毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

わからないからこそ♪

2013年04月16日 11時36分55秒 | ふと思うこと

今の自分の現実が納得いかないなら、目に見える形よりも まず自分のあり方から変えること。

自分の世界を創っているのは、自分の思いなのだから。

これを信じて、自分の観念や価値観を見つめ直し、不要となったものを手放し、内面の調和を最優先にして これまでずっとやってきました。



でも、五感を超えた世界に没頭するというのは、時にとても不安なことに思えます。

意識が五感寄りになっているとき、心が弱っているとき、ふと氣持ちが揺らぎます。

あるのかないのか定かでないものに ここまで打ち込んでいいものか。

そもそも 成長だ、魂磨きだと言ったところで、はっきりした達成基準があるわけでもない、自分が今どのあたりまで進んでいるのか、どういう状態にあるかさえわからないじゃないか。

いくらあり方から変えると言ったって、このまま努力を続けて 目に見える結果が好転する保証なんて、どこにもないじゃないか。



こういう心細い氣分になると、無性に先のことが知りたくなってくるんですね。

ほんのちょっとでいいから、そのうち事態が好転するという保証が得られれば、勇氣をもってこのまま進んでいけるのに。。。

内側の答えを引き出すきっかけ・手がかりという位置づけを超えて、やたら占いなどに頼りたくなるのは、こういうときです (^^ゞ



真の自分の素晴らしさを、ただ知るだけでなく 体験し 実感するために、あえてもとの姿を忘れたのだと聞いているし、信じてもいるけれど。

それにしても、この三次元世界で出くわす さまざまな出来事の なんて苦しいこと。

すっかり自信を失くしているときに、いくらほんとうの自分は全知全能なんて思ってみても、なんの力にもならない。

こんな大変な思いをするぐらいなら、本来の記憶の一部なりとも残しておければよかったのに。



今でもミジュクモノの私ですが、今以上にいろいろなものが見えていなかったころ、心が弱るたびに よくこんなふうに恨めしく思ったものです。



そんなあるとき、興味深い話に出会いました。



キャロライン・メイス著「第8のチャクラ」という本から。

キャロライン・メイス博士は 国際的な直感医療の第一人者。

クライアントのひとり、ポールをリーディング(相手の「氣の場」から 個人の深層心理や、過去の事象・体験等を読みとること)していて知ったのは、ポールがこの世に生まれ出る以前の記憶を持ち続けていることでした。

彼は、物質界の人生に“降りてくる”前に、二人の「光の存在」に手伝ってもらいながら、今生の人生の構成プランを練ったというのです。

覚えているのはごく一部ながら、今生のテーマを教えられ、出来事によっては複数の選択肢を提示され、果たす使命を決めるよう促されたそうです。

そして、本来なら「忘却の河」とおぼしき河の水を飲むことで、物質次元に降りる前に 生まれる前の記憶をすべて忘れることになっていたらしいのですが、彼はたったいまの出来事を忘れたくなくて、指示に反して 水を飲まないままこの世に生まれ出てしまったというのです。

ポールはうつ状態にあり メイス博士の診断を受けたのですが、そのうつの原因は、生まれる前の記憶を持ち続けているために、何をするにも 行動する前に それがうまくいかないことを 自分のどこかですでに知っているという怖れがついて回り、何を選ぶこともできなくなってしまったせいでした。



そっかぁ~

なるほど そうだよね。

わからないからこそ出来ることだってあるんだ。

それがどれほど苦しいか、大変か、前もってわかっていたら、選ぶ氣になれないような体験が この世にはたくさんあるんだもの。

実際私だって、これまでにしてきたしんどい体験を「ここでこんな痛い目に合いますよ~」「この辛さが○年続きますよ~」なんて前もって知らされてたら、とてもじゃないけど手が出なかったよ

結末も かかる時間も知らなかったからこそ、目の前の今・ここに集中して 必死になって、どうやらやってこられたんだもの。

いくらのちのち大いに役立つ体験だといっても、初めから挫折する、失敗に終わるとわかっていることに 長い時間をかけてわざわざ取り組むなんて、どうやってモチベーションを維持できる?




それに、苦しみを通り抜けた後の喜びだって、不意にやってくるから 躍り上がるほどうれしいんだよね。

全部わかっちゃってたら、お芝居の台本をなぞるようなもの。

そもそも、あえて本来の自分より不自由な身になって この世界に生まれてくるのは、喜怒哀楽、そのすべての体験を心ゆくまで味わいたいから。

なのに、“仕込み”の段階から明白に覚えていたら、人生に本氣で打ち込むなんてできるはずがない。

結末のわかっている推理小説を読むようなもの、なんの面白味もない。




選択肢について、結末について、なにもわからないからこそ 思い切りよく選ぶことができるんだ。

わかっていたら、どうしたって 手加減して選んじゃう。

自分の限界をぎりぎり超えるか超えないか、ありったけの力を振り絞ることで 器を広げて成長する喜びを味わう体験も、先が見えないからこそできることなんだね(^^)



ポールのエピソードが実話かフィクションかは どっちでもいいです

あえて目隠しされた状態で しゃにむに人生に取り組むことの素晴らしさを教えてもらったことに、変りはないから♪

苦しさの真っ只中で「うん、これでいいんだ」とにっこりできるほど強くはありませんが、先の見えない今に全力を尽くすこと自体が この世に生まれた喜びのひとつであり、見えないからこそ 何事にも希望を持って取り組めるんだと氣づかせてもらったことが 大きな支えになっているのは確かです



この世界に生を受けたことは、天からの大きな大きな贈り物。

プレゼントの中身は、知らないほうが 開ける楽しみがあるもんね (^_-)

山あり谷あり、何が起こるかわからないスリリングさを、これからも手に汗握って味わっていくとしましょうか♪