ロシア北極圏にあるヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所は16日、反政権運動指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)が死亡したと発表した。ナワリヌイ氏はロシアのプーチン政権批判の急 先鋒せんぽう として知られる。3月の大統領選に向け、プーチン大統領以外の候補者への投票を呼びかけるキャンペーンを獄中から実施していた。
ナワリヌイ氏は、反プーチン政権の象徴的な存在だ。
プーチン政権批判のナワリヌイ氏、北極圏の刑務所で死亡…散歩後に「体調が悪い」と訴え意識失う : 読売新聞
ナワリヌイは2010年前後から、政府批判の舌鋒の鋭さで一躍注目を浴びるようになった。クレムリンの頭痛の種で、見逃せば弱腰といわれ、捕まえれば殉教者になりかねない存在だったが、しかしもう捕まえてしまえばクレムリンのもの。
プーチンはナワリヌイを忌み嫌い、「反体制の人」とか「その人物」などといって、ナワリヌイの名前を決して口にしない。「プーチンが最も恐れた男」といわれるゆえんだが、プーチンはかれの存在を認めたくないのだ。肝っ玉の小さい男だと、評論家・エッセイストの勢古浩爾氏。
2020年8月20日、決定的な事件が起きた。
シベリアのトムスクからモスクワへの帰途、ナワリヌイは機内で急に意識不明の重体に陥った。
夫人の働きかけと、メルケル首相の受け入れもあって、やっと22日にベルリンの病院へ移送された。ドイツの医師は神経剤のノビチョクが見つかったと発表した。
昏睡から覚めたナワリヌイは、ノビチョクを使われたと知って逆に驚く。というのもノビチョクというのはモスクワのシグナル化学センターで生産されていたもので、即プーチンと結びつく毒物なのだ。殺したかったのなら撃ち殺せばいいのに、かれらは「あほ」「ばか」「まぬけ」なのかと毒づくナワリヌイが、おもしろくもあり、タフであると、勢古氏。
オンライン調査機関べリングキャットの主任調査員クリスト・グロゼフは、電話、電子メール、免許証などあらゆる情報の膨大なデータベースを調べ上げ、その結果、暗殺実行犯の容疑者を8人にまで絞り込んだ。
ナワリヌイとクリストは思い切った賭けに出た。ナワリヌイがドイツから容疑者たちに直接電話をかけ、単刀直入に、なぜおれを殺そうとしたのかと聞く、というのだ。
FSBロシア連邦保安庁の軍人 3人に電話をかける。かれらは絶句し、とぼけ、すぐ電話を切る。
そこでナワリヌイたちは方針を変え、関係者の偽名を使って今度は化学者に電話をかける。コンスタンチンという化学者が騙されて、暗殺の詳細をしゃべったのである。ナワリヌイのチームはそのすべてを録音し録画した。
2020年12月17日、モスクワでプーチン大統領の年次記者会見が開かれた。
記者のナワリヌイ毒殺未遂事件への質問へのプーチンの答えは、「あれは米国の諜報機関の情報」で、「例の患者はCIAの支援を受けている」と。まったく、しゃべっている本人も、また聞いている全員も、ウソだとわかっているウソを平然とつくのでした。
ドイツでこの会見を見ていたナワリネイは頭にきて、例の化学者との通話内容を公表。
2021月1月17日、ナワリヌイは妻のユリアを伴って帰国。「プーチンを大統領にしたくない。帰って国を変えたい」とその理由を語ったが、当然逮捕されることは織り込み済みだったはずである。それとも読み違えたのかと、勢古氏。
モスクワ到着後、そのまま連行。
逮捕2日後、チームは「プーチンの宮殿 世界最大の賄賂」の暴露映像を公開した。1週間で1億回再生された。
ロシア全土で抗議行動を巻き起こしたが、結局鎮圧された。
あのロシアで反政府運動をする人がいるというのは驚きであると、勢古氏。
一番有名なのは、2022年3月14日、国営テレビの第1チャンネルの夜の生放映中に、反戦メッセージを書いた紙を掲げてテレビに映りこんだマリーナ・オフシャンニコワ(当時43歳)。
