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岩魚(その3)
ある年の春、祖母が語った事のある、昔、曾祖父が沢山岩魚を釣ったと言う沢に入った。
祖母が明治12年の生まれだったから、その父が岩魚を釣ったのは江戸時代の末期かもしれない。
魚野川の支流の羽根川、そしてあまり名前も知られていないと思われる、
そのまた支流だ。曾祖父は岩魚の多さに夢中で釣り登るうちに日が暮れてしまい、
毛猛山に近い山で一夜を明かす事になったと言い伝えられていた。
そして、釣り上げた大量の岩魚は傷んでしまい、全て捨てざるを得なかったとも。
そんな、一種の憧憬にも近い気持ちで、オートバイを走らせてその川に入ったのだった。
沢沿いに新しい林道が開削されていたが、沢に入ったばかりのところで、雪崩に拠り通行は不可能となっている。
オートバイを停めて、すぐに釣りの支度を整え川に入った。
川沿いの道は入り口の雪崩の跡を越えると再び、真新しい砂利敷きが乾いて続いている。
しばらく、川を渡渉したり道路を歩いたりしてしばらく釣りを続けていると、
川が大きくカーブしている内側の、少し視野の開けた平地に茅葺きの小屋が見えた。
そして、その小屋の付近には何枚ものムシロが広げられ、
女性が一人でそのムシロ一杯に広げられたゼンマイを揉んでいる。
ムシロの数はそう、20数枚を数えるほどで壮観だった。
(続く)
(写真は、ゼンマイ採りの人たちか炭焼きの人たちが使ったと思われる『篭渡し』です)