ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

江頭豊氏の絵が・・・・・

2013-07-03 16:07:20 | ドラマ・ワイドショー

 せっかくの世界遺産登録も、こんなんで水をさすとは。よりによって何でこの人?

 

 江頭豊氏の「富士山」 清水区役所に展示 

 

 静岡県清水区役所は、雅子妃の祖父でチッソの元社長である、江頭豊氏が描いた「晩秋」の絵を5日まで展示。

 江頭氏は富士市の病院に入院していた。2005年当時に描かれたもの。

 現在は小和田優美子氏と親交のある有本氏が所蔵。

 そういえば、江頭氏は晩年静岡の有料介護老人ホームに入っていたんじゃありませんでした?1回だか雅子妃が見舞いに行ったきり。

  でも、亡くなった時は皇太子や愛子内親王を引き連れて弔問に出向いたので

  「皇太后の葬儀には欠席していながら、身内の葬儀は夫と子供を連れて参列した」とネットで叩かれていました。

 なぜ皇太子までのこのことついて行ったのか・・・と一大批判を受けて、あの時以来、皇太子を庇う人すらいなくなった記憶が。

  まあ、雅子妃と結婚するにあたり「水俣病を引き起こしたチッソの社長で、色々悪い話がある人の孫だからダメ」と言われたのに

  ごり押しし、婚約記者会見でわざわざ「江頭氏がチッソの社長に就任したのは水俣病が出た後の事で、直接の責任はない」と

  言い切ったんですよね

  でも江頭氏は水俣で苦しむ人に対し、暴力団を雇って封じ込めようとしたんでしたっけ。アメリカ人ジャーナリストで水俣を取材していた

  ユージン・スミスを殺した黒幕は・・・・と言われています。

  「庶民の分際で」とか「腐った魚を食べるから」とか・・そういう暴言を吐く人でもあったようでした。

  晩年は東宮御所の庭を散歩するのが楽しみーーとかのたまったんでしたよね その為に大掛かりな東宮御所の改築も行われて。

 清水区役所さんは、その事をご存じなんでしょうか?知らずに展示したのでしょうか?

   有本氏はそもそも小和田派なんでしょうから、全ての事情をわかった上で展示を申し入れたと思うのですが、なぜ断らなかったのでしょう?

   道義的にいかがなものかと思います

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ミキティの娘の名前は「ひまわり」ちゃん

2013-07-03 08:11:02 | ドラマ・ワイドショー

 昨日の「安藤美姫・出産していた」ニュースには日本中が「じぇじぇっ」状態だったと思います。

いつの間に・・・今時の若いもんは・・・・よくぞ隠し通したわねーーと様々

個人的には「ミキティならありうる」だったけど。

マスコミに対してここまで戒厳令を敷く事が出来た、秘密保持が出来た・・・というのは

一人では無理。協力者がいないと。

それがテレ朝の宮嶋アナウンサーだったという事でしょうか?

そして、その事は多分テレ朝社長も知っていたというう事で。だからインタビューが成立したわけですね。

大変目出度い話ではあるけど、これによってテレビ局がその気になれば、情報を隠し通す事も可能である

という事が如実にわかりました。

戦前、軍部が「大本営発表」という名前で情報を操作していた事は事実で、戦後、それが批判されたし

マスコミ界のトラウマになっていると思っていました。

今や、マスコミ、とりわけテレビ局そのものが「大本営」になっているわけですね

大本営は反日的、左翼的、ジェンダーフリー的、日教組寄り・・・・というのが戦前と違う部分で。

(っていうか、もしこれが浅田真央や高橋大輔だったらここまで隠し通せたか?とも思うんですよ)

 

ところで、お父さんは誰?一瞬モロゾフ氏の顔が浮かんじゃったけど、大方の予想では

南里とかいうプロフィギュアスケーターなのね (変わった苗字だなあ・・・)

パパがプロに転向し、一定の収入があるならいう事なし。意外と勝ち組かも。

 

で・・・娘の名前が「ひまわり」って・・・・これだけはなんだかなあと。

安藤ひまわり?南里ひまわり?どっちにしても人の名前というより地名のようですが。

「ひまーー」とクレヨンしんちゃんのように呼ぶのかなあ

まあ、最近はてぃあらだのダイヤだのすごい名前が沢山あるので、「ひまわり」ちゃんはまともな方かも。

でも4月生まれなのにひまわりって季節感が・・・

まあ、いいけどね。

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二つの「ご感想」

2013-07-02 08:01:00 | 皇室報道

 以前にも皇太子の感想は抜粋掲載しましたが、今回は全文を。そして秋篠宮の感想も掲載します。

お二人を比較する為に、同じような内容について語っている部分は色分けします。

 

