ビヨウヤナギ、です。
刑事関係の判決が報道されるたびに思うことがある。
裁判官が最後に述べる犯罪者を諭すような言葉に違和感があり、あれは一体なんなのかと思うのだ。裁判は法令への違反が問われ、量刑が決定されるのであって、教誨を目的としているわけではない。法治国家の裁判では倫理は排除されているはずなのに、彼はいつ宗教家になり教誨師になったのか。
最近では、ビエール滝の麻薬裁判。
小野なんとかという裁判長は、判決を言い渡した後「1点だけ引っかかったことがある」と切り出し、裁判用に提出された写真資料を瀧被告に示した。証拠として自宅を撮影したもので「人生」と書かれた文字が写っていた。「問いたいのは3つ。これからの人生をどうしたいか。人生の言葉の持つ意味は。人生と書いてくれた人の期待にあなたは応えられているか」と続けたそうだ。
「そこから、5分に及ぶ長い説諭が始まった。法曹関係者によると、通常二言三言で終わるケースが多く、異例の長さ。司法記者クラブからも「どれだけしゃべるんだ?」と驚きの声が上がるほどだった。公判用の資料を説諭で示すのも極めてまれだという。
「人生」とは、瀧被告が石野卓球と組む「電気グルーヴ」の前のバンド名。自身の原点である2文字を、瀧被告は自宅に飾り続けていた。
その言葉を用いて、小野裁判長は「これから、迷ったり、悩んだり、孤独を感じたり。その時こそ、“人生”という字を書いてくれた人に応えられているか考えてほしい」と語った。瀧被告の今後について「いつか“薬物のドーピングがなくても、いいパフォーマンスをして前より凄いじゃないか”と示してくれることを切に願います」とエールを送った」
以上、スポニチ・アネックスより。
小野裁判長は過去の判例でも被告に寄り添った説諭を行ってきた“人情派”だという。
裁判官は、起訴された罪状について法文上の違反があったかどうかを審査し、過去の判例を基に量刑を決めるものであって、人生訓を述べるところではない。何を勘違いしているのか。【彬】
【注】
▽説諭 裁判官が判決後、被告に判決の重みや今後への期待などを語りかけるもの。法律用語では「訓戒」と呼ばれ、刑事訴訟規則221条は「裁判長は判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる」と定める。更生のために反省を促したり、励ましたりする内容が多い。裁判官の個性が強く表れるため、内容で注目されることもある。義務ではなく、何も述べない場合もある。