日本でも姦しく放映されましたね。
釈放後、フランスのマクロン大統領が亡命受け入れの用意があると表明したが、彼女はロシアにとどまった。しかし4月11日、ドイツのメディアに記者として採用され、ドイツに渡った。
7月にロシアに帰国した。そこでまたクレムリンの近くで、たったひとりで「プーチンは殺人者だ」などと書いた紙を掲げ、逮捕された。
自宅軟禁下に置かれる決定がなされたが、その前に、11歳の娘を連れてロシアを脱出。ランスに亡命。
映画『ナワリヌイ』のロアー監督に、もし逮捕され投獄されるか殺されるとしたら、ロシアの人々にどんなメッセージを残すか、と訊かれたナワリヌイは、こう答えている。
「仮に僕が殺された場合のメッセージは“諦めるな”だ」「僕が命を狙われたのは、僕らが信じられないほど強いからだ。(略)僕らが持っている巨大な力は悪い連中に押しつぶされている。本当は強いのに僕らに自覚がないからだ。悪が勝つのはひとえに善人が何もしないから。行動をやめるな」
獄中から、3月の大統領選に向け、プーチン大統領以外の候補者への投票を呼びかけるキャンペーンを実施していたナワリヌイ氏。
散歩の後、意識を失って亡くなったとの発表。
ナワリヌイ氏自身の、僕が殺された場合のメッセージ「“諦めるな”」を、噛みしめてみました。
「悪が勝つのはひとえに善人が何もしないから。行動をやめるな」
# 冒頭の画像は、ナワリヌイ氏
この花の名前は、トキワイカリソウ
2月22日は、竹島の日
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ナワリヌイ氏は、反プーチン政権の象徴的な存在だ。
プーチン政権批判のナワリヌイ氏、北極圏の刑務所で死亡…散歩後に「体調が悪い」と訴え意識失う : 読売新聞
「プーチンが最も恐れた男」ナワリヌイが身をもって示したロシアの良心 アカデミー賞受賞、衝撃のドキュメンタリー映画『ナワリヌイ』を見よ | JBpress (ジェイビープレス) 2023.4.5(水) 勢古 浩爾:評論家、エッセイスト
アレクセイ・ナワリヌイ。46歳。ロシア人の民主活動家、弁護士。妻と1女1男。
2021年1月以降、9年の刑期で服役中。一応罪名はついているが、独裁国家のつねで、そんなものに意味はない。
ナワリヌイは2010年前後から、政府批判の舌鋒の鋭さで一躍注目を浴びるようになった。クレムリンの頭痛の種で、見逃せば弱腰といわれ、捕まえれば殉教者になりかねない存在だったが、しかしもう捕まえてしまえばクレムリンのもの。
プーチンはナワリヌイを忌み嫌い、「反体制の人」とか「その人物」などといって、ナワリヌイの名前を決して口にしない。「プーチンが最も恐れた男」といわれるゆえんだが、プーチンはかれの存在を認めたくないのだ。肝っ玉の小さい男だ。
そんなナワリヌイを追ったドキュメンタリー映画『ナワリヌイ』が、第95回アカデミー賞(2023年3月開催)の長編ドキュメンタリー賞を受賞した。監督は撮影時まだ29歳だったダニエル・ロアー。
飛行機内で毒殺されかけた
2018年、ナワリヌイはプーチンに対抗してロシア大統領選挙に立候補したが、立候補は無効とされた。SNSに発表した「一緒に詐欺師を捕まえよう」という一連の汚職追放の動画は国民の間で大人気だった。しかしテレビは出禁、新聞はかれのニュースを載せず、最初の頃は盛り上がっていた集会も禁止された。事務所は警官に荒らされ、ナワリヌイは有害な緑色の液体を顔に浴びせられ、拘束された。
2020年8月20日、決定的な事件が起きた。その事件がこのドキュメンタリー映画の中心でもある。
シベリアのトムスクからモスクワへの帰途、ナワリヌイは機内で急に意識不明の重体に陥ったのである。オムスクに緊急着陸したが、夫人やかれのチームは当局に妨害されて会えない。毒の痕跡が消えるまでの時間稼ぎだったといわれる。
