遊爺雑記帳

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なぜ慌ただしく火葬に?李克強の突然死に広がる疑念

2023-11-04 01:33:55 | 中国 全般
 上海で静養中、突然心臓発作によって急死した中国の前首相・李克強の遺体は2日、慌ただしく火葬された。
 一方、北京在住の独立派ジャーナリスト・高瑜ら反体制派は八宝山に近づけないよう監視下に置かれていた。
 党や国家としての葬儀委員会は組織されず、公開の追悼式も行われなかった。
 引退して16年以上たっている李鵬の死去と今年3月まで現役首相であった李克強の死去の扱いが同じ。
 李克強の死去について、多く人たちが疑念を持っている。あらためていくつかの謎について考えてみたいと、福島香織さん。
 
なぜ慌ただしく火葬に?李克強の突然死に広がる疑念、十分な調査や追悼なく くすぶる民衆の不満、上海のハロウィンでは習近平政権を挑発するコスプレも | JBpress (ジェイビープレス) 2023.11.3(金) 福島 香織:ジャーナリスト

・10月27日に突然死去した中国・李克強前首相が2日、火葬にされた。だが、その慌ただしさに疑念が広がっている。
・新華社の元ベテラン記者が書いたとされる、死因調査や公式の追悼セレモニーなどを求める陳述書がネットで拡散。著名中国ウォッチャーがそれを引用し話題となっている。
・習近平体制への不満を抱く民衆は少なくない。李克強の死は、中国混乱の時代の始まりかもしれない。


 
上海で静養中、突然心臓発作によって急死した中国の前首相・李克強の遺体は2日、慌ただしく火葬された。火葬前、八宝山の葬儀室で遺体告別が行われ、習近平を含む政治局常務委員たちが出席した。党と国家機関、省・自治区・直轄市政府機関、在外公館などは半旗をかかげ哀悼の意を示した。

 八宝山周辺や天安門広場周辺は地下鉄を含めた交通規制など厳しい厳戒態勢が敷かれていたが、少なからぬ人々が李克強の遺体を載せた車列を神妙に見送っていた。一方、
北京在住の独立派ジャーナリスト・高瑜ら反体制派は八宝山に近づけないよう監視下に置かれていた

 
党や国家としての葬儀委員会は組織されず、公開の追悼式も行われなかった。11月28日の訃告(公式の訃報)の扱いも異様に小さいような気がした。江沢民死去のときは人民日報の赤い題字が黒にされ、紙面全体が喪に服した。

 だが、
李克強の訃告があった日、メディアは相変わらず極彩色のままで、ネットメディアはトップからそそくさと李克強の訃告記事を外し、習近平が招集した政治局会議での新時代東北全面振興に関する政策意見についての記事をトップに報じていた

 こうした葬儀の規格は2019年に死去した李鵬元首相と同じということらしい。だが、
引退して16年以上たっている李鵬の死去と今年3月まで現役首相であった李克強の死去の扱いが同じなのか。

 
李克強の死去について、多く人たちが疑念を持っていることは、すでにこのコラム欄で解説したが、あらためていくつかの謎について考えてみたい

妻の程虹「李克強が死んだ気がしない」
 
11月28日、李克強の遺体は専用機で北京に運ばれた。

 
李克強宅に簡素な霊堂がつくられ、泣きはらし一気に老け込んだ様子の程虹夫人が喪主として、続々とやってくる弔問客に対応していた。その様子の写真などが31日にネットで流れた。

 弔問に訪れたある
全国政治協商委員が程虹から聞いた話として、語ったことを元学習時報(中央党校機関紙)副編集長の鄧聿文がSNSで紹介していた。

 それによると、
李克強は26日午前10時過ぎに水泳に行き、300メートルほど泳いだところで、様子がおかしくなった。李克強の異変に気付いた警衛らが急いでプールから引き揚げ、一番近い病院に搬送したが、すでに溺水状態だったという。