  皇太子スペイン訪問感想 

この度,スペイン国からご招待を頂き,「日本スペイン交流400周年」(以下交流年)の開幕に合わせて交流年の名誉総裁として,

私にとって6回目となるスペイン国訪問を行いました。

今回の訪問を通じ,4世紀にわたる交流の歴史があるスペインとの友好関係が,歴史の積み重ねの中で,

より一層緊密で強固なものとなっていることを確認でき,大変うれしく思いました。

まずは,スペインで心のこもった,温かいおもてなしをしていただいたフアン・カルロス国王王妃両陛下,フェリペ皇太子同妃両殿下,

そしてラホイ首相を始めとする政府関係者の方々に,深く感謝の意を表します。

また,訪れましたマドリード州,カスティージャ・イ・レオン州,アンダルシア州,ガリシア州,いずれの地におきましても,州知事や市長を始め

多くのスペイン国民の皆様に大変温かく迎えていただいたことを心からうれしく思っております

特に慶長遣欧使節団が当時滞在したコリア・デル・リオでは

,炎天下沿道にあふれんばかりの市民の方々に歓迎していただき,また,訪問した小学校では,子どもたちから

東日本大震災からの復興の願いを込めた

日本の歌の合唱をプレゼントしていただき,多くの子どもたちと交流できたことは,心に残る思い出となりました。

今回,フェリペ皇太子殿下には,妃殿下とご一緒に公式晩餐会を主催していただいたほか,交流年の開幕となる諸行事にご一緒いただき,

楽しくまた有意義な時を過ごさせていただいたことに感謝したいと思います。

天皇皇后両陛下が培われてこられた長年のスペイン王室との交流を踏まえて,これからも世代を超えてスペイン王室との友情を

深めていくことができれば幸いです。

今回の訪問は,日本スペイン交流400周年という意義深い年に行われました。

今回の訪問では,マドリードやセビリアで支倉常長に関する展示を訪れるなど,当時の慶長遣欧使節団の足跡をたどり,

当時を偲(しの)ぶ古文書などを目にしました。

また,現在,様々な分野で両国間の交流に携われている多くの方々とお会いしました。

この訪問を通じ,これまでの先人たちの熱い思い,さらに現在に続く交流の歴史の深さや裾野の広がりを実感いたしました。

特に,セビリアやコリア・デル・リオでは,スペイン語で日本を意味する「ハポン」姓の方々と交流し,皆さんの日本に対する熱い

思いを感じることができました。

マドリードでは,スペインにおける種々の交流事業のオープニングに出席しました。

「サムライ支倉の大いなる旅」と題する交流年開幕記念音楽会では,日西の音楽家が熱演するなど,各事業において多くの関係者の交流に

かける強い思いを感じました。日西経済合同委員会開会式では,環境やエネルギーなど新たな分野での協力やグローバルな

協力など将来への展望が語られ,両国間の交流が今後更に強化されるものと意を強くしました。

また,今回は,サッカー場やフラメンコ博物館も視察しましたが,文化,観光,スポーツなど日本人を魅了してやまないスペインの魅力の

一端に触れることができ,うれしく思いました。また,日本食や若者文化を含めスペインでの日本への関心も高く,

最近では,日本語を学ぶ人々が増えているとお聞きしました。交流年を通じ,幅広い分野で国民相互間の交流の機運が高まることを期待します。

今回の訪問でも多様なスペインの新たな魅力を発見し,また,多くの新たな出会いと交流がありました。

特に,今回,改めてスペインにおいて文化と伝統がいかに大切に保護,振興されているかを実感しました。

日本のオルガン製作者により修復されたサラマンカ大聖堂のパイプオルガンは,中世当時の音色を聞いているかのようでした。

サンティアゴ・デ・コンポステーラにおいては,歴史が刻まれた大聖堂を訪れ,また,先月の熊野古道に引き続き,

熊野古道と姉妹道の関係にあり,共に世界遺産であるサンティアゴ巡礼道を歩く機会を得,大自然の中で己を見つめて歩いた

多くの方々の気持ちを少し感じることができたのではないかと思います。

熊野でもサンティアゴでもそれぞれの古道に関わる方々から保存への取組とお互いから学びたいとの期待についてお聞きしました。

日西両国は文化的魅力を持つ国であり,今後,両国間の文化交流が更に進展することを期待したいと思います。

サラマンカは,私自身2度目の訪問となりましたが,市長より,「いつでも来訪を歓迎します」との意味を持つ市の鍵を頂いたことに感謝いたします。

また,これまでの両陛下のご訪問についてのお話を各所で伺いうれしく思いました。

サラマンカ大学は,欧州最古の大学の一つであり,長い間スペインの学術や文化において中心的な役割を果たしたと伺っていましたが,

当時を偲(しの)ばせる講堂や図書館,古くから所蔵される古文書に強い印象を受けました。

また,同大学は,日西間の学術交流の拠点として,多くの日本人留学生が学び,また大学間の交流も含め,一つのモデルを提供しているように思われます。

今後,こうした交流がスペイン各地の大学に広がることを期待するとともに,日本の大学等の取組にも期待したいと思います。

「水の問題」につきましては,サラマンカ大学において研究者や学生の方々と意見交換し,古文書も見ましたが,

スペインの長年にわたる水の問題への取組や歴史的とも言える経験の蓄積に改めて強い印象を受けました。ま

た,マドリードの上水道の管理システムは,先端技術を駆使したもので,非常に参考になりました。

水の問題は,災害,貧困や衛生状況の改善,環境の保護を始め様々な視点から極めて重要な問題です。

今後ともスペインとのこの分野での交流が深まることを期待しています。

サラマンカやコリア・デル・リオなど今回訪れた各地で東日本大震災に際して連帯と支援の活動が行われたと伺い,

大変有り難く思いました。また,マドリードやセビリアでは,東日本大震災に関する写真展を訪れましたが,

スペインの多くの方々が,我が国の震災からの復興に向けての動きに引き続き強い関心と共感を持たれていることに感銘を受けました

私としても,フェリペ皇太子同妃両殿下主催晩餐会などの機会に,多くの方々からの支援に対する感謝の気持ちをお伝えし,

両国の国民レベルでの絆(きずな)を改めて確認できたと思います。こうしたスペインとの友情をこれからも大切にしていきたいと思います。

今回スペインを訪問し,改めてスペインと文化,学術,経済,科学技術、観光やスポーツなどを始め多くの分野で交流や協力を発展させていく

余地が大きいことを確信しました。この6月から始まった日本スペイン交流400周年を契機に400年前に始まった日スペイン間の交流が,

世代を超えて受け継がれ,発展していくことを祈念するとともに,今年の10月からは,日本でも事業が行われますので,

私自身,引き続き名誉総裁としてお役に立てればと思います。

なお,今回の訪問に雅子が同行することができなかったことは残念でしたが,本人もスペイン国よりのご招待を大変有り難く思っております。また,

スペイン王室の皆様はもとより,現地にてお目に掛かった多くのスペイン国民の方々から雅子に対し,

温かいお言葉を頂いたことに厚く御礼を申し上げたいと思います。

 

 