夫人の働きかけと、メルケル首相の受け入れもあって、やっと22日にベルリンの病院へ移送された。ドイツの医師は神経剤のノビチョクが見つかったと発表した。
昏睡から覚めたナワリヌイは、ノビチョクを使われたと知って逆に驚く。というのもノビチョクというのはモスクワのシグナル化学センターで生産されていたもので、即プーチンと結びつく毒物なのだ。殺したかったのなら撃ち殺せばいいのに、かれらは「あほ」「ばか」「まぬけ」なのかと毒づくナワリヌイが、おもしろくもあり、タフである。
容疑者を8人に絞り込んだ
オープンソースを駆使するオンライン調査機関べリングキャットの主任調査員クリスト・グロゼフは、当初ナワリヌイを「本当に後ろ盾がないのか」「ロシア政府が操るエセ反体制派の1人ではないのか」と疑っていた。かれが極右や民族主義者とも付き合っていたからだ。しかしかれの毒殺未遂事件を知って、独自に調査を開始する。
クリストは電話、電子メール、免許証などあらゆる情報の膨大なデータベースを調べ上げ、その結果、暗殺実行犯の容疑者を8人にまで絞り込んだのである。その分析の手法は驚くべきもので、わたしは、世界はこんなことになっているのかと知って驚いた。クリストは、容疑者たちの顔写真も名前も住所も電話番号もすべて手に入れ、ナワリヌイと連絡を取ったのである。
ここでナワリヌイとクリストは思い切った賭けに出た。ナワリヌイがドイツから容疑者たちに直接電話をかけ、単刀直入に、なぜおれを殺そうとしたのかと聞く、というのだ。このドキュメンタリーのハイライト部分である。まず「筋肉バカ」(FSBロシア連邦保安庁の軍人)3人に電話をかける。かれらは絶句し、とぼけ、すぐ電話を切る。
そこでナワリヌイたちは方針を変え、関係者の偽名を使って今度は化学者に電話をかける。コンスタンチンという化学者が騙されて、もし飛行機が緊急着陸しなければ暗殺は成功したこと、毒物を仕込んだのはナワリヌイのパンツの縫い目だったことなど、暗殺の詳細をしゃべったのである。ナワリヌイのチームはそのすべてを録音し録画した。
2020年12月17日、モスクワでプーチン大統領の年次記者会見が開かれた。内外の記者たちの前で、ひとりの記者がプーチンに問う。ナワリヌイが自身の毒殺未遂事件の調査結果を発表したが(この段階では、まだコンスタンチンの録音は公開していない)、なぜ警察は捜査しないのか。
「プーチンを大統領にしたくない」と帰国
プーチンが答える。「ベルリンの病院にいる患者の件」だが、といって例のごとく、名前を呼ぶに値しない存在だと余裕を見せながら、「あれは米国の諜報機関の情報」で、「例の患者はCIAの支援を受けている」と。まったく、しゃべっている本人も、また聞いている全員も、ウソだとわかっているウソを平然とつくのである。こうでなくては、独裁者はつとまらない。
さらに「もしその人物が毒殺されるべき存在なら」と、ここでプーチンは小ばかにしたように笑い、「とっくに殺されてる」といったのである。そして「あの人物は自分を格上げしたいのだろう。(略)国のトップと互角なんだぞ」と。
ドイツでこの会見を見ていたナワリネイは頭にくる。冷静につとめてはいるが、あきらかに頭にきている。「上等じゃないか」「ああいう屁理屈を丸ごと叩きつぶしてやる」と、例の化学者との通話内容を公表したのである。だがそんなことでプーチンを「叩きつぶす」ことは当然できなかった。動画が7時間で770万回再生されただけである。
2021月1月17日、ナワリヌイは妻のユリアを伴って帰国した。「プーチンを大統領にしたくない。帰って国を変えたい」とその理由を語ったが、当然逮捕されることは織り込み済みだったはずである。それとも読み違えたのか。
機内での記者たちのインタビュー。モスクワ到着。空港に集結した出迎えの群衆。そのなかのひとりが、ナワリヌイを「ロシアの自由の象徴」という。しかし警察が市民も記者もかたっぱしから連行する。機内の緊迫した様子が映しだされる。別の空港に着陸する。ナワリヌイの周りを記者たちがとり囲む。入国審査。警官がくる。弁護士を呼ぼうとするが無視。警官たちはカメラなど平気だ。そのまま連行する。群衆はナワリヌイの妻のユリアの名前を連呼する。
