ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

日記をつけること

2015年01月09日 | 日記

                               絵=茨城県那珂市/静神社

 新年を迎え、新しい日記帳を開き筆を入れると、改めて新鮮な気持ちになる。私の一年は日記をつけることに始まり、日記をつけることで締めくくられる。

 小学生のころからつけているが、今ではこの日記が自分の宝物のようなものである。以前、このブログで、人生とは日々生活を積み重ねた総体だが、現実にできるのはその日その日を大切にすることしかない、と書いた。だから、その日のことを書いたものの総体は人生そのものになるだろう。

 時々、昔の日記を読み返すことがある。その年齢、年代を振り返ると自分というものがよくわかる。小学生の頃はただありのままだが、中学生の高学年から高校生くらいは、大学ノートに万年筆で数ページに渡り一気に自分の心境を書き綴っている。その時の気持ちが今でも痛く伝わってくる。

 実をいうと、大学を出て社会人となってからは、しばらく日記をつけていなかった。現実の生活に忙しく、また充実もしていたので、わざわざ紙に書くことに関心が薄れていたのだろう。再開したのは、橋書店が3~5年日記帳を出すようになってからだ。これなら1冊で過去との比較もでき、何か迷ったときには以前はどんなことをしたのかすぐに参照できる。日記が大切だと再認識したころから努めて詳細に書こうとしている。

 さて、ブログ「絵心伝心・ぼくらの日記絵」。【彬】氏の声掛けに応じ、私も絵と文章を載せてもらっているが、これも「日記」の一つである。但しその時その時の、考え、心境を自分のためでなく他者に伝えるのが目的というところが少しちがう。ということで、私の「絵心伝心」の日記を今年も宜しくお願いします。           2015年1月6日  岩下賢治

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年頭に

2015年01月02日 | 日記

卯の花

 私の知り合いや何人かのイデオローグの言説を見ると、例えば内田樹のように

  今年の日本はどうなるのか。
 「いいこと」はたぶん何も起こらない。
 「悪いこと」はたくさん起こる。
 だから、私たちが願うべきは、「悪いこと」がもたらす災禍を最少化することである。

というように、絶望的なものが散見される。本当かいな、と揶揄したくなる。

 人のことより自分の身の回りのことを虚心に思えば、状況はそんなに悪くはない。正月は

   目出度さもちゅう位なりおらが春 一茶

くらいで丁度良いのだ。

 私は、賀状には、芭蕉のお伴で、東北から北陸までを同行した曽良の句を引いて、次のように書いた。

   卯の花を かざしに関の 晴着かな  曽良

 いよいよ白河の関を越そうという時の曽良の気持ちのこもった歌です。困難な旅路の中、この由緒ある峠を、いざ越さなむという質素ながら晴れやかな矜持が伝ってきます。

 卯の花は夏の花ですが、新しい門出にふさわしい情景なので、新年のご挨拶に付けさせていただきました。

 

 本年もよろしくお願いします。【彬】



 

 

 

 

 

 

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