 程虹は「李克強が死んだ気がしない。彼はまだ生きている。だってまだ彼のことが鮮やかに記憶にあるから」と語ったという。そして彼女は「今、やらなければならないことが2つある」と語った。1つは、李克強が引退後、書いていた中国と西洋の文化比較の本の続きを書いて仕上げること。2つ目は寡婦として今後、どう生活していくかを考えねばならない。

 
李克強の娘は仕事がまだ見つかっていないのだという。「私たちはおそらく世界で最も貧しい首相一家よ。みんな想像もできないでしょうが。でも信じてほしいことは、私たちは自分で食べていけるだけの力があるのよ。私たちは農村でどんな苦労も経験してきたのだから」と彼女は語ったという。そして「彼が肝臓移植をしたとかいう噂を言う人もいるけど、全部うそよ。彼の健康状態は良かった。こんなことになるとどうして想像できたかしら」とも

 もしこの
程虹の言葉が本当ならば、李克強ファミリーは人が思うほど豊かではなく、今後の暮らしの維持も課題だということになる。首相経験者の家族が就職できなかったり、経済的に苦労したりするなど、中国では普通は考えられない。そうだとしたら、より大きな権力からの妨害や圧力があるということではないか

 ちなみに
国家主席や首相の公式の基本月給は日本円にして20万円あまりで、まったく汚職、利権に関わらなかったら大した蓄財はできない

 そうなると、党内外、国内外の人たちはなおさら不審に思うわけだ。
そもそも、なぜ李克強は上海で「静養」の必要があったのか。上海の今の書記は陳吉寧、その前の書記は李強で、つまり今の上海は習近平派に牛耳られている。静養するにしても上海は政敵ばかりで居心地が悪かろう。ひょっとして、李克強は習近平派から監視下を受けるために上海に逗留させられたのではないか、と見る向きもある

上海に入った翌日に死去した不可解さ
 
李克強と同郷の親戚で親友を名乗る人物がSNS上でこう語る。8月31日、李克強が敦煌莫高窟に観光に行った際の動画が拡散されて以降、李克強と突然連絡が取れなくなった。中秋節前に李克強の秘書が合肥にやってきて、李克強は合肥の親戚、親友らに会いたがっているが、引退後も自由に身動きできずにいる引退指導者の国内外移動は、党中央の認可がいる。習近平は李克強の帰郷を許していなかったらしい

 そういう状況で李克強は上海を訪れた。

 ここに、
新華社の元ベテラン記者の顧万明が書いたとされる陳情書がネットで拡散され話題になっている。本当に顧万明が書いたものかは確認が取れていないが、およそ著名なチャイナウォッチャー、たとえば元中央党校教授で米国に亡命した蔡霞なども本物としてSNSでリポストしている。顧万明の陳情書にはこうある。

李克強同志は25日に上海にはいり、26日、わずか一日目に死亡したのは不可解だ。多くの語られない事実、重大な問題がおそらく存在する

「李克強同志は党と国家のハイレベル指導者であり、その
突然死の原因をはっきり調べずに慌てて遺体を火葬することは、すべきではないし、国際的、国内的に悪い影響を与え、党と国家のイメージと名声に深刻な影響を与える

「(心臓病というだけで)
救命治療のプロセス、死因について何ら説明されていないその不可解さに、社会では議論が巻き起こり、世論に非常に大きな影響を与えている

李克強同志は国家の重要幹部で、かつて改革開放、富民強国のために非常に大きく貢献し、彼の葬儀は非常に重視されるべきで、慌てて行っていいものではない特に死因の真相を徹底的に調査し、広大な党員、人民群衆に知らせるべきだ」…

 そして
4点について陳情した。

1.火葬の予定をやめて、遺体を保留し、死因調査を行う

2.党中央、国務院で合同調査チームを設立し、李克強同志の警衛(護衛)、主治医、救護員、料理人、ホテルのトップと従業員、運転手、市の接待所幹部ら、全員から話を聞き、調査し、現場検証をし、李克強の活動スケジュールが外部に漏れていないか、救命活動のやり方が効果的であったか、使用した医療設備、医薬品が合理的であったか、故意に間違った医薬品や治療法を行っていないか、汚職などの行為がないかなどの疑問点を明らかにする