逮捕2日後、チームは「プーチンの宮殿 世界最大の賄賂」の暴露映像を公開した。1週間で1億回再生された。ナワリヌイの逮捕とビデオの公開は、ロシア全土で抗議行動を巻き起こしたが、結局鎮圧された。調査チームは国外に逃れて活動をつづける。コンスタンチンという化学者は行方不明である。
国営テレビ局の女性は無事密出国
あのロシアで反政府運動をする人がいるというのは驚きである。もちろん国民の大半は、触らぬ神に祟りなし、の無関心派か、プーチン支持派である。それでも勇気ある反対派が存在する。しかも女の人が少なくない。
一番有名なのは、2022年3月14日、国営テレビの第1チャンネルの夜の生放映中に、反戦メッセージを書いた紙を掲げてテレビに映りこんだマリーナ・オフシャンニコワ(当時43歳)である。彼女はロシア第1チャンネルのスタッフだった。
彼女の手書きの紙には「戦争をやめて。プロパガンダを信じないで。あなたはだまされている」と書かれていた。
わたしは、彼女は何年も刑務所に入れられるだろうと思った。ところが意外なことに、翌日、モスクワの裁判所は、オフシャンニコワに3万ルーブル(約5万5000円)の罰金を科しただけで釈放したのである。釈放後、フランスのマクロン大統領が亡命受け入れの用意があると表明したが、彼女はロシアにとどまった。しかし4月11日、ドイツのメディアに記者として採用され、ドイツに渡った。
しかしこれで終わりではなかった。
娘の親権問題で元夫が訴訟を起こしたことから、彼女は7月にロシアに帰国した。そこでまたクレムリンの近くで、たったひとりで「プーチンは殺人者だ」などと書いた紙を掲げ、逮捕されたのである。なんともすごい女性だ。
また罰金刑をいい渡されたが、その後、新たに自宅軟禁下に置かれる決定がなされた。しかしオフシャンニコワはその前に、11歳の娘を連れてロシアを脱出したのである。
2023年2月10日、彼女はパリで記者会見をし、フランスに亡命したことを明らかにした。密出国については、足首のGPSをペンチで破壊し、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」の支援を受けて7台の車を乗り継ぎ、4時間歩いて国境を超えたという。もちろん脱出ルートは明らかにされていない。
反旗を翻す女性たち
こういう女性もいる。今年の1月、SNSにロシア批判のコメントを書き込んだ罪で、足にGPSをつけられ自宅軟禁されていた女子大生オレシャ・クリブツォワ(20)が、3月11日ロシアを脱出し、16日にリトアニアに到着した。ロシアのGPSの「追跡装置は頻繁に誤作動」するらしく、当局はまだ彼女の「脱出方法」がわかっていないという。
クリブツォワが自宅軟禁されたのは大学の同級生の密告によるものらしい。彼女は「私の大学の場合は無関心の人が一番多いです。二番目に多いのはウクライナ侵攻の支持者で、戦争反対派は残念ながら三番目です」といっている。
プーチンがいまだに自信をもっているのも、これらの無関心層と侵攻支持層が大半を占めているからである。ほんとうに反対している人間は、すでに国外に脱出しているのだ。クリブツォワは「当局に証言する教師もいますし、勉強は順調だったのに内容の悪い内申を当局に提出した大学幹部の人もいます。彼らのことは馬鹿な告げ口野郎だと思っています」という。
独裁主義者政権下の軍人や警察はどこもおなじなのだろうが、ロシアの警察は子どもでも容赦しない。3月9日、教師から侵攻支持の絵を描くよう指示されたにもかかわらず、「戦争反対」「ウクライナに栄光あれ」と書いた13歳のマリア・モスカリェワを更生施設に送り込んだ。
13歳の少女が、ロシア人のバカな男たちよりもよほど立派という事例だが、彼女が捕捉されたのも、教師や生徒からの密告だったのか。
