NY州知事のスピッツァーが辞任した。日本基準では早い辞任だが、アメリカでは、何故最初の謝罪会見で辞任しなかったのかと、ここへ来て非難の声が出ている。やはり、政治の世界に野心を持った人間なればこそ、何とか乗り越えたいと言う期待が自分の中で渦巻いていたのだろう。どう考えても買春の常連客だと言う事がいずれバレるはずなのだが、送と分かっていても、そこは生身の人間ということか。Fallen Icon,正に落ちた偶像である。
世間的には、先週まで彼は「高潔な人」であった。そう呼ばれてもおかしくないくらいの過去の実績である。
この言葉、若い人に対して使える言葉ではないが、人生も半分以上過ぎた人物で、公私共に一貫してきちんとした人には、つい使いたくなる言葉だ。
しかし、人間は分からない。おおよその見当は付くが、それでも本当のところは分からない。そう考えると、「高潔な人」という言葉を使えるかどうかは、本人が鬼籍に入った後ではないかと思う。
よし坊の好きな著名人で、このイメージに近いのが、土光敏夫だ。殆どの経営者は彼の爪の垢を煎じて飲まねばならないはずだ。
市井にも名も無き「高潔な人」は、たくさんいるだろう。残念ながら、よし坊は成れそうも無いが、60を過ぎると何故かそれに近づきたくなるのはどうしたことか。
世間的には、先週まで彼は「高潔な人」であった。そう呼ばれてもおかしくないくらいの過去の実績である。
この言葉、若い人に対して使える言葉ではないが、人生も半分以上過ぎた人物で、公私共に一貫してきちんとした人には、つい使いたくなる言葉だ。
しかし、人間は分からない。おおよその見当は付くが、それでも本当のところは分からない。そう考えると、「高潔な人」という言葉を使えるかどうかは、本人が鬼籍に入った後ではないかと思う。
よし坊の好きな著名人で、このイメージに近いのが、土光敏夫だ。殆どの経営者は彼の爪の垢を煎じて飲まねばならないはずだ。
市井にも名も無き「高潔な人」は、たくさんいるだろう。残念ながら、よし坊は成れそうも無いが、60を過ぎると何故かそれに近づきたくなるのはどうしたことか。