体調のせいで頭が働かない・・・とか言ってますが。
やっと復活の兆しが見えて来たので。
インフルでもコロナでもなくてよかったです。大騒ぎして病院に行った割には「風邪です」と言われ・・ははは。
春先と秋は要注意。ワクチンのおかげと思っておきます。
さて、広島県の教育委員会は小学校の平和教材から「はだしのゲン」を削除する事に決めました。
「誤解を与える恐れがある」・・・母親に食べさせる為、コイを盗むシーンなど。
という事で「削除」に至ったわけです。
実はこの問題は2013年くらいから議論されて来た事でした。
つまり「はだしのゲン」の内容があまりにも偏っているのではないかという事。
これに対して左の人達の猛反発はすごかったです。
「はだしのゲン」は事実を赤裸々に描いた秀作であると。
私は2013年当初からこれは削除すべき漫画であると思っていました。
その理由は
第二部における日本への悪意
これだけですね。
この漫画は1972年から少年ジャンプに掲載されていたそうです。
私は、時々間接的にジャンプでこの漫画を読んでいました。
作者の自伝的な漫画という事だったし、当時はまだ戦後30年にも満たない頃で、戦争体験者は沢山いましたし、日教組による平和教育がすごかった時代。
とにかく「戦争はダメ」「原爆は日本が悪い」で片づけられていた頃です。
第一部の内容は、とにかく残酷ではありましたがこれが「原爆」の現実と考えればそうなんだと納得しましたし、こんな悲惨な経験するなんて嫌だ、怖い、戦争は嫌い。原爆は許せないと思いました。
だけど、その原爆を落としたのはアメリカであるという視点が丸々抜けていたのが当時の小学生です。
小学生だけじゃないですよね。
マッカーサーが降り立った瞬間から、日本はいきなり「アメリカ万歳」に舵を切り、何だかよくわからないけどマッカーサーが大好きになってしまった。
そんな単純で馬鹿な国民性ですから、「国体護持」から「枢軸国は日本」に思想を切り替えるなんて簡単だったのではないですか?
はだしのゲンを知らない人に
ゲンの父は下駄の絵付け職人。しかし「反戦主義」で竹やり訓練に出なかった事から隣組から村八分にされる(非国民)
ゲンの長兄は予科練。次兄は疎開。
近所には朝鮮人の朴さんがいて、常に迫害を受けていた。
8月6日当日。ゲンは学校の石塀の横にいて原爆に会う。母は2階の物干し場で被爆、父と姉と弟が家の下敷きになり死亡。
懐妊していた母は娘を出産する。友子と名付けられる
ゲンはみなしごの隆太を引き取り、母と一緒に暮らす事に。
8月15日以降、長兄・次兄が戻る。友子が原爆症で亡くなる。
隆太はヤクザの子分になり、中沢家を離れる。
ここまでが第一部です。
まず、私は東北生まれの為、広島や長崎の原爆をあまり現実的に捕らえる事が出来ませんでした。
両親は戦前から台湾で暮らしていましたし、戦争中に苦労した話は聞いた事がなくむしろ引き揚げてきてからの東北の「偏見」と戦って来たような人達です。
大陸的な自由さを持ち、皇室を崇拝し、日本が負けたのは武器がなかったからと思っていました。
8月15日には正座をして黙とうする事が義務付けられていました。
我が家にいた通いのお手伝いさんは四国生まれで終戦当時小学生。この人からはいかにひもじい思いをしたか等々聞かされました。
郡山宮夫妻は当時は岩手と福島におり、爆弾投下の怖さよりGHQの怖さとひもじさばかり訴える人達でした。
でも当時の私達世代はあの漫画がどんなに残酷な描写をして、それが脳裏に焼き付いても(実際焼き付いておりますが)トラウマになって学校に行けないとか、考え方が変わるとか、そういう事はなかったと思います。
だって、あの頃はもっともっと残酷な映画やドキュメンタリーが多々あったので。
しかし、2013年頃、「はだしのゲン」の続編を読んだ時に、私は大変な失望感に襲われ「この漫画は絶対に子供に読ませてはいけない」と思って学校に申し出た程です。
なぜなら第二部で描かれているのは
資源に恵まれない日本は他の国と仲良くしていく以外に道はなし
この世で最も怖いのは右翼
アメリカに怒りをぶつけるも真珠湾攻撃を引き合いに出される。
結果的に右翼思想による戦争で原爆まで至った
と、極端な左翼思想が描かれているからです。
広島の教育委員会が問題にしたコイを盗むシーンなんて表面上の事で、実際の所、「残虐なシーンが子供の精神状態に影響を与える」という事ではないのでしょうか?
