よし坊のあっちこっち

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澤穂稀のアメリカ (1/4)サッカー王国への挑戦

2011年07月24日 | サッカー
ナデシコの快挙と興奮も落ち着いてきたので、快挙の立役者である澤穂稀と澤を育てたアメリカに焦点を当てて4回に渡って書き綴ってみたい。

かつてサッカー天才少女と呼ばれた澤穂稀については、今頃挙って色々なメディアを通じて紹介されているに違いない。そのサッカーの虫は、日本のレベルに飽き足らず、更に上を目指して、女子サッカー王国のアメリカに乗り込んだ。1999年、彼女はコロラドのデンバーに降り立った。

サッカー王国、アメリカ。男子サッカーが欧州・南米中心なのに対し、女子サッカーは何故かアメリカが強い。その裾野は広く、女の子を持てば、4-5歳からサッカーをやらせる。小学校から中学高校、そして大学まで各層でリーグのネット網が敷かれている。日本の男子サッカー熱が、小さい頃からフィーバーするのと同じ事が、ここアメリカでは女子サッカーで起こっている。車を郊外に走らせると、随所に多面的サッカーグランドが目に入り、如何に人気があるかを物語っている。

アメリカの女子サッカーも初めから盛んだったわけではない。一握りの趣味的スポーツに過ぎなかった女子サッカーが浮上する切っ掛けは、1972年の連邦政府の教育プログラム改正でメジャースポーツ以外にも助成金が公平に配られる仕組みがスタートした事に拠る所が大きい。加えて、ボール一個と原っぱさえあれば練習もゲームも出来るというサッカー特有の手軽さが後押ししたのだ。

以後、サッカー人口は驚異的に増えていく。1976年の時点で、全高校生の10%に過ぎなかった高校サッカー人口は、2000年には実に42%に達している。それまでは男子クラブが圧倒していた大学のサッカークラブ数も、1997年、男子クラブ70%に対し、77%と抜き去ってしまう。

アメリカのスポーツはサッカーに限らず、野球でもバスケでも、大学まで充実したネット網が張り巡らされており、プロになる為のドラフトは、大学レベルが対象だから、大学まで行かないと意味が無い。日本のように圧倒的に高校でプロに転向するのと、ここが大きく異なる。

日本を含めたアジア人にとって、パワーゲームが全てと言っても良いくらいのアメリカでの挑戦は並大抵ではないだろう。アメリカ人は身体は大きいし、スピードもある。ちょっとの事では太刀打ち出来ない。俗に言う身体能力に優れているのだ。今回のW杯前に、アメリカでの経験について、アメリカ人に勝てるのはテクニックしかない、とコメントしていた様に、彼らのパワーに対して、どの様なテクニックを高めていけばよいか、が彼女の前に立ちはだかった大きな課題だったであろう。

99年から2000年に掛け、デンバー・ダイアモンズに所属した澤にとって大きな転機でありチャンスが訪れる。クラブのコーチ(日本では監督)、トム・ストーン(写真)が翌年から始まるWUSA(女子サッカープロリーグ)の参加クラブのひとつ、アトランタ・ビートのコーチに就任する事が決まったことだ。この巡り会わせが無かったら、その後の澤のアメリカでの活躍は無かったかもしれない。トム・ストーンは澤の、アメリカ人には無い力量を十分認識していたはずだ。彼は澤をアトランタに連れて行くのである。