当のロシアでは「もともと占守島はロシアのもので、日本が奪った。
だから取り返しただけ」といい、
「日本兵がシベリアへ送られた記録はない」と大真面目に言う。
レポートした宮崎美子は「私はそうは聞いていない」と言ったけど、それ以上言えず。
そこへもってきて峰竜太が
「お互いに悪かったこととかちゃんというべき」と聞き取り方によって、日本を責めるような
言い方をしてました。
日本はソ連が攻めてきたとき、女学生を島から北海道に逃がした。
アメリカから女性を守る為にもさまざまなことを行った。
そんな日本人と、「慰安婦を強制連行した」日本人が同じとは思えないのです。
思えない・・・んじゃなくて、事実は違う。
日本は今こそ、声を大にして
北方領土の取り扱いをどう決め、その結果占守島が日本のものであることを
主張しなくてはならないのでは。たとえウクライナのようになってでも。
だって、ロシアはうそつきだもの。
っていうか「戦争」とはそういうもので、武士道は世界的には通用しないのよ。
だから卑怯なテロ行為が蔓延するのでは?
遊就館では勿論、占守島の事や、真岡の話も全部資料が残っていました。
でもそれを見ながら、私はお友達にいいました。
「両陛下は南の方へは行きたがるけど、北の方は知らん顔だよね」って。
やたら沖縄。なんでも沖縄。
でも、ソ連の侵攻によって多くの命が奪われた北の大地もあったんですよ。
満蒙開拓団や対馬丸だけが歴史ではない。
真岡の通信所にいた人達や、引き上げ船が沈められた事実を平等に後世に
伝えるべきでは。
こういう不公平が起きるから、あまりに「平和」アピールを皇族がすべきでは
ないのではと思います
琉球の歌があればアイヌの歌だってあるんですよ。
沖縄にアメリカが攻めてきたけど、北海道にもソ連が来た。
北も南も平等に戦争してたわけで。
兵士たちが戦場から送った手紙は全て胸に突き刺さるものばかり。
それを目にして「ありがとうございます」と思うか、「ごめんなさい」と思うか
その違いなんですよね。
私は謝られるより「ありがとうございます。今日も精一杯幸せになります」と
いう方がいいと思う。
だってそうじゃなくては報われないじゃないの。
彼らの「天皇陛下万歳」と記した文字は義理でも強制でもなく
「心のよりどころ」だったのではないかと思います。
「靖国で会おう」という言葉の中にも「魂が帰る場所がある」と自分を
納得させるものであったと。
そして残された家族も。
昭和館で、戦争で父を亡くした子供たちが全国から靖国神社に来て
参拝するという映像がありました。
辛い体験だったと思います。
でも、「ここにくれば神様となった父がいる」それは希望です。
神社とはそういう場所ですよね。