2004年9月24日 愛子内親王の映像を宮内庁が異例の公表
雅子様は、内親王の「自閉症疑惑」に神経をとがらせました。
父君にも「絶対に隠さなければならない秘密」としてきつく言われていましたし、雅子様自身、それを公表する気もないし何があっても違うと言う覚悟でいました。
ですから、影武者にはもう一働きして貰う事にしたのです。
沖縄豆記者の日に、ハープ奏者を招いて、その子にハープをいじらせます。
雅子様はあたかもそれが愛子様であるかのようにふるまいました。
子供は宮事のない楽器にちょっと驚きつつ興味津々で触ります。
がんがん音を立てると喜びます。
これで「音楽に造詣が深い愛子様」の完成です。
さらに、父親が記録していた影武者のビデオを取り寄せ、そこに皇太子様の音声を乗せる事にしました。
少女はラフなトレーナー姿で「うずらちゃんのかくれんぼ」をすらすら読みます。
けれど東宮御所にはその本がなかったので、皇太子様は「もりのこえ」の本を読みました。
少女:もういいかい?もういいかい?もういいかい?どこにいったのかな。パパも
皇太子様:はい。おーいもりぞう声を聞かせてくれよ
少女:うずらちゃんみーつけた。今度はひよこちゃんをみつけ・・
皇太子様:いくら呼んでも答えはありません。
国民の誰もがこの映像を変には思いませんでした。
なぜって、実際のところ、本物の愛子様を見た人などいないからです。
それに皇太子様の声は事実ですから、皇族が嘘をつく筈ないと誰もが思い込んでいたのです。
よくよく見れば、実際の愛子様より年上で絵本を読んでいるというより、覚え込んでいる感じなのですが、これで国民には十分でした。
「娘のプライベートな姿を本人の承諾なしに出したくない」とおっしゃる雅子様に対し皇太子様が「国民は心配しているのだから」と説得したようにも本堂されました。
2歳の女の子の親権は親にあり、承諾も何もないのですが、おかしいよねと誰かが言ったとしても、当時の国民は「それが皇室というものでしょう」としか解釈しませんでした。
雅子様は雅子様なりに本当に必死に愛子様の育児に向き合っていたのです。
体が硬くてこわばったりしないように、リトミックに同伴し感情が豊かになるように頑張りました。
東宮御所で飼っている犬を触らせて「可愛い」という感情が生まれるのではないかと期待しました。
とにもかくにも全ては内親王の為でした。
2004年10月4日 帰京
那須静養時には、皇太子様だけ公務の為に一旦東京に戻り、その後、お迎えにいらしたりしました。
「迎えに来て」と言われるのも愛情の証であり、頼る人間が自分しかいないのだと思うと妙に生活に張りが出て、それだけガソリン代がかかるとか、側近が大変な目に合うとか、そんな事は一切おかまいなしに雅子様のいいなり状態になったのでした。
10月20日は皇后陛下の古希のお祝いがあり、雅子様は行きたくないとおっしゃったのですが、「皇太子妃のお務めです」と言われ、仕方なく車に乗り込み、マスコミに手を振りました。
その時、発表されたお誕生日文書は
「もう45年以前のことになりますが,私は今でも,昭和34年のご成婚の日のお馬車の列で,沿道の人々から受けた温かい祝福を,感謝とともに思い返すことがよくあります。
東宮妃として,あの日,民間から私を受け入れた皇室と,その長い歴史に,傷をつけてはならないという重い責任感とともに,あの同じ日に,私の新しい旅立ちを祝福して見送ってくださった大勢の方々の期待を無にし,私もそこに生を得た庶民の歴史に傷を残してはならないという思いもまた,その後の歳月,私の中に,常にあったと思います。
陛下が東宮でいらした時は,昭和天皇をお助けし,昭和の時代を支えていくという,静かな,しかし強い陛下のご気迫を,常に身近に感じておりました。
また,お若い頃より伝統を今に活かしつつ,時代の要請に応えていこうとなさる陛下のお気持ちは,いつか私のものともなって,このお気持ちをともにしつつ,皇室での日々を過ごしてきたように思います」
とつづられました。
また、雅子様については
「東宮妃の長期の静養については,妃自身が一番に辛く感じていることと思い,これからも大切に見守り続けていかなければと考えています。家族の中に苦しんでいる人があることは,家族全員の悲しみであり,私だけではなく,家族の皆が,東宮妃の回復を願い,助けになりたいと望んでいます。宮内庁の人々にも心労をかけました。庁内の人々,とりわけ東宮職の人々が,これからもどうか東宮妃の回復にむけ,力となってくれることを望んでいます。宮内庁にも様々な課題があり,常に努力が求められますが,昨今のように,ただひたすらに誹られるべき所では決してないと思っています」
と書かれました。
誠に皇后陛下らしい、お気遣いのこもった文章でございました。
しかし、この文章に噛みつくマスコミが現れました。
すなわち、英国タイムスです。
それによると「皇后発表の文章は雅子妃への叱責」というものでした。
確かにそう読める文章ではありましたが、日本では反抗出来ないマスコミと違い、英国は何と辛らつな事でしょうか。
雅子様は正直、皇后の文章の意味がわかりませんでした。
周りも「ご心配下さっている」というので、そうなのだろうと思いました。
しかしながら、小和田家に里帰りすると
「馬鹿者。あれはお前へのメッセージではないか。皇太子妃としての務めを自分はおろそかにしてこなかったぞと怒っているんだ。それに気づかないのはバカだ。
「だって侍従も女官も・・・あの人達、全然信用出来ないわ」
「あなたが一番信用すべきなのは、私達でしょう。節子や礼子もいるわ。血のつながりが一番なんだから」
と母君は必死に雅子様を慰めました。
「次の静養の話だが」と父君はおっしゃいました。
「どうしても外国へ行きたいんだろう?」
「それは・・・」
「スイスなんてどうだ?」
「スイス?行けるの?」
「いけるさ。最悪でもヨーロッパだな。必ず行かせる」
「本当?」
雅子様の瞳は急にキラキラと輝き始めました。
久しぶりに雅子様が笑ったので、ご両親はほっとされました。
とにかく、雅子様は外国へ行きたいのだから、行かせれば父君ももう責められないだろうと思ったのです。
どうせ金は内廷費を使うのだから小和田家としては痛くもかゆくもないのです。
「楽しみにしていろ」
父君がにやりとしました。
いえ、秋篠宮様がご結婚当初お住まいのお家なら分かりますが、この3人が住んでいた東宮御所の一室にはとても見えません。
私も当時は何の疑問も抱かず見ていたのですが、おかしいと思い始めてから見ると、絶対変!!
違う絵本のセリフを被せてるとこらへんも、どうせバレないだろうと手を抜くこの人達の杜撰さが浮き彫りです。
雑多で、まぁ、ある意味雅子さまっぽいとも言えるのですが、あの御一家の東宮御所内の演出としてはあり得ませんね(笑
ベランダ窓の外の風景も気になります。
はっきり見えるように加工する強者はいないかな~
ハープの「愛子さま」の洋服のリボンが縦結びでしたね。
お砂遊びの画像は初めて見ました。誰?(苦笑
この子は劇団で指導を受けている子ではないかという人もいます。
子ども劇団に自分も入っていたから分かるんだよね〜と。
[パパ]との話の掛け合い方も変だしw
本当の父親の声が入っているんだろうな…今上のセリフのところは。
もし似たようなタイミングで妹のどちらかに子供が出来ていたら[すり替え]もあったのではないかと思わせてしまう映像がこの後沢山出て来ましたよね。
愛子さま、やんごとなきお子様になられたかも?