よし坊のあっちこっち

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澤穂稀のアメリカ (4/4)栄光のW杯から次の時代へ

2011年07月30日 | サッカー
日本人プロ野球のアメリカでの最大の功労者と言えば、迷うことなく野茂である。彼が礎を築いたからこそ、イチローが活躍出来、松井がアメリカに来ることが出来たのだ。同じく、女子サッカーでは澤穂稀がいなかったら、唯でさえ認知度が低い日本の女子サッカーを名実ともにここまで引っ張れなかっただろう。この数年、女子選手もアメリカへ、ヨーロッパへと海外でプレーする数が増えてきた事は、大変喜ばしいことで、これが強さに繋がっていくはずだ。もっと大きなうねりになる事を期待したい。

それにしても、北京五輪での4位は、大きな自信に繋がったに違いない。これがあったからこそ、次はその上、即ちメダルに拘るパワーが出て来たのではないか。予選ラウンドを突破する、決勝ラウンドで初戦をものにする、ベスト8に進む、ベスト4に進む、決勝に臨む。優勝への道標を一つ一つクリアしていく。何とタフな作業だろうか。日本が手にしたトロフィーの意味は大きい。身体の小さいアジア人や、中南米の人達(ブラジルは別格としても)に優勝への希望を抱かせるのに十分意味ある優勝だった。

2010年、アメリカに第二次女子プロリーグWPSがスタートした。宮間が、丸山が、アメリカの土を踏んだ。澤は、あのウォンバックがいるワシントン・フリーダムに移ったが、#10を与えれたのは、彼女に対するリスペクトと同時に、彼女が持つ、それ以外の「何か」が10番を背負わせたのだろうと推測する。

そして、今年W杯を迎え、見事にウォンバックのアメリカに勝った。ウォンバックが、試合後「Sawa is magnificent」と言った言葉は、ウォンバックの勝ち越し点をチャラにする見事なヒール・キックを決めた、元同僚に対する賛辞である。澤とウォンバック、何かの因縁であろう。

澤のサッカー人生、どこまで行くのか。ロンドン五輪はもちろんだが、次のカナダW杯にも是非その姿を見せて欲しい。そしていつの日か、又アメリカの土を踏んで欲しいものだ。(完)