ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

高齢者の車事故を再考する

2019年06月07日 | 日記

係留されている漁船です。

 高齢者の乗用車事故が相次いでいる。加害者も被害者も痛ましい限りである。
 しかし、その抜本的、効果的な対策は、免許を返上し、車に乗らないという以外、今の所ないようだ。
 私は以前、2018年1月に以下のような記事を書いている。以下、引用しておきます
    ____

 各地で高齢者の車事故が起こっている。一定の年齢の達したら、免許を返上し、車には乗るなというのが風説だ。
 しかし、地方に住んで、公共交通機関が不十分な場所で、車に乗るなというのは生活権を剥奪するに等しい。地方に限らない。都市部でも交通の不便なところでは、車に依存しない生活というのは考えられない。特に病気を抱えている人には、必需品だ。こうした高齢者のために、自治体によっては、通信機器による病気診断や日用品の配達サービスなど、いろいろ試みられているのだが、決定打というには至っていないようだ。
 車=自動四輪車のことを考えるとき、私は、その開発発展の方向にいくつか欠点があったのではないか、と思う。
 言うまでもなく近代以降、車は馬車の代替として発展してきた。馬車というのは本来、人間を運ぶことではなく、物・荷物を運ぶことに機能があった。そのための技術改良の結果が、エンジンの高性能化、車両の大型化、すなわちトラックであった。その後、人間の乗り物として、バスや乗用車が開発されてきたが、基本は人の移動を助ける乗り物というより、貨物の移送という考えの延長線でだったと思える。その名残が、セダンとかワゴンとか、といった呼び名に残っていよう。
 人間自身の移動は、自転車であった。今日、自動車と自転車は別々な発展を遂げてきているが、高齢化を迎え、これを融合する時代になったと私は思う。自転車からの視点で発展していくパーソナルな乗り物、パーソナル・ビークルが待ち望まれているように思うのである。
 一人乗りで時速20キロ前後の速度を持ち、路地に自由に停車でき、買い物や通院に活用できる。安全のためほとんど自動運転になる。そのためには、専用の道路が必要になるのだろう。現在、自転車道の導入が進んでいるが、これと共用できるというものだ。
 小さな子供を持つ母親たちが現在利用している3人乗りの電動自転車は、開発が中途半端なのか、歩道を走る姿は危険で危なかっしい。高齢者だけではなく、子を持つ母親にも必要なパーソナル・ビークルが待ち望まれる。【彬】
 

コメント
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