続きです~(画像が多くなってしまいました~スミマセン)
水車跡を見てから、玉川上水へ行きます。
玉川上水に架かる小金井橋
橋の上から覗き込みますが・・・雑木林風ですごいことになっています。
水路際に、小金井櫻の碑
南へ戻ってきて・・・分岐している水路を見ます。
水は流れていません。たぶん砂川用水路
文化財センター脇へ
一度南下した水路が北上し、さらに斜め北東へ進んでくる仙川の水路。
下流側。
住宅の間を通っていますが、倒壊防止の鉄枠が味気なく感じます。
MMさんから連絡が来て、この日なら予定が無いのでと、合流することに。
頼まれ事があり、待ち合わせして昼を食べました。
私の箸袋
おっとの箸袋
注文したのは、かき揚げ付きの冷たいうどん。
ユズを浸け汁に絞って。一人前はかなり多めでした。コシがあって美味しく食べました~
お店の入り口。 知る人ぞ知る地元の名店のようです。
東大通りへ出る手前に仙川の水路が。
上流方向、左側はテニスコートで右は住宅
下流方向。
ここは北から南に流れ、北原記念体育館裏から東へ真っ直ぐ流れています。
この近くには星野哲郎氏の邸宅があったようですが、今は違う方がお住まいです。
梶野橋近くには蛇行した水路跡があり、左手の空き地には水車があったような雰囲気の場所がありました。
一角は大きな農家さんの敷地です。
小金井公園入り口の写真が必要で、撮りに行くことに。
梶野橋から玉川上水を見ます。知らない人が見れば草原かと思えるような雑草が覆っています。
アップにして、かろうじて見える水を撮ります。
私とMMさんは道路際で待つことにして、おっとだけ小金井公園へ向かいました。
五日市街道沿い、キダチチョウセンアサガオが豪華に咲いていました~
戻ってきたおっとと、梶野分水の築樋へ行きます。
小金井市東側にある梶野分水の築樋は、何回か見に来ていますが、
年々荒れがひどくなっています。西の、山王窪の築樋はしっかり残っていますが、こちらは荒れ放題。
築樋の上部分は雑草が生い茂り、少し先まで行ってみましたが、交差する水路も見えず、引き返します。
これで例会のルートはおしまいですが・・・
ここから寄り道~(MMさんが違う催しで市内を案内する場所です。)
梶野通りを南下していくと、大きな松と祠が。
ここが参道の入り口で、西へ真っすぐ進みと、
鳥居があります。市杵嶋(いちきしま)神社です。
案内の円柱には「市杵嶋神社」で、山偏に鳥の「嶋」
案内板は「島」
(社殿全体を撮り忘れました・・・正面には「嶋」)
由緒ある神社名の漢字は統一してほしいです。
嶋は旧字体のようで、嶋も島も同じらしいですが、やはり正しいのは「市杵嶋神社」でしょう。
細かいことが気になる私・・・
梶野通りには道路際に仙川の水路が通っていますが、この水路は東京電機大中高からは、南からまっすぐ北へ向かっています。
普通に考えれば、水は高いところから低いところへ流れるので、不思議な感じがしますが・・・
水が流れていれば、はっきり分かりますが・・・
ということは、市杵嶋神社は一番高いところにあり、仙川はぐるりとコの字型に迂回していることになります。
神社仏閣は安全な場所に祀られたという先人の知恵ですね。
かなり疲れたので、東大通りへもどってファミレスでお茶休憩。
私はコーヒーゼリーソフトを食べました~
新しい場所探索は楽しいです。
野川探索をした時に、流れ流れてきた仙川が野川に落とされる場所を見ました。
仙川は三鷹市で、汲み上げた水を放流したり、下水処理場の高度処理水が流されたり、
最後は沢山の水が野川に合流していました。
水路は合流や分岐を繰り返して、人々の暮らしを支えていたのですね~
因みに、仙川の名前由来ですが、
三鷹市新川丸池公園に、かつて丸池という湧水地があったそうです。(現在のは2000年に復元)
沢山の水が湧いていたので千釜と呼ばれ、これが仙川になったという由来。
又、流域に仙人が住んでいたという伝説からという説もあり。
水の探索は面白いです
(CANON PowerShot S120)
昨日(9月16日)のトータル歩数9456歩、脂肪燃焼量23.4g、総消費カロリー1784kcal
昨日は高幡不動尊上の高幡山へヒガンバナの群生を見に行ってきました。
まだ一面赤くは無く、蕾がたくさんありました。
来週あたりが見頃かな~と思います。やはり彼岸の頃ですネ