 秋篠宮殿下3か国訪問感想 

今年,外交関係樹立20周年を迎えたクロアチアとスロバキア,ならびに昨年外交関係樹立20周年を迎えたスロベニアの3カ国に,

各国大統領のご招待により訪問できましたことを誠に嬉しく思います。

それぞれの国の大統領を始めとする関係者には,大変温かく迎えていただくとともに,種々のご配慮をいただきましたことに感謝申し上げます。

このたびの訪問中には,3カ国それぞれの国において,外交関係樹立20周年の記念行事が行われ

,クロアチアとスロバキアの両国においては大統領が共催して下さいました。そして,音楽の演奏や民族舞踊などが大変よい

雰囲気のなかで執り行われたことは,誠に喜ばしいことでした。

クロアチアにおいては,首都のザグレブの他にいくつかの地域を訪れました。

16の湖とそれを繋ぐ滝の景観が美しいプリトヴィッツェ湖群国立公園では,散策をしながら様々な色合いをもつ湖面の

美しさを堪能することができました。

また,クロアチア特有のナイーブ・アートには,農村の生活ぶりなどが描かれており,その素朴な画風が魅力につながっているように思いました。

また,このナイーブ・アートとともに,伝統的な手工芸品を紹介している施設も見学しましたが,絵画や手工芸品を通して,

昔の農村の様子を推察する機会にもなりました。

農村に関連しますが,七面鳥農家を訪問しました。

七面鳥はアメリカ大陸の原産であり,欧州には移入されたものですが,この地で飼養されている品種は,改良をそれほど加えておらず,

16世紀に導入された時の形質を保持しているそうです。欧州では経済性のみにこだわらず,古くからある家畜品種を残していくことを

大切にしていますが,この地の七面鳥にもその姿勢を見ることができました。

かつて海洋貿易によって繁栄したドゥブロヴニクでは,中世に築かれた街中,そして城壁を歩きましたが,そこから見渡せるアドリア海,

行き交う遊覧船や人の多さから,現在の観光地としての姿とともに,重厚な雰囲気を醸す城壁(要塞)に囲まれた街の光景に歴史を感じました。

そして,早い時期から上下水道が整備され,薬局や孤児院が建てられ,往時の状況に思いを馳せました。

来月からEUの一員となるクロアチアは,活気にあふれた印象を受けました。そのいっぽう,旧ユーゴ紛争時に甚大な被害を受けたオトチャッツに

ある老人ホームにおいて,かつての紛争を経験された入居者に会いましたが,

住み慣れた土地を離れ,大きな悲しみを抱きつつ過ごしているという話を聞きました。

また,この地域には,いまだに多くの地雷が残っており,撤去の作業が今後も長く続くものであることを知り,改めて平和の大切さを実感しました。

また,東日本大震災後に被害を受けた日本人が速やかに健康を回復することを願いながら千羽鶴を折ってくれた児童たちが通う

小学校を訪問しました。

両国は地理的に遠く離れていますが,このように子どもたちをはじめ,素晴らしい歌声を披露してくれた合唱団員など,

訪問中に出会った人々から,震災で被害を受けた人々のことを深く案じ,それぞれの立場で心から支援していきたい

気持ちが強く感じられ,嬉しく思いました。

2つ目の訪問国となったスロバキアにおいては,最初に冷戦時代の犠牲者の慰霊碑(自由の門)に献花をしました。

川を挟んですぐ対岸はオーストリアになり,現在では平和な風景が広がっています。この場所が冷戦時代には東側ブロックの最前線であり

,オーストリアへと川を渡って亡命を図る人たちが多数狙撃されたこと,また,この碑の建立を提唱し

自身も長い年月にわたって刑を科せられた人の説明から,自由の大切さとそのような歴史があったことを記憶にとどめることの重要性を改めて認識しました。

首都のブラチスラバの他に東スロバキア地方を訪れる機会に恵まれました。

当地では,タトラ国立公園内にあるシトゥルプスケー山湖の畔から美しいタトラ山地を眺望するとともに,

植物園において数々の固有種を実見しました。また,ユネスコの無形文化遺産に登録されている楽器,

フヤラの工房を見学することを通して,改めてその楽器の有する音色の多様性について理解を深めることができました。

伝統楽器との関連で言えば,フヤラやツインバルなどの演奏に合わせて,スロバキアの民族舞踊「ルチニツァ」の舞台を初めて鑑賞しました。

躍動感あふれる踊りと音楽は素晴らしく,日本でも幾度か公演をし,東日本大震災の被災地においても上演をしてくれたと聞きました。