ナワリヌイがロシア人におくるメッセージとは
映画『ナワリヌイ』のロアー監督に、もし逮捕され投獄されるか殺されるとしたら、ロシアの人々にどんなメッセージを残すか、と訊かれたナワリヌイは、こう答えている。
「仮に僕が殺された場合のメッセージは“諦めるな”だ」「僕が命を狙われたのは、僕らが信じられないほど強いからだ。(略)僕らが持っている巨大な力は悪い連中に押しつぶされている。本当は強いのに僕らに自覚がないからだ。悪が勝つのはひとえに善人が何もしないから。行動をやめるな」
ナワリヌイはこういって、最後に笑った。
アレクセイ・ナワリヌイ。46歳。ロシア人の民主活動家、弁護士。妻と1女1男。
2021年1月以降、9年の刑期で服役中。一応罪名はついているが、独裁国家のつねで、そんなものに意味はない。
ナワリヌイは2010年前後から、政府批判の舌鋒の鋭さで一躍注目を浴びるようになった。クレムリンの頭痛の種で、見逃せば弱腰といわれ、捕まえれば殉教者になりかねない存在だったが、しかしもう捕まえてしまえばクレムリンのもの。
プーチンはナワリヌイを忌み嫌い、「反体制の人」とか「その人物」などといって、ナワリヌイの名前を決して口にしない。「プーチンが最も恐れた男」といわれるゆえんだが、プーチンはかれの存在を認めたくないのだ。肝っ玉の小さい男だ。
そんなナワリヌイを追ったドキュメンタリー映画『ナワリヌイ』が、第95回アカデミー賞(2023年3月開催)の長編ドキュメンタリー賞を受賞した。監督は撮影時まだ29歳だったダニエル・ロアー。
飛行機内で毒殺されかけた
2018年、ナワリヌイはプーチンに対抗してロシア大統領選挙に立候補したが、立候補は無効とされた。SNSに発表した「一緒に詐欺師を捕まえよう」という一連の汚職追放の動画は国民の間で大人気だった。しかしテレビは出禁、新聞はかれのニュースを載せず、最初の頃は盛り上がっていた集会も禁止された。事務所は警官に荒らされ、ナワリヌイは有害な緑色の液体を顔に浴びせられ、拘束された。
2020年8月20日、決定的な事件が起きた。その事件がこのドキュメンタリー映画の中心でもある。
シベリアのトムスクからモスクワへの帰途、ナワリヌイは機内で急に意識不明の重体に陥ったのである。オムスクに緊急着陸したが、夫人やかれのチームは当局に妨害されて会えない。毒の痕跡が消えるまでの時間稼ぎだったといわれる。
夫人の働きかけと、メルケル首相の受け入れもあって、やっと22日にベルリンの病院へ移送された。ドイツの医師は神経剤のノビチョクが見つかったと発表した。
昏睡から覚めたナワリヌイは、ノビチョクを使われたと知って逆に驚く。というのもノビチョクというのはモスクワのシグナル化学センターで生産されていたもので、即プーチンと結びつく毒物なのだ。殺したかったのなら撃ち殺せばいいのに、かれらは「あほ」「ばか」「まぬけ」なのかと毒づくナワリヌイが、おもしろくもあり、タフである。
容疑者を8人に絞り込んだ
オープンソースを駆使するオンライン調査機関べリングキャットの主任調査員クリスト・グロゼフは、当初ナワリヌイを「本当に後ろ盾がないのか」「ロシア政府が操るエセ反体制派の1人ではないのか」と疑っていた。かれが極右や民族主義者とも付き合っていたからだ。しかしかれの毒殺未遂事件を知って、独自に調査を開始する。
クリストは電話、電子メール、免許証などあらゆる情報の膨大なデータベースを調べ上げ、その結果、暗殺実行犯の容疑者を8人にまで絞り込んだのである。その分析の手法は驚くべきもので、わたしは、世界はこんなことになっているのかと知って驚いた。クリストは、容疑者たちの顔写真も名前も住所も電話番号もすべて手に入れ、ナワリヌイと連絡を取ったのである。
ここでナワリヌイとクリストは思い切った賭けに出た。ナワリヌイがドイツから容疑者たちに直接電話をかけ、単刀直入に、なぜおれを殺そうとしたのかと聞く、というのだ。このドキュメンタリーのハイライト部分である。まず「筋肉バカ」(FSBロシア連邦保安庁の軍人)3人に電話をかける。かれらは絶句し、とぼけ、すぐ電話を切る。
