今、日本の演劇界って疲弊しているように見えるんです
特にミュージカル界は・・・主演クラスに持ってこようと思っても人材はいない、
オリジナル作品を作れる人がいない・・作らせない・抜擢しない・
安定だけを望むっていうか・・・・
無理に新規をやって失敗するよりも既存のものである程度の観客を
呼べればいいと思ってる部分はあるでしょう
あとは芸能界特有の力関係で「大御所」と呼ばれる人が若手の台頭を
阻んでいるような気がするんですが・・・・
スカーレット・ピンパーネル・・・ブロードウエイらしい?
最近は、いわゆる宝塚オリジナル作品でヒットというのはほとんどありません。
オリジナル・・・と聞いただけで「あ、チケット余るかも」と思う程
理由は
安易な再演で理解不能
「バレンシアの熱い花」は大昔の大ヒット作ですが、これを宙でやったら
コケちゃった。なぜって主演の大和も観客も作品の中の倫理観や思想を
理解する事が出来なかったから。
おまけに初演時、歌の上手な榛名由梨がやった役を宝塚一歌が下手な
大和悠河にふってしまったというのは大失敗。
お披露目作品にも関わらず、往年のファンからは嫌われ、新しいファン層
を開拓出来なかった典型例でしょう。
作家の名前を聞いただけで作品の傾向がわかってしまう
例えば
石田昌也作・・・幕末物か戦争物で主人公は亭主関白で
浮気者で女性を大事にしない。男尊女卑と卑猥なセリフのオンパレードね
谷正純作・・・男の美学とかいって主人公を集団が祭り上げるような
ストーリーで最後は皆殺し?
草野旦作・・・南国物で群舞のオンパレード?同じ衣装の使いまわし
まずい事にこういう作家が「大御所」として君臨しちゃってるという
現実があるので、ファンは見る前から「どうせ・・・よね」と諦めムードに
なってしまうわけ。
再演に次ぐ再演
今年はバウホール等で昔の名作を再演する動きが活発でしたが、宝塚は
基本的に主役にあてがきされてますから、それを単純に世代が違う人が
演じるのは難しいです。ゆえにリピートしない。
・・・とまあ、色々理由はあるんですけど、一方で「エリザベート」や
「ファントム」といった海外ミュージカルは常にチケット難。
しかも潤色が本家よりも優れていたりするので、とっても感動する。
今回、星組で上演されている「スカーレット・ピンパーネル」もその一つで
多分、将来的には各組の再演となるんでしょうね・・・・
「スカーレット・ピンパーネル」はとってもよく出来た作品だと思います。
イギリス人貴族のパーシーがフランス革命で罪もなく殺されようとする
貴族たちを救い、そして最終的に王太子を救出する。そういう大がかりな
二都物語の中に結婚したばかりのパーシーとフランス人女優マルグリットの
すれ違いという「身内」の話を盛り込んで、面白おかしく描いてくれます。
観客は素晴らしい楽曲に感動し、そしてちりばめられたコメディに大いに
笑います。最後は大団円
すっきり「ミュージカルを見たわ」と感動して家路に向かえます。
実力があってもキャラ立ちしない東宝ミュージカルよりずっと面白いし
かっこいいわけ。
こんな作品、どうして日本では生まれないんだろう・・・何で書けない
のかなあ・・・と考え込んでしまう事もあります。
脚本は元より、舞台の使い方の妙、楽曲の美しさ。どれをとっても大胆で
スペクタクルだなあ・・・・と。
出演者もいつもの作品に比べてテンションが高いんでしょう。
ぐいぐいと観客をひきつけてくれます。
ただ・・・2度目に観劇した時、「ああ、やっぱりブロードウエイ
作品だなあ」と思ってしまったのも事実。
私はブロードウエイミュージカルが実はあまり好きじゃないんですよね。
なぜかというと、王室を持った事のない国が平気で身分制を語る事に
違和感を感じるからです
どの作品もそうですが、アメリカ的価値観の中で身分制や階級制を
語るので、どうしても「伝統的価値観は悪」みたいな思想が入っている
ような気がするんです。
たとえば「ミーアンドマイガール」は、下町育ちの少年を貴族の跡継ぎに
するはちゃめちゃなコメディですが、やっぱりどこかで「人間を身分で
差別するのはおかしい」と短絡的に語っているようだし・・・
ディズニーアニメ「シンデレラⅡ」ではシンデレラが「階級制」の破壊を
行ったりします。「アナスタシア」も違和感ありました。
そういう意味でいくと「スカーレット・ピンパーネル」もそういう部分が
かなりあるのではないかと。
イギリス貴族は遊び人…ステレオタイプな貴族観
イギリス人がフランス貴族を救うという違和感
パーシーとマルグリットは本来貴賎結婚であること
ショーブランがイギリスの王室舞踏会に行くのは変
ルイ・シャルルを簡単にフランスからイギリスに脱出させてしまう
違和感
普通に王制などを知っていたらこういうストーリーは書けない筈ですよねえ。
リアルなのは「革命の成功」を必死に願っているというか、信じている
ショーブランの思いくらいで、ロベスピエールを悪役にしまくってる部分も
多分本家フランス人からしたら違和感が?
どだい「サン・ジュスト」なんて苗字を言われてまっさきに頭に浮かぶのは
「死の大天使」サン・ジュストなわけでねえ
ここらへんのいい加減さってのが正直、リピートすればする程気になる
わけで。
しかもラスト、ショーブランは「スカーレット・ピンパーネル」として引き渡され
笑いのうちに終わる・・・ラストはハッピーエンドのブロードウエイならでは
ですが、通常、ここはやっぱりショーブランはパーシーに殺されるか
自決するかが妥当ではないかと
「恋敵」パーシーに敗れて殺される、あるいは革命を信じて自決するという
方がふさわしいと思いますが、ここをおちゃらけてしまったあたりが
いかにもアメリカ的平和主義だなあ・・・・と思ったりします。
(小池先生もフランス革命の描き方が日本人には合わないのでは
ないかということを書いていらっしゃいますが)
だから「エリザベート」はブロードウエイでは上演出来ないんですよね。
皇室に馴染めなかった女性の心の奥底をえぐりだすような作品は
アメリカでは永遠に理解されないかもしれない。
でも日本人は基本的にこういうストーリーが好きです。だからこそヒット
したんだし。
そして日本の作家さん達もこういう奥深い作品を作る事が出来る筈
なんです。
でも今の宝塚では難しい・・・・その理由を劇団は考えてほしい。
「エリザベート」級の脚本を書く若手は実は一杯いるんだって事。
そういう人に門戸を開いていかないと宝塚は衰退の一途をたどるでしょう。