さらに,スロバキアの中でもワインを最も多く生産している小カルパチア地方を訪ねることもできました。醸造所にて葡萄の種類や醸造過程に

ついての話を聞きましたが,この地域の土壌には,砂と礫が適度に混ざっており,葡萄の生育に適しているとの説明が特に印象に残りました。

また,約20年前に日本学科が開設されたコメニウス大学において,日本について学んでいる学生たちから,

同大学における日本語教育や日本へ留学した学生の体験談のプレゼンテーションがありました。

その機会に,どのような分野に関心があるのかを聞いてみると,歴史,書道,ポップカルチャー,妖怪など,

相当多岐にわたっており,今後日本とスロバキアを繋ぐ人たちが育ってきていることを実感いたしました。

最後に訪問したスロベニアにおいては,大統領とそのパートナーの方にご案内いただいて,リュブリャナ市内にある大聖堂や

小高い丘の上にある城跡などを興味深く見て廻ることができました。

また,同日の夜には,同国における最も大きな芸術の祭典であるリュブリャナ・フェスティバルの開会式にもお招きをいただきました。

これは,偶然にも私たちの滞在中に行われた催しでした。大統領とそのパートナーの方,同じく滞在されていた

英国のウェセックス伯爵殿下ご夫妻とともに,素晴らしい夜の一時を過ごすことができました。

スロベニアにおいても,スロバキアと同様に日本学科を設置しているリュブリャナ大学を訪れ,学部生,院生,そして卒業生たちと交流をしました。

リュブリャナ大学でもスロバキアのコメニウス大学同様,学生たちの関心が単に日本語のみではなく,社会学や音声学など

多岐にわたっていることに感心いたしました。

ポストイナの鍾乳洞は,欧州でも最大規模の鍾乳洞ですが,鍾乳石や石筍など自然によって作り出されたフォルムの

素晴らしさは想像以上のものがありました。また,洞内に生息するホライモリなど,生物学的に興味深い生き物にも接することができました。

水銀鉱山で有名なイドリアにおいて,当初は鉱山夫の配偶者によって作られていたレースは,現在では代表的な伝統工芸品として

有名になっていますが,それらの模様とそのモチーフが多様であることを知りました。

そしてレース編みを教えている学校において,生徒たちが熱心にレース作りに取り組んでいる様子を見ましたが,

ボビンを操るきわめて複雑な作業を手際よく行っている姿に感心をいたしました。

イドリア市は,水銀の採掘を行っていた地域ですが,そのために起こった身体的・

心身的な障害には重いものがあったと聞きました。

日本の水俣市においても,水銀が起因する水俣病は深刻な問題であり,

そのようなこともあってこの両市は交流を深めてきました。

近いうちに,水俣市の高校生がイドリア市を訪ねるとの話も聞きました。

このように,若い世代の人たちの交流も両国の

関係にとって大切なことであると思います。

本年20周年を迎えたクロアチアとスロバキア,そして昨年20周年を迎えたスロベニア,これら3カ国と日本との友好親善関係が,

さらに進展することを心より願っております。

 

比較して一目瞭然なのは、皇太子の訪問は単に観光目的で、国王陛下などから厚いもてなしを受けたというステイタスが

大事という裏の心が読み取れますね。

生まれながらの皇族であり、将来の天皇なんだからわざわざそんな事を書かなくても十分わかっている事なのに

そこらへんが「小和田脳」になっている所以でしょうか。

どの感想も薄っぺらでガイドさんに聞いた通の事を書いている・・・というような印象です。

秋篠宮の場合、専門分野もさることながら、よくぞそこまで詳しく歴史についてご存じだなあと。

ここまで専門的に知っていてくれたら説明する方もやりがいがあったろうと思います。

二人の違いは震災関連や日本語を学ぶ生徒達への視線に如実にあらわれていると思います。

もっとも驚いたのは、秋篠宮殿下が水俣に触れた事です。

両殿下は水俣の慰霊祭にも出席されていますが、このような形できちんと発表して下さった事は素晴らしいと思いますし

有意義であると思います。

皇太子の「水問題」に言及するよりずっと。

そして〆の言葉が、皇太子の場合は余計な「雅子」が入ったせいでめちゃくちゃになりましたよね。

一応、公式に出した感想なわけですから、私的な事は極力控えるべきではないかとおもいます。

 