そこでナワリヌイたちは方針を変え、関係者の偽名を使って今度は化学者に電話をかける。コンスタンチンという化学者が騙されて、もし飛行機が緊急着陸しなければ暗殺は成功したこと、毒物を仕込んだのはナワリヌイのパンツの縫い目だったことなど、暗殺の詳細をしゃべったのである。ナワリヌイのチームはそのすべてを録音し録画した。
2020年12月17日、モスクワでプーチン大統領の年次記者会見が開かれた。内外の記者たちの前で、ひとりの記者がプーチンに問う。ナワリヌイが自身の毒殺未遂事件の調査結果を発表したが(この段階では、まだコンスタンチンの録音は公開していない)、なぜ警察は捜査しないのか。
「プーチンを大統領にしたくない」と帰国
プーチンが答える。「ベルリンの病院にいる患者の件」だが、といって例のごとく、名前を呼ぶに値しない存在だと余裕を見せながら、「あれは米国の諜報機関の情報」で、「例の患者はCIAの支援を受けている」と。まったく、しゃべっている本人も、また聞いている全員も、ウソだとわかっているウソを平然とつくのである。こうでなくては、独裁者はつとまらない。
さらに「もしその人物が毒殺されるべき存在なら」と、ここでプーチンは小ばかにしたように笑い、「とっくに殺されてる」といったのである。そして「あの人物は自分を格上げしたいのだろう。(略)国のトップと互角なんだぞ」と。
ドイツでこの会見を見ていたナワリネイは頭にくる。冷静につとめてはいるが、あきらかに頭にきている。「上等じゃないか」「ああいう屁理屈を丸ごと叩きつぶしてやる」と、例の化学者との通話内容を公表したのである。だがそんなことでプーチンを「叩きつぶす」ことは当然できなかった。動画が7時間で770万回再生されただけである。
2021月1月17日、ナワリヌイは妻のユリアを伴って帰国した。「プーチンを大統領にしたくない。帰って国を変えたい」とその理由を語ったが、当然逮捕されることは織り込み済みだったはずである。それとも読み違えたのか。
機内での記者たちのインタビュー。モスクワ到着。空港に集結した出迎えの群衆。そのなかのひとりが、ナワリヌイを「ロシアの自由の象徴」という。しかし警察が市民も記者もかたっぱしから連行する。機内の緊迫した様子が映しだされる。別の空港に着陸する。ナワリヌイの周りを記者たちがとり囲む。入国審査。警官がくる。弁護士を呼ぼうとするが無視。警官たちはカメラなど平気だ。そのまま連行する。群衆はナワリヌイの妻のユリアの名前を連呼する。
逮捕2日後、チームは「プーチンの宮殿 世界最大の賄賂」の暴露映像を公開した。1週間で1億回再生された。ナワリヌイの逮捕とビデオの公開は、ロシア全土で抗議行動を巻き起こしたが、結局鎮圧された。調査チームは国外に逃れて活動をつづける。コンスタンチンという化学者は行方不明である。
国営テレビ局の女性は無事密出国
あのロシアで反政府運動をする人がいるというのは驚きである。もちろん国民の大半は、触らぬ神に祟りなし、の無関心派か、プーチン支持派である。それでも勇気ある反対派が存在する。しかも女の人が少なくない。
一番有名なのは、2022年3月14日、国営テレビの第1チャンネルの夜の生放映中に、反戦メッセージを書いた紙を掲げてテレビに映りこんだマリーナ・オフシャンニコワ(当時43歳)である。彼女はロシア第1チャンネルのスタッフだった。
彼女の手書きの紙には「戦争をやめて。プロパガンダを信じないで。あなたはだまされている」と書かれていた。
わたしは、彼女は何年も刑務所に入れられるだろうと思った。ところが意外なことに、翌日、モスクワの裁判所は、オフシャンニコワに3万ルーブル(約5万5000円)の罰金を科しただけで釈放したのである。釈放後、フランスのマクロン大統領が亡命受け入れの用意があると表明したが、彼女はロシアにとどまった。しかし4月11日、ドイツのメディアに記者として採用され、ドイツに渡った。
