8月7日(木曜日)
八王子の高尾に「浅川地下壕」があり、見学会に行ってきました。
地下壕は高尾駅南側に、高尾東山稜(イ地区)・金比羅山(ロ地区)・初沢山(ハ地区)の3箇所の地下に広がっています。
太平洋戦争末期に陸軍浅川倉庫として掘られたもので、面積約2万4千平方メートル、総延長は10キロメートルです。
この地下壕は後に中島飛行機武蔵製作所浅川工場として、飛行機のエンジンを作っていました。
敗戦まで4000人近くの人が従事、うち朝鮮人が約2000人動員されました。
現在は見学会の他、東大の地震計が設置されています。
JR高尾駅南口に午後1時半集合
案内は、「浅川地下壕の保存をすすめる会」のN氏です。
浅川小学校の校庭から、真正面に見える山が目指すイ地区。
納骨堂である、みころも堂へ
駐車場側は戦中は中島飛行機の疎開事務所や飯場、工事の宿舎が16棟くらい建っていました。
西側にある浅川中学校は戦後校庭に池があり窪地になっていたそうです。
工事の残土などが置かれていたようです。
さらに先へ
砂防ダムがありました。
この奥が地下壕です。
その南側には初沢山。中央に見えている電柱奥に階段があり山へ行けますが、このあたりがハ地区です。
現在は公開されていません。
無造作に積まれた石は掘り出した壕からのもの。
いよいよイ地区の地下壕へ入ります。
ヘルメットを借りて、灯り、軍手などを準備。
入り口は個人宅の脇です。
足元を照らしながら、慎重に中へ
トンネルの高さは2~3m、横幅は4mくらい。
天井は堀っぱなしでゴツゴツしています。
外は暑かったのですが、中は涼しかった~
打ち込まれた輪っかが見えます。
足元には木。水たまりや天井から水が垂れてくる場所もあり。
砂防ダムの下、水が染み出してくるらしい。
突き当たると、赤い柵で仕切られ、奥には行けません。
左下に色が濃く太めの柵が4本ありますが、地下鉄サリン事件等があった時代には防犯上、奥へは立ち入れないよう、
左下に後から付けたそうです。
先へ進みます。
照らしてみると、奥の方までトンネルが続いています。
奥は、横9本、縦5本の格子状にトンネルがありますが、立ち入りは出来ません。
足元を照らし、参加者について行くだけでしたので、どう歩いたかよくわかりません・・・
左へ曲がった先に、東京大学の地震計が設置されています。
人が動いても計測が変わる可能性があるので、大学側には事前に見学会で立ち入る日時を知らせてあるそうです。
配線や灯りは、入り口まで続いています。
参加者を代表して小学生の男の子が、穴から出ていた棒を引き抜きます。
男の子の身長くらい、130~140センチくらいでしょうか。
この中に火薬を詰めて、爆破に使ったそうです。
この辺りには鍾乳石があるらしく、
流れは白く固まっていました。
天井からは鍾乳石がつららになっています。
いつの日か、浅川鍾乳洞が出来るかも。
鉄枠の場所があり、奥には外の灯りが漏れています。
ここにダイナマイトが隠してあったそうで、テレビ番組でタレントが見つけたそう。
N氏の見解では、終戦間際にここに隠し、崩れないように鉄枠で囲み、上に何か被せてカモフラージュしたのではないかと。
中島飛行機のエンジンは10個しか作れなかったそう。
トンネル内の作業は過酷だったと思われます。
壕を見つけた時はほとんど何も残っていなかったそうですが、削岩機で開けた穴、ダイナマイトをつめて爆破し岩盤を掘り進めた跡、
トロッコのレールの枕木跡などが残っていたそうです。
頂いた資料は、後でじっくり読んでみます。
午後4時過ぎ、見学会は終了、現地解散しました。
金比羅山には登った事があり、地下壕があるらしいということは知っていましたが、
今回、思いがけず見学会に参加できて、貴重な体験が出来たことは良かったです。
外へ出ると、暑い~
登山用の硬い靴を履いてきたので、足首が痛いし疲れる~
帰り、大光寺さんへお邪魔しました。
濃いピンク色のサルスベリが綺麗でした~
蓮の蕾がふたつありましたが、咲いているのは無し。
蓮の実、宇宙人みたい~
(FUJIFILM X-S10 SIGMA 16mm F1.4)
昨日(8月9日)のトータル歩数10641歩、脂肪燃焼量19.7g、総消費カロリー1659kcal
昨日は猛暑日、八王子では最高気温が38度だったらしい。
我が家は火曜日なので恒例のイオンコーヒーコース。
たまには汗もかかなくちゃ~と午前中に歩いて出かけました。
バテちゃうかと思いきや、暑さに慣れてきたようで大丈夫でした~
今日も猛暑日予報。気をつけて過ごします~
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