毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

人生という物語

2013年04月08日 14時24分57秒 | ふと思うこと
私たちは、生きることで 「自分の物語」を作っているとも言える。

ただ、言葉はその性質上 今ここにないものも言い表せるので、実在の自分に関係なく 頭の中だけで 空想の物語をいくらでも作れてしまうんですね。

空想もうまく使えば楽しいアイテムなんだけど、ネガティブな感情と結びついてしまうと困りもの。




きのうまで書かせてもらった 感覚と感情の話。

今になって、最初に思いついた 「幼いころの自分を癒すことで 負の感情をクリアにしよう」という試みが うまくいかなかったわけがわかります。

昔 ショックを受けるような出来事があったのは、鮮明に覚えているわけではないけれど おそらく事実。

そして、当時と同じような状況に置かれると、反射的に 当時と同じからだの違和感が上がってくるのも事実。

でも、そこから先は、その感覚に「怖い」「悲しい」などと感情のレッテルを貼るところから始まった、自作の物語。

私は、自分でふくらませた空想の物語をもとに、幼い自分を癒そうとしてたんだね。

からだの感覚に意識を集中するのは、「そもそもあるのは感覚だけ、そこから先のお話は幻だから 悩まされる必要はないんだよ」とはっきり認識すること。

こちらのほうが的確だったのは 当然ね(^^ゞ




氣をつけて見ていると、日常のあちこちに この空想物語が散りばめられているのに氣がつきます。

誰かを嫌ったり 腹を立てたりするのもそう。

出会った瞬間は、「ん?」とか「え!?」とかいう違和感をからだに感じるだけ。

でも、その感覚と、以前同じような感覚を感じた人の 好ましくない記憶が瞬時に結びついて、「この人もきっと同じようにイヤな人に違いない」と判断してしまうんですね。

初めてこれに氣づいたときの驚きを思い出します。

日ごろは仲良くしている職場仲間の ある種の言動に決まってひどくイラ立ってしまう自分の不自然さが氣になって、よくよく見てみたら、子どものころから苦手だった親の言動とそっくりなことに思い当たって。

私が腹を立ててたの、ほんとうはこの人じゃなかったんだ~ って。

確かに違和感はあるけれど、そこで留めておけば それほどカッカする必要はないし、さらりと聞き流して その人のいい面にだけ焦点を当てて、いくらでも氣持ちよくやっていけるんですよね。

自分で自分をコントロールして、毎日をいくらでも氣持ちのよいものにしていける。




年がら年中 ヒリつく傷口を抱えたままのざらざらした心から ひと足抜け出して、見える景色が変った氣がします。

変ったのは 目に映るものじゃなく、受け止める心のほうなのね。

晴れのち曇り、ときに大荒れ(笑)、まだまだ変りやすい心模様だけど、改良の余地ありだからこそ これからもっともっと人生が素晴らしくなっていくのを楽しみに、魂磨きに励んでいける♪

曇りが取れるごとに、初めっからそこにいた ほんとうの自分の姿がはっきり見えてくるんだもの♪




きょうから お隣小学校に 5人の新1年生さんが入学しました。

毎年のことながら、30分ほどの式の間 じっと座っているのが窮屈そう(笑)

周りの世界とまっすぐ向き合い、ためらいなく受け入れ、感じたままをストレートに表現する、エネルギーではちきれんばかりの 元氣ないのち。

私たち大人も、1年生と同じとはいわなくても、目の前の世界をそのままに味わって、空想の物語じゃなく 人生の物語を思い通りに創っていけたらいいね(^^)