3.李克強同志の遺体を解剖し、国内の権威ある心臓病専門家、名医に頼んで、死亡原因を科学的に現実的に結論づけて、広大な党員、人民に説明する

4.もともと予定では李克強同志の追悼会は開かず、2日に全国で半旗にするだけだ。このような規格の追悼活動は、李克強同志の党と国家の指導者としての地位や、彼の貢献にふさわしくない。李克強同志の党と人民の崇高な威信に即して追悼大会を行う

ハロウィンで習近平を挑発するコスプレ

 
顧万明は、「国際国内情勢は非常に複雑だ。国外から邪悪な敵対勢力が潜入することもあるし、李克強殺害によってわが国の強国建設を妨害し、社会安定を破壊し、人心を乱そうとするかもしれな。国内の野心家、陰謀家、党内の腐敗分子にとっては、真面目でクリーンな李克強同志を攻撃したのなら、党内に潜伏する彼らを暴き、党規約と国家法に基づき懲罰を与えねばならない」と調査の必要性を訴えたのだった。

 この
陳情書は、党内外、そして中国内外の多くの人たちの疑念の気持ちを代表したものと言っていいだろう。程虹の「李克強は健康だった」という発言の言外ににじむ悲痛、混乱、憤りの表情をみれば、疑念、憶測がわくのは当然といえる。そしてこの疑念や悲痛、憤りを吐露するためにも、なにがしかの公式の追悼セレモニーを求める声が起きるのも当然だろう。結局、この陳情は聞き届けられず、2日午前に李克強は火葬されたのだが。

 
一方で、民間では様々な形で哀悼が行われていた。まず28日に正式に訃告が出て以降、安徽省定遠の李克強の生家や合肥市の旧宅、李克強が省長や書記として長らく働いた河南省鄭州市の中央公園などでは、あわせて百万人以上ともいわれる市民が深夜まで長蛇の列をなして献花に訪れ、李克強の生家や旧宅が花で埋まる様子の写真や動画がネット上で拡散していた。

 付近には私服警官が大勢配置され、献花のメッセージを検閲していたが、追悼に訪れた人たちは粛々と献花を続け、大きなトラブルはなかった。
その様子は、1976年の周恩来死去のときに起きた市民の自発的な追悼や1989年の胡耀邦死去の市民追悼の様子に似ている、と指摘する声もあった

 
驚いたのは10月31日の上海のハロウィンの夜だ。上海の巨鹿路あたりでは、ハロウィンの仮装をした若者や外国人観光客が大勢くりだしていた。そのコスプレの中で、李克強の死を連想させるものが散見された。葬儀の花輪を背負った人、「上海であなたの死を思う」という道路標識を掲げた人、「医療を学んでも中国人は救えない」という魯迅の言葉を掲げた魯迅コスプレ、黒い遺体袋風のごみ袋をかぶり「前任」という白い張り紙を張って横たわる人。日本人からみたら「悪ふざけ」で不謹慎と怒るかもしれないが、この強烈な政治的諷刺は命がけともいえる

 他にも
政治的に挑発的なコスプレが目立った。踊り狂う「熊のプーさん」(習近平の隠語が熊のプーさん)、「大白」コスプレ(白い防護服を着た役人、ゼロコロナ政策の恐怖の象徴)、A4白紙(昨年秋から暮れに広がった白紙革命を諷刺)を張り合わせたスカートをはく女子。ニラ(搾取される低層の人民の隠語が韮菜=ニラ)を手にもつ若者。程蝶衣(映画・覇王別姫の主人公で、文革で打倒される京劇俳優)、台湾総統蔡英文コスプレ…。

中国混乱の時代の始まり
 思い返せば
上海は昨年、ゼロコロナ政策のロックダウンに苦しめられ、11月末にはウルムチ大火災の犠牲者追悼から始まる白紙革命が爆発した中心地のひとつで、「習近平は下野せよ」のシュプレヒコールまで起きた。あの反体制的な声は、一年近くたっても失われていなかったのだ。