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八重の桜

2013-07-01 16:50:00 | ドラマ・ワイドショー

 八重の桜 

 

 町を逃げ回る殿さま

今回は最初から涙が出っ放し・・・の筈なのに、ところどころで引っ込むなんてどうして?と思ったんですが

やっぱり編集のせいかもしれません。

それにしても殿様、逃げ回って泣きそうな顔するばかりで もうちょっと何とかしようがなかったのかなあ。

 八重さんはオスカル様?

八重さんが男装して銃を撃つシーンだけがかっこいい

回りが「女のくせに」というのに反論して白虎隊を指揮する様はオスカル様。

絶対脚本家は参考にしてると思う。

 

 白虎隊の最後に意見ありっ

特に腹が立ったのは白虎隊の自決シーン。

これってあんまりじゃないの?

通常「お城が燃えている」と思って自決に入るのに、「町が燃えているだけ」と知った上で自決。

これって何で?八重さんが伊東剃次郎さんに「無駄玉を撃つな」と言ったセリフを言わせたかったから?

剃次郎さんの「ちょっと待て・・・」もむなしくあっさりと自決。

確かに、自決前に「切腹すべきかいなか」と議論になったのは事実。ここらへんは日テレ版の方が正しいと思います。

山の中腹あたりでそんな議論が繰り返され、死にたい奴は死ぬ、戦いたい奴は戦う・・・みたいな話があり、

でも「今はその時ではない」と思って、とりあえず山を登る。上った先にあったのは燃えている城。

飯盛山からお城を見るとかすんでよく見えません。いくら彼らの視力がよくても、あの時は疲れ切っていたし

城下の火なのか城が燃えているのかきちんと判別はつかなかったと思います

誰かが「お城が燃えている」と言ったらみんながそう思う。

もう城へも戻れず行き場もないから自決する・・・・・というのが正しい心理ではないかと。

今回のような形では白虎隊の面々が浮かばれないのでは?どうしてNHKはそういう事をするのか?

もしかして「忠義」で死ぬ事に違和感を持っている?

白虎隊は集団ヒステリーで芯だと思う方がNHK的には納得できるんでしょうか?

それに一番最初に切腹したのは篠田儀三郎じゃなくて石田和助じゃなかった?

傷が痛むのでこれにてごめん」と言って。

白虎隊エピは沢山残っているんだから、きちんと史実にのっとって欲しいです。

もう・・・あの自決シーンでがっくり。

城に残った士中1番隊の活躍を見るにつけね・・・・

 

 

 

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雪組 ベルサイユのばら

2013-07-01 16:30:00 | 宝塚コラム

 土曜日に見てまいりました

 

 ベルサイユのばら フェルゼン編 

 

 鈴木圭の試み

今回はよく頑張ったねと言ってあげたいです。原作を変えるわけにもいかないし、ストーリーをカットするわけにもいかない。

月組で変にオリジナル性を出そうとして「ベルサイユの衛兵隊」になっちゃった分、こちらでは華やかさを残そうと頑張ったんでしょうね。

少々間違っていた部分はあったけど、仕方ないのかな。

 原型をとどめない物語を歌舞伎に

多くの人が「眠くなる」と言った気持ち、わかります。ストーリーはぶつ切りだし、全然整合性がないし。

みんな、話を知ってる前提で書かれているからはしょるのも半端なく・・・

しかも歌舞伎調のセリフは随所に。

そこで思いました。もっといっそ「歌舞伎」にしてしまったらよかったのにと。

前半はデコレーションケーキの上をぐるぐる回る華やかなオープニングで、その後はすぱっと

フェルゼン、オスカルとメルシー伯爵に帰国を促されるの段」

「フェルゼン、王妃と逢い引きの段」

「フェルゼンの告白

みたいな場割で、余計なシーンを全部省いちゃうの。そうすれば1場がもっと濃厚になる筈です。

何でそう思ったかというと、壮一帆のセリフ回しが完全に歌舞伎調だったからです。

もはや「ベルばら」のセリフを自然にいう事は不可能な時代に来ているんでしょう。

あからさまな4文字熟語に古めかしい言い回し、まわりくどい言い方、使い慣れない敬語のオンパレード。

それを何とか自然に言おうとして失敗しているのが早霧せいな。

彼女は多分セリフを自分のものにしていなかったろうと思います。なぜなら日常と剥離しすぎのセリフだから。

未涼はそこらへんを時代劇調に演じて成功したなあと。

「忠臣蔵」だって通しではやらないでしょう?だったら「ベルばら」も必要な部分をチョイスして「歌舞伎」の1幕芝居として

見ることが出来ればそれはそれで斬新だと思います。

 