平和教育そのものがどうなんだ?と私も思いますし。
実際、3・11以降、学校による「子供に残酷なものを見せない」教育が徹底し始め、非常ベルさえ鳴らさないという学校もあるくらいです。
こんなにメンタルが弱くなったら、実際の戦争を目にした時生きて行けるのだろうか? もっともっと怖い経験を耐え抜けるのだろうか?と心配になりますが。
余談は余談として。
どんな形であれこの作品が「平和教育」教材から削除されてほっとしました。
時代に合わない部分も多々ありますしね。
核は減らない、かえって増える一方の中、日本だけが「憲法9条」で生き残れると本気で思っているのは共産党さんだけでしょう。
子どもの頃、東海地方に住んでいました。
夏休みの登校日が毎年8/6か8/9で、「平和教育」の一環で、戦争に関する作品を見せられていました。裸足のゲンも見ました。高学年になるにつれ、だんだん登校日が憂鬱なものに変わっていった記憶があります。
過去の現実、今でも起こり得る(世界では起こってる)ことではあるのですが、「教育」となると考えさせられますね。子どもは、学校で教わったことを疑うことができませんから。
>そんな単純で馬鹿な国民性ですから
このくだりにはギョッとしました。
それこそ単純な自虐的日本人観のように思います。
私が小学生の頃は、まだはだしのゲンは教材にはなっていなかったのですが、当時はだいたいどこの学校、どこのクラスでも、担任の私物としてはだしのゲンが教室の本棚に並べてあったと思います。
そのため、早い子だと小学一年生くらいであれを読んでしまうわけですが、膿だらけの包帯を臭い臭いといって騒ぐシーンや、原爆で大怪我を追った身内の世話をする人がおらず、部屋がウジだらけ…といったようなシーンをネタにして笑うような男子がいる有様でした(年齢的に仕方がないところもあると思います)
個人的には、あの漫画を教材として扱うことの問題点は、後半の連載が少年誌から左翼紙に移ったことで、プロパガンダ一色となってしまったこともありますが、終始一貫して科学的な視点が一切なく、感情論と狭い視点からのみ見た光景で語られていることだと思っています。
原爆という題材を扱うのに、全くといって良いほど客観的・俯瞰的視点が抜け落ちてしまっているのは、読み物としては良くても、教材としては本来不向きなものだと感じます。
広島や長崎の原爆を題材にした子供向きの本には、有名ではないけれど良いものがたくさんあります。その中で、あえてこれを使う必要性はどこにもありません。
ふぶきさんの仰る通り、教材から外されたことはとても良かったと思います。
最後に…
平和教育の是非ですが、これは実は以前から広島市民の中でも賛否両論あったりします。
現在までつづく平和教育のスタイルだと、教師の主義や思想で教え方がかなり左右するんです。
そもそも、御存知の通り広島は日教組が全国でもかなり強い土地柄なので…
小学校の途中で、お隣の山口県へ引っ越しましたが、まったく教師の色が違ってびっくりしたことをよく覚えています。
後で知ったことですが、隣り合った県なのに山口は日教組加入率が全国でも下位なのだそうです。
平和教育もなく、教室にはだしのゲンもなく、先生たちは何事にも熱心で優しく公平で、良い義務教育期間を送ることができました。