しかしこれで終わりではなかった。
娘の親権問題で元夫が訴訟を起こしたことから、彼女は7月にロシアに帰国した。そこでまたクレムリンの近くで、たったひとりで「プーチンは殺人者だ」などと書いた紙を掲げ、逮捕されたのである。なんともすごい女性だ。
また罰金刑をいい渡されたが、その後、新たに自宅軟禁下に置かれる決定がなされた。しかしオフシャンニコワはその前に、11歳の娘を連れてロシアを脱出したのである。
2023年2月10日、彼女はパリで記者会見をし、フランスに亡命したことを明らかにした。密出国については、足首のGPSをペンチで破壊し、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」の支援を受けて7台の車を乗り継ぎ、4時間歩いて国境を超えたという。もちろん脱出ルートは明らかにされていない。
反旗を翻す女性たち
こういう女性もいる。今年の1月、SNSにロシア批判のコメントを書き込んだ罪で、足にGPSをつけられ自宅軟禁されていた女子大生オレシャ・クリブツォワ(20)が、3月11日ロシアを脱出し、16日にリトアニアに到着した。ロシアのGPSの「追跡装置は頻繁に誤作動」するらしく、当局はまだ彼女の「脱出方法」がわかっていないという。
クリブツォワが自宅軟禁されたのは大学の同級生の密告によるものらしい。彼女は「私の大学の場合は無関心の人が一番多いです。二番目に多いのはウクライナ侵攻の支持者で、戦争反対派は残念ながら三番目です」といっている。
プーチンがいまだに自信をもっているのも、これらの無関心層と侵攻支持層が大半を占めているからである。ほんとうに反対している人間は、すでに国外に脱出しているのだ。クリブツォワは「当局に証言する教師もいますし、勉強は順調だったのに内容の悪い内申を当局に提出した大学幹部の人もいます。彼らのことは馬鹿な告げ口野郎だと思っています」という。
独裁主義者政権下の軍人や警察はどこもおなじなのだろうが、ロシアの警察は子どもでも容赦しない。3月9日、教師から侵攻支持の絵を描くよう指示されたにもかかわらず、「戦争反対」「ウクライナに栄光あれ」と書いた13歳のマリア・モスカリェワを更生施設に送り込んだ。
13歳の少女が、ロシア人のバカな男たちよりもよほど立派という事例だが、彼女が捕捉されたのも、教師や生徒からの密告だったのか。
ナワリヌイがロシア人におくるメッセージとは
映画『ナワリヌイ』のロアー監督に、もし逮捕され投獄されるか殺されるとしたら、ロシアの人々にどんなメッセージを残すか、と訊かれたナワリヌイは、こう答えている。
「仮に僕が殺された場合のメッセージは“諦めるな”だ」「僕が命を狙われたのは、僕らが信じられないほど強いからだ。(略)僕らが持っている巨大な力は悪い連中に押しつぶされている。本当は強いのに僕らに自覚がないからだ。悪が勝つのはひとえに善人が何もしないから。行動をやめるな」
ナワリヌイはこういって、最後に笑った。
ナワリヌイは2010年前後から、政府批判の舌鋒の鋭さで一躍注目を浴びるようになった。クレムリンの頭痛の種で、見逃せば弱腰といわれ、捕まえれば殉教者になりかねない存在だったが、しかしもう捕まえてしまえばクレムリンのもの。
プーチンはナワリヌイを忌み嫌い、「反体制の人」とか「その人物」などといって、ナワリヌイの名前を決して口にしない。「プーチンが最も恐れた男」といわれるゆえんだが、プーチンはかれの存在を認めたくないのだ。肝っ玉の小さい男だと、評論家・エッセイストの勢古浩爾氏。
2020年8月20日、決定的な事件が起きた。
シベリアのトムスクからモスクワへの帰途、ナワリヌイは機内で急に意識不明の重体に陥った。
夫人の働きかけと、メルケル首相の受け入れもあって、やっと22日にベルリンの病院へ移送された。ドイツの医師は神経剤のノビチョクが見つかったと発表した。