 電飾と絵

今回は予算をケチったのか?お金・・・あまりないよね。

「ベルサイユのばら」というと豪華なセットに目が行くものですが、今回は華やかさを表現したのは電飾のみ。

もうこれでもかっというような電飾の数々。それと遠近感のある背景の絵ですか。

その昔を知っているものからすれば「宮殿」や「柱」やジャルジェ家の豪華なセット」が頭に浮かんで・・・あーあって思うけど

とにかく背景の絵を描いた方の努力に免じて許してあげちゃおう。

あれだけ遠近感を持った絵にしてくれると、非常に舞台が広く見えるしね

 新曲

今回の新局は「アン・ドゥ・トロワ」作曲は吉田優子。いい曲だったなあ。個人的には「ばらのスーベニール」が好きなんですが

あれは封印かしら?「愛の面影」今回の壮君の歌で、いい曲なんだとやっと思えました。

数々の寺田メロディの中に違和感なく溶け込めるように新曲を作るのは大変な作業だと思うんですが、吉田先生はすごいなあ。

 

 振付が・・・

幕開きの小公子の「ごらんなさい」を見てて、我が姫が「くすっ」と笑っちゃったんですね。小公子たちの踊りがぴょんぴょんうさぎの

ように飛び跳ねて見えて笑っちゃったらしいのですが、今回はちらりと変な振付が多々あるなと思いました。

例えばバスティーユのダンス。あれって見せ場の筈なんですが、揃って踊るシーンがすごく短い為に緊迫感がないんですよね。

ロケットの振付は杜けあき版にそっている筈なんですけど、当時より動きが悪く見えて。

尚すみれだよなあ・・・何でこうなるのかしらなんて思ってしまいました。

初演の花組版ではみんなそろって足を上げていたし、群舞の部分はもう少し長かったけどなあ。

それとオスカルとアンドレのラブシーン。多分榛名由梨指導なんでしょうけど、初演時に比べるとさらに無理無理

態勢を変えている印象で、優雅さがなくなったような気が・・・・カーテンが引かれる寸前のあの姿勢、見ている方は

「美しい」というより「そりゃ無理でしょ」って感じです。

 

 日本語が・・・・変・・・かも。

「貫きとげる」・・・メルシー伯がフェルゼンに帰国を促し、それを聞こうとしないフェルゼンに向かっていうセリフ。

          「貫き遂げるおつもりか」普通は「貫き通す」ではないかと思うんですけどね

お館」・・・オスカルがアントワネットに「お館にお戻りください」というんですが、これは変ですね。宮殿の庭園という事は

       ベルサイユ宮殿でしょう?トリアノンじゃないでしょう?「宮殿へお戻りください」の筈。何で何度も「お館」なのか。

       鈴木圭はそこらへんの身分制にまつわる物言いを知らないのか?(若いから?)随所にそんな場面がありました。

女王陛下」・・・・メルシー伯がマリア・テレジアの事を語る時に言うのですが、マリア・テレジアは女王ではなく女帝です。

          植田先生はアントワネットの事を「女王」と呼ぶ事が多々ありましたが、「女王」と「王妃」は立場が違います。

          フランスは王室、オーストリアは皇室です。国王と皇帝は違うのです。

 「ああパリの夜」

これって「ベルばらⅢ」のオープニングのオペラ座の舞踏会で歌われてた名曲。この曲、大好きになって、その後に始まる

アジアンティックなダンスの数々に見惚れたものでした。

考えてみると何でフランスでアジアだったんだろうと・・・・と思うけど)

朗々と歌う筈のこの曲を、パペット調にぶつ切りで歌う。そして出演者がみな人形のような動きをして状況説明。

これを新しいと思うべきか否か・・・・何だか「仮面の男」を思い出しちゃったよ

過去と現在を表現し、尚且つおおざっぱにさらっと流してしまいたかったのでしょうね。だったらやっぱりここはばっさり切るべきで

フェルゼンとアントワネットの逢い引きのシーンへ持って行けば問題なかったような気がします。

なんせアントワネット様、これだけ回りの人に大事にされているというのに、前半ほとんど出てこないんですものね。

 

 何でメルシー伯は窓から入ってくるの?

フェルゼンの屋敷に窓から入ってきたベルシー伯。これを見た時、ちょっと笑いそうになって。

だってこれってオスカルの部屋に忍び込んでくるロザリーそっくりじゃありませんこと?

みんな正面玄関を通りたくないわけね。

メルシー伯の場合、いくら内密の話だって言っても、使用人に顔を見られて困るという立場じゃない筈でしょう?

セキュリティのあまりフェルゼン邸なのでありました。

 

 メルシー伯爵とフェルゼン伯爵、どっちが上?

