さて、見晴らし抜群の廻田緑道を下ってきて平地に出ました。
中央奥の緑の木々あたりが高台になっています。
こんな素敵な場所をさらに進みます。
水道橋を、北川に沿って右に進みます。
北川は、市の北を流れているので「北川」、また、正福寺の後ろ側を流れることから「後川」とも呼ばれます。
村山貯水池の余水吐水と宅部貯水池を水源に市の北側を流れ、諏訪町で前川と合流して「二瀬川」になり、
さらに柳瀬川に合流して荒川へ流入。
川には黒い鯉の他、錦鯉も泳いでいます。川に華やかさがあります。
(毎日の散歩で見る浅川取水口の溜まりにもこんな綺麗な色の鯉が欲しいです~)
さらに進み、下宅部遺跡でトイレ休憩。
都営住宅の建て替え時に発見された遺跡は、縄文時代中期から中世にかけての低湿地遺跡。
湧き水が豊富なため、漆が塗られた遺物が多く出土しているそうです。
次は正福寺へ向かいます。
弘安元年(1278)に建立されたと伝わる地蔵堂。 昭和3年に国宝に指定されました。
都内では2009年に迎賓館赤坂離宮が国宝に指定されたので、東京都の国宝は2つになりました。
堂の形は単層裳階付入母屋造り
堂内には、本尊の延命地蔵尊像と小さな地蔵尊が沢山安置され、千体地蔵堂と呼ばれています。
国宝があるお寺なのに、ひと気がなくひっそりとしています。
本堂
鐘楼
正福寺には「玉川上水紀元」を書いた、野口村の千人同心・小島文平のお墓があります。
玉川上水の開削については謎が多く、諸説あるようですが、代表的なものが「上水記」と「玉川上水紀元」の二つだそうです。
北山公園に行き、昼食をとりました。
さらに続く~
(CANON EOS KissX6i EFS18-135mm f/3.5-5.6)
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おっとの写真の関係で親しくさせていただいている方からお誘いを受け、
「玉川上水に親しむ会」主催の歴史散策に参加してきました。
もう、20年も続いている会で、毎月色々な場所へ出かけているようです。
今回は「~東村山を訪ねる~ 前川・北川と文化財&八国山(狭山丘陵・トトロの森)散策」です。
東村山市内は訪れた事がなかったので、お誘いをお受けしました。
11月8日(土曜日) 西武多摩湖線「武蔵大和」駅前に午前10時集合。 肌寒い曇り空でした。
日野からは電車の乗り継ぎなどで時間がかかりそうだったので、車で行き、武蔵大和駅近くのパーキングに止めました。
武蔵大和駅
かなり早く着いたので、駅改札も見学~
10時、私たちを含めて18人集まりました。
誘ってくださった方は今回の担当で、事前の下見2回、資料作りなどされました。
とても見事な資料に感心しました。
簡単な説明後、スタート
旧前川緑道を歩きます。
この緑道は、改修前の旧河川跡が300m整備されています。
最初は、光明院跡へ
応永の板碑(市有形民俗文化財)
現在は上下二片に分かれており欠落部分もあるが、元は高さ4mくらいと推定され、
都内では最大級の板碑であった可能性が高い。
応永13年(1406)建立。碑面には97名の法名が刻まれているが、当初は150~160名程度と推定される。
板碑(いたび)とは、塔婆の一種で、板状の石で作られた塔婆の事。
戦乱の続いた中世、苦しみや不安から救いを求めたもので、鎌倉時代から室町時代にかけて関東地方を中心に盛んに建てられた。
種類としては三種類あり、
1、追善供養の板碑(死者の供養)
2、逆修板碑(来世の幸せを祈願)
3、結衆(けちじゅう)板碑 (信仰を共にする人々の全体の安穏を願う)
次に北に向かって廻田緑道を歩きます。
たぶん雨水枡?と思いますが、(日野市はカワセミなどですが)、貯水池の取水塔のお洒落なデザインです。
ちょっと脇に入り、富田家の宝篋印塔(ほうきょういんとう)を見ました。
大きい方は高さ225センチ、小さいほうが163センチ、江戸時代初め頃の富田家のお墓と推定
富田家は関東郡代・伊奈半十郎の家臣。利根川の改修工事の功で廻田に200石を受ける。
さらに進み、
この先は見晴し抜群!!
あいにくの曇り空でしたが、西武ゆうえんちの観覧車、ジェットコースター、左には西武球場のドーム屋根が見えます。
(余談ですが、家の近所の高台からもドーム屋根が見えます~!)
多摩湖の堤防とその先にドーム屋根
ここで午前11時ちょっと前。
坂道を下って、平地に出ます。
さらに散策は続きます~
(CANON EOS KissX6i EFS18-135mm f/3.5-5.6)
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