昏睡から覚めたナワリヌイは、ノビチョクを使われたと知って逆に驚く。というのもノビチョクというのはモスクワのシグナル化学センターで生産されていたもので、即プーチンと結びつく毒物なのだ。殺したかったのなら撃ち殺せばいいのに、かれらは「あほ」「ばか」「まぬけ」なのかと毒づくナワリヌイが、おもしろくもあり、タフであると、勢古氏。
オンライン調査機関べリングキャットの主任調査員クリスト・グロゼフは、電話、電子メール、免許証などあらゆる情報の膨大なデータベースを調べ上げ、その結果、暗殺実行犯の容疑者を8人にまで絞り込んだ。
ナワリヌイとクリストは思い切った賭けに出た。ナワリヌイがドイツから容疑者たちに直接電話をかけ、単刀直入に、なぜおれを殺そうとしたのかと聞く、というのだ。
FSBロシア連邦保安庁の軍人 3人に電話をかける。かれらは絶句し、とぼけ、すぐ電話を切る。
そこでナワリヌイたちは方針を変え、関係者の偽名を使って今度は化学者に電話をかける。コンスタンチンという化学者が騙されて、暗殺の詳細をしゃべったのである。ナワリヌイのチームはそのすべてを録音し録画した。
2020年12月17日、モスクワでプーチン大統領の年次記者会見が開かれた。
記者のナワリヌイ毒殺未遂事件への質問へのプーチンの答えは、「あれは米国の諜報機関の情報」で、「例の患者はCIAの支援を受けている」と。まったく、しゃべっている本人も、また聞いている全員も、ウソだとわかっているウソを平然とつくのでした。
ドイツでこの会見を見ていたナワリネイは頭にきて、例の化学者との通話内容を公表。
2021月1月17日、ナワリヌイは妻のユリアを伴って帰国。「プーチンを大統領にしたくない。帰って国を変えたい」とその理由を語ったが、当然逮捕されることは織り込み済みだったはずである。それとも読み違えたのかと、勢古氏。
モスクワ到着後、そのまま連行。
逮捕2日後、チームは「プーチンの宮殿 世界最大の賄賂」の暴露映像を公開した。1週間で1億回再生された。
ロシア全土で抗議行動を巻き起こしたが、結局鎮圧された。
あのロシアで反政府運動をする人がいるというのは驚きであると、勢古氏。
一番有名なのは、2022年3月14日、国営テレビの第1チャンネルの夜の生放映中に、反戦メッセージを書いた紙を掲げてテレビに映りこんだマリーナ・オフシャンニコワ(当時43歳)。
日本でも姦しく放映されましたね。
釈放後、フランスのマクロン大統領が亡命受け入れの用意があると表明したが、彼女はロシアにとどまった。しかし4月11日、ドイツのメディアに記者として採用され、ドイツに渡った。
7月にロシアに帰国した。そこでまたクレムリンの近くで、たったひとりで「プーチンは殺人者だ」などと書いた紙を掲げ、逮捕された。
自宅軟禁下に置かれる決定がなされたが、その前に、11歳の娘を連れてロシアを脱出。ランスに亡命。
映画『ナワリヌイ』のロアー監督に、もし逮捕され投獄されるか殺されるとしたら、ロシアの人々にどんなメッセージを残すか、と訊かれたナワリヌイは、こう答えている。
「仮に僕が殺された場合のメッセージは“諦めるな”だ」「僕が命を狙われたのは、僕らが信じられないほど強いからだ。(略)僕らが持っている巨大な力は悪い連中に押しつぶされている。本当は強いのに僕らに自覚がないからだ。悪が勝つのはひとえに善人が何もしないから。行動をやめるな」
獄中から、3月の大統領選に向け、プーチン大統領以外の候補者への投票を呼びかけるキャンペーンを実施していたナワリヌイ氏。
散歩の後、意識を失って亡くなったとの発表。
ナワリヌイ氏自身の、僕が殺された場合のメッセージ「“諦めるな”」を、噛みしめてみました。
「悪が勝つのはひとえに善人が何もしないから。行動をやめるな」
# 冒頭の画像は、ナワリヌイ氏
この花の名前は、トキワイカリソウ
2月22日は、竹島の日
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