メルシー伯爵はオーストリアの貴族でフランス大使。フェルゼン伯爵はスウェーデンの貴族で伯爵。

二人とも外国人で同等の爵位を持っています。という事は会話をする時はメルシー伯の方が

年長者なのですからタメ口でいい筈です。

でもなぜか「フェルゼン様」という。無論、これは大元の脚本を書いた植田先生が間違っているのですけど、鈴木圭にも

もう少し「身分制」のお勉強をしてほしかった。

こういう間違いはアメリカのドラマやミュージカルではよくある事。例えば「ミーマイ」とか「プリティ・プリンセス」とか。最近で

いうと「ゴシップガール」を見ながら「モナコのプリンスに嫁ぐセレブ女が自由に町を歩ける筈ないし、プリンスがSPもつけずに

人の家に入る筈もないっ」とその「軽さ」に怒りを覚えます。

1幕ラストに堂々とアンドレがオスカルの隣にいるのも軽すぎる話だし、アンドレが死ぬシーンの軍服なんて将校クラスか?と

いう程豪華で。

身分には上下あり、それによって扱いが違うし、扱われる人も違うという所がなかなか理解されないんでしょうね。

 

 「君は・・・・僕を・・・・」

このシーンでわが娘はつい声を出して笑ってしまい・・・回りから「しーっ」状態になったのですが。

フェルゼンって自意識過剰なんじゃないの?

そもそも最初の登場シーン。柱の陰から出てくるわけですよ・・・・にやついて出てくるフェルゼンを見て

「これは色好みの業平」だと直感してしまいました

アントワネットの部屋の前。柱の陰にかくれているフェルゼン。そして夜な夜な幽霊が出るぞーと噂される程徘徊・・・って怖い。

それ以上に、「君は・・・僕を・・・」の衝撃は強かった。

オスカルが「へ?何を言ってるんだ?勘違いするな」と言ったらどうなるの?

完璧にオスカルは自分に惚れてたんだー悪かったな、気づかなくて。いやーーモテる僕はつらい。辛いけど今は王妃様が

一番でごめん。みたいな感情が透けて見えて背中がざわざわしましたよ。

 

 しきたりに縛られて・・・

処刑される時、38歳だったルイ16世。磯野さんが演じるにはあまりに若すぎて。

でもまあ、すごく優しくていい王様である事は確か。

(小雨なのに散歩っていうのは頂けないけど)

彼が「しきたりや伝統に縛られて自由に散歩する事も出来ない」と嘆くシーンが2度程ありますが、

今の私には同情出来ないセリフですね。

だって、その分、衣食住に心配なく贅沢な生活をして錠前作りなんかを優雅にできちゃうんですから。

そりゃ「お茶の時間を変えるのに20回も会議」っていうのは、面倒だなあと思いますよ

でも、王妃様は回りがしきたりに反すると言ってもさっさとプチ・トリアノンに行っちゃったし、好きな人としか接見

しないし・・・要は強さの問題なわけで。

心から「こんなお茶の時間は無駄」と思えば、一喝で廃止し、その茶っ葉を庶民にわけてやれくらいは

言えたかもしれないよね。

 オスカルはいつまで近衛隊にいたのか

フェルゼン編は三部会召集から始まっているのです。この時期、原作ではオスカルはすでに衛兵隊の筈。

なのに、ぐだぐだといつまでも近衛隊にいる不思議。

「王宮の飾人形」と言われるのが嫌だーとアンドレに愚痴っては「お前がいくら悩んでも解決しないって」と慰められの連続。

だったらさっさと衛兵隊に変わらんかいっ と、思ったらあっさり衛兵隊へ。ここらへんの時系列がめちゃくちゃなのは

仕方ないのかしら?

 王様の前で告白したフェルゼン

時系列がおかしいと言えば、フェルゼンだってもっと前に帰国していた筈だよね・・・・要するに「三部会」が行われた時期

というのがおかしいわけね。

それにしても「フェルゼンの告白・紅ばら白ばらの段」はすごかったーー

今まで誰が演じても多分、ここまでの気迫は感じなかったでしょうけど、回りにやいのやいのと言われ、王様の抵抗もむなしく

言われっぱなしのフェルゼンが「私は婚約したから帰国するのではありません」と堂々と発表

取り次いだメルシー伯は蒼白。こいつ、何を言いだすんだ?と思ったら、「私が愛した方は紅ばらのような方でした。

私を愛してくれた方は白ばらのような人でした」と朗々と語りだす。

私がアントワネットだったらとても冷静に聞いてはいられませんよ。

フェルゼン・・・私達の縁はこれまでだったのね・・・・は?王様、何で引き留めるの?私が悲しむってそりゃみんなの前で言っては

まずいでしょう。みんな怒ってるってば。やめて、王様。それ以上。え?フェルゼンは結婚しないの?何だかうれしい。

でもじゃあ私の為に帰国するの?そんな・・・あんまりよ。何で私達を引き裂くの?

フェルゼンを愛した白ばらの女って誰よ。その女とどういう関係があるの?」と心の中はぐちゃぐちゃの動揺しまくり。

一方オスカルだって「え?王妃様の前で自分の事を話すのか?フェルゼン!誤解されたらどうするんだよっ!」的な?