 
大勢の警官隊が対応に当たり、「大白」ら何人かのコスプレイヤーを連行する場面もあったが、外国人観光客も多い中、大きな衝突は起きなかった。だが監視カメラをもとに、後から水面下でコスプレイヤーたちの素顔が識別されて連行される可能性はあろう

 李克強が煙となった今、
習近平の恐怖政治とハイテク監視の下、こうした追悼行動が、第1次天安門事件(1976年)や第2次天安門事件(1989年)のように大きな反体制運動に発展することがあるのかは分からない。だが、その可能性が水面下でくすぶり続けることは間違いない。また、台湾の韜略策進会副秘書長の呉瑟のラジオフリーアジアへのコメントを参考にすれば、今後の注目の局面は2点ある、という。

 
一つは、党内の習近平派閥が大きくなる中で、中心人物をすでに失った共青団派や江沢民派の残党が吸収されれば、党内派閥に新たな変化が起きるのではないかという点。

 
もう一つは、改革開放路線の最後の重要推進者とされた李克強の不審な急逝によって、改革開放路線推進パワーは完全に失われ中国経済の方向性は大転換するのではないかという点だ。

 
李克強の死は、一人の政治家の死ではとどまらない影響力をもたらすということだ。それは中国混乱の時代の始まりの狼煙かもしれない

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福島香織 (ふくしま・かおり)
 上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。


 ある全国政治協商委員が程虹から聞いた話として、語ったことを、元学習時報(中央党校機関紙)副編集長の鄧聿文がSNSで紹介。
 それによると、李克強は26日午前10時過ぎに水泳に行き、300メートルほど泳いだところで、様子がおかしくなった。李克強の異変に気付いた警衛らが急いでプールから引き揚げ、一番近い病院に搬送したが、すでに溺水状態だったというと、福島さん。

 李克強の娘は仕事がまだ見つかっていないのだという。「私たちはおそらく世界で最も貧しい首相一家よ。みんな想像もできないでしょうが。でも信じてほしいことは、私たちは自分で食べていけるだけの力があるのよ。私たちは農村でどんな苦労も経験してきたのだから」と彼女は語ったという。そして「彼が肝臓移植をしたとかいう噂を言う人もいるけど、全部うそよ。彼の健康状態は良かった。こんなことになるとどうして想像できたかしら」と。

 首相経験者の家族が就職できなかったり、経済的に苦労したりするなど、中国では普通は考えられない。そうだとしたら、より大きな権力からの妨害や圧力があるということではないかと、福島さん。

 そもそも、なぜ李克強は上海で「静養」の必要があったのか。
 今の上海は習近平派に牛耳られている。静養するにしても上海は政敵ばかりで居心地が悪かろう。ひょっとして、李克強は習近平派から監視下を受けるために上海に逗留させられたのではないか、と見る向きもあるのだそうです。

 新華社の元ベテラン記者の顧万明が書いたとされる陳情書がネットで拡散され話題になっていると、福島さん。
 著名なチャイナウォッチャー、たとえば元中央党校教授で米国に亡命した蔡霞なども本物としてSNSでリポストしている。顧万明の陳情書にはこうある。
 
「李克強同志は25日に上海にはいり、26日、わずか一日目に死亡したのは不可解だ。多くの語られない事実、重大な問題がおそらく存在する」
「李克強同志は党と国家のハイレベル指導者であり、その突然死の原因をはっきり調べずに慌てて遺体を火葬することは、すべきではないし、国際的、国内的に悪い影響を与え、党と国家のイメージと名声に深刻な影響を与える」
「(心臓病というだけで)救命治療のプロセス、死因について何ら説明されていない。その不可解さに、社会では議論が巻き起こり、世論に非常に大きな影響を与えている」
「李克強同志は国家の重要幹部で、かつて改革開放、富民強国のために非常に大きく貢献し、彼の葬儀は非常に重視されるべきで、慌てて行っていいものではない。特に死因の真相を徹底的に調査し、広大な党員、人民群衆に知らせるべきだ」…

