きょうも 澄み切った青空に強い日差し、そして断続的にすさまじい風。
一時は 干していた布団が飛ぶんじゃないかと心配になったほど (^_^;)
しかもこの風が冷たくて、日の当たるところではかなり暖かいのに、日陰に入ったとたん「寒っ」ということに。
寒暖の差が半端ないです。
昼間 外では厚手のTシャツで大丈夫なのに、夜はこたつや半纏のお世話になる毎日。
着るものでこまめに調節して、体調崩さないようにしないとね☆
そして きょうもまた 山の上のほうまで歩いてきました。
せっかくのこの季節だもの、思いっきりからだ動かすのが氣持ちいいんだよね♪
山といっても いちおう車道を歩いていますが、集落と集落の間は ほとんど人も車も通らず、風を感じ、木の香りに包まれ、鳥の声や川の水音に浸って、何ともいえずいい氣持ち♪
ほんと 自然の氣は静かです。
何も仕掛けてこない、意図して注意を向けさせるようなこともない、ただあるがまま。
こちらもなにひとつ身構えることなく、安心し切ってゆだねていられます。
ただ、立ち止まって 向かいの山を眺めているときに ふと思ったんだよね。
たしかに、自然の中では、レッテルを貼られるうっとおしさも、相手の出方に対応を迫られるややこしさもない。
ありのままの自分でいることに なんの苦労もない。
でも、そればっかりだと わざわざこの世界に生まれてきた意味がなくなっちゃうんだよね。
もともと、ありのままの自分だったんだから。
それしかなかったんだから。
他に何もない世界で、すべてである完全無欠な自分を知ることはできても、体験することはできない。
自分でないものがあって、初めて自分を実感できるのだから。
それを体験したいばかりに、わざわざ不完全な人間として この世に生まれてくることを望んだんだよね。
だから、いくらうっとおしくても氣が重くても、やっぱり人と関るややこしさや煩わしさが必要なんだ。
そういうものをたっぷり味わうからこそ、人とつながる素晴らしさも楽しめるんだものね♪
ひところは、人の住まなくなった集落にひとりこもって、機織りでもして暮らしたいと思うほど人嫌いだった私ですが、それも今はなつかしい思い出。
ひとり暮らしの氣ままさ、氣楽さを堪能して、充電完了、人の世のややこしさと取り組む意欲が戻ってきたのかもしれません(^^)