そんな回りの人達の思惑をよそに堂々と王様の前で告白し、歌って去っていくフェルゼン、あっぱれ。雪組屋!と

叫びたくなりました。

本当は背中ざわざわシーンなのに、なぜかすごく感動している自分がいて。

フリントいえども告白するならここまで堂々とやるべきなんだなあ。それが男だよ。と一人納得したのでありました。

 

 歩いて国境まで行ったの?

スウェーデンに助けを求めに来たジェロ―デルと共に国境まで行ったフェルゼン。そこで国境警備隊に捕まってしまうのですが

まさか歩いてフランスまで行こうとしてたのかしら?途中、農民が「フランスの国王が処刑された」と噂しているのを聞くのも

歩きだったしね。

国境警備隊のアントワネットへの悪口はすごい。もしかして某妃へ向けられたものじゃないかと疑う程でした。

 

 剣を封印したわけ

なかなか剣を抜かないフェルゼン。何で?と思っていたら「これ以上迷惑をかけたくない」というので椅子からずりおちそうに。

ちょっと・・・今さら何を言ってるの。あなたが国境を無断で超える時点ですでに迷惑かかってるし。

家にも国にも恥をかかせておいて、これ以上迷惑はかけられないとはどういう事なのか?

私がジェローデルだったら呆れて切り殺されちゃうわよーー

ここはわがままと言われても迷惑と言われても王妃様の為にすんなり剣を抜くべきだったでしょう。

 

 ラスト、フェルゼンのセリフは。

フェルゼンの最後のセリフと言えば「王妃様、あなたはいつまでも私の胸の中に生きています。あのベルサイユに咲く

紅薔薇のように」ですが、これってアントワネットの「さようならフランス」の前だったっけ?後だったような気もするんですが。

何だか前だと間延びするかなと。

 

 フィナーレの順番

銀橋の歌を省いて、いきなりロケット。そして壮と愛加のデュエット・・・ここではやたら懐かしい曲が流れ。ショーちゃーんって感じ。

普通はここでエトワール・・・なのに、もう一個燕尾服があった。

珍しい段取りねーーと思いました。

 

 出演者について

壮一帆・・・フェルゼン。もうね。壮がいなかったら成り立たない芝居でした。どこまでも本気、どこまでもフェルゼン。

       口調も大仰さを通り越して型の領域に入っていました。それゆえ、求心力があり、観客も集中出来たでしょう。

       苦労人らしい技術の駆使。雪組生は見習うべきですね。

       正直、壮にはこういうコスチューム物は似合わないと思ってました。ベルばらなんて対極にあると思ってました。

       でも、そうじゃなかったんだなあ・・・・男役の「型」をきちんと踏襲しているという事を再確認できてうれしかったです。

       必死で優しいフェルゼンでした。

愛加あゆ・・・アントワネット。最初から最後まで白羽ゆりの真似に見えました。もうちょっと痩せないと。永遠にリフトして貰えないかも。

早霧せいな・・・オスカル。頬のこけっぷりが尋常じゃないし、ダンスの人の筈が疲れ切ってるし。一体どうしちゃったの?という感じです。

          化粧も浮いてる?愛加も早霧もセリフを教えられたとおりに言うのが精一杯で内面の感情にまで

          意識が向かっていないような気がしました。

未涼亜希・・・・アンドレ。久しぶりに包容力のある余裕綽々のアンドレを見た気が。なんたってオスカルがどんなに悩んでも

        「お前がそんなに悩んでもしょうがない」といい、プラス思考に持って行こうとするし。視線も優しくて。まっつは恋をしたの?

        尋常じゃない男役っぷりです。

夢乃聖夏・・・ジェローデル。早霧がやせ細っているので太って見えるだけ?一番元気そうでなにより。

         この手の役はお手の物でしょう。コスチュームの着こなしも最高ですし。重要な人ですね。

彩風咲奈・・・アラン。声ががらがらで。メイクが変?

彩凪翔・・・ベルナール。役どころが大きくて驚きでしたが、そつなくこなしている印象。

大湖せしる・・・オルタンス。非常に綺麗な若奥様でした。

汝鳥怜・・・メルシー伯爵。伯爵というにはちょっと腰が低すぎるような気もしますが。

磯野千尋・・・ルイ16世。非常に優しくていい王様でした。ラストにふさわしい。

箙かおる・・・ブイエ将軍。久しぶりの箙さんにほっ。でもちょっと滑舌が悪くなったような?体調は大丈夫なんでしょうか。

 

壮一帆率いる新生雪組は、大空と同じような感じに花開いて行くものと思います。

壮は元は雪にいたわけだし、あの頃の頼りなさが嘘みたいに一瞬にして組子を掴んだという印象です。

ある意味、安心して見ていられますね。

しかし・・・今回、彩風だけじゃなくて組子達のメイクがちょっとおかしく見えたのは私だけかしら?

特に目元が。青のシャドウを使い慣れていないのかしら?

 

コメント (12)
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