 4点について陳情した。
 1.火葬の予定をやめて、遺体を保留し、死因調査を行う
 2.党中央、国務院で合同調査チームを設立し、疑問点を明らかにする
 3.李克強同志の遺体を解剖し、国内の権威ある心臓病専門家、名医に頼んで、死亡原因を科学的に現実的に結論づけて、広大な党員、人民に説明する
 4.予定では李克強同志の追悼会は開かず、2日に全国で半旗にするだけだ。このような規格の追悼活動は、李克強同志の党と国家の指導者としての地位や、彼の貢献にふさわしくない。李克強同志の党と人民の崇高な威信に即して追悼大会を行う

 顧万明は、「国外から邪悪な敵対勢力が潜入することもあるし、李克強殺害によってわが国の強国建設を妨害し、社会安定を破壊し、人心を乱そうとするかもしれない。国内の野心家、陰謀家、党内の腐敗分子にとっては、真面目でクリーンな李克強同志を攻撃したのなら、党内に潜伏する彼らを暴き、党規約と国家法に基づき懲罰を与えねばならない」と調査の必要性を訴えたのだそうです。

 この陳情書は、党内外、そして中国内外の多くの人たちの疑念の気持ちを代表したものと言っていいだろう。程虹の「李克強は健康だった」という発言の言外ににじむ悲痛、混乱、憤りの表情をみれば、疑念、憶測がわくのは当然。
 この陳情は聞き届けられず、2日午前に李克強は火葬されたと、福島さん。

 一方で、民間では様々な形で哀悼が行われていたのだそうです。
 安徽省定遠の李克強の生家や合肥市の旧宅、李克強が省長や書記として長らく働いた河南省鄭州市の中央公園などでは、あわせて百万人以上ともいわれる市民が深夜まで長蛇の列をなして献花に訪れ、李克強の生家や旧宅が花で埋まる様子の写真や動画がネット上で拡散。
 その様子は、1976年の周恩来死去のときに起きた市民の自発的な追悼や1989年の胡耀邦死去の市民追悼の様子に似ている、と指摘する声もあったと、福島さん。
 驚いたのは10月31日の上海のハロウィンの夜。上海の巨鹿路あたりでは、ハロウィンの仮装をした若者や外国人観光客が大勢くりだしていた。そのコスプレの中で、李克強の死を連想させるものが散見されたのだと。
 命がけともいえる、強烈な政治的諷刺。
 上海は昨年、ゼロコロナ政策のロックダウンに苦しめられ、白紙革命が爆発した中心地のひとつで、「習近平は下野せよ」のシュプレヒコールまで起きた。あの反体制的な声は、一年近くたっても失われていなかったと、福島さん。

 李克強が煙となった今、習近平の恐怖政治とハイテク監視の下、こうした追悼行動が、第1次天安門事件(1976年)や第2次天安門事件(1989年)のように大きな反体制運動に発展することがあるのかは分からない。
 だが、その可能性が水面下でくすぶり続けることは間違いないとも。

 今後の注目の局面は2点ある。
 一つは、党内の習近平派閥が大きくなる中で、中心人物をすでに失った共青団派や江沢民派の残党が吸収されれば、党内派閥に新たな変化が起きるのではないかという点。
 もう一つは、改革開放路線の最後の重要推進者とされた李克強の不審な急逝によって、改革開放路線推進パワーは完全に失われ中国経済の方向性は大転換するのではないかという点だと。

 李克強の死は、中国混乱の時代の始まりの狼煙かもしれないと、福島さん。

 毛沢東の専制政治の改革を目指した鄧小平の、集団指導政治での改革開放経済導入。米国に次ぐ世界第二位の経済大国に成長しました。
 しかし今、習近平は毛沢東時代の専制政治へ戻る方向。
 鄧小平の改革開放経済の流れを継承してきた李克強の死。中国の経済成長の推進実績を持つ人材が亡くなった中国。
 周辺をイエスマンで固めた習近平政治の中国。行き詰まった先は、台湾侵攻で人民の眼を外に向ける道へ進むのでしょうか。



 # 冒頭の画像は、李克強前首相の死を悼み献花された多くの花



  この花の名前は、アキチョウジ


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