毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

身を持って知る 「三つ子の魂百まで」

2013年10月13日 18時53分44秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


人って、生まれたての頃が一番 “大いなるひとつ” であった頃のありように近くて パワフルなんじゃないかなぁって思います。

赤ちゃんは、あんなに無力で無防備なのに、自分自身にも 周囲の世界にも なんの不安も疑いも持ってなさそう。

ただ心を開いて 澄んだ瞳で 無邪氣ににこにこ笑っているだけで、誰もが心を溶かされ、その子を大切に世話し 守ってあげたくなる。

赤ちゃんを見ていると、無垢な愛情と信頼こそが この世でもっとも強い力だと 苦もなく信じられる氣がします (*^ー^*)



でも 残念ながら、いつまでもそのままでいられるわけではなくて。。。

大半の赤ちゃんたちは、まわりの大人を通じて、いつも自分の意図がまっすぐ受け止めてもらえるわけではないと思い知らされることになるのですね。

そうやって、だんだんと生まれ持った力や純粋さを失い、本来とはかけ離れた歪んだ世界観を刷り込まれていく。



三次元視点で見ると「うわ、大変」って感じだけれど、魂の見方からすれば これも生まれる前からの計画通り、「行って かえる」の行きの道のりを構築するための いわば“仕込み”なんですね。





まだ自分のことをまるでわかっておらず、一人前だ、出来る奴だ、なんて思い上がっていた頃でさえ、やたら荒れ狂う怒りや 常に立ちこめる不安、重苦しく胸をふさぐ不平不満などの感情には 手を焼いていました。

その後、環境を変えたのをきっかけに、自分の負をいやおうなしに目の前に突きつけられる機会が増え、どうにかせねばと苦闘する中、これはと思う数多くの本を読み、サイトを渡り歩いて、おおぜいの先達から たくさんのありがたい智恵をもらいました。

が。
ほぼすべてに共通する智恵として、感情のコントロールの大切さについて書かれているのですが、じゃあ その感情をうまくコントロールするにはどうしたらいいの?というところは 多少のヒントだけで ほとんど記述がない。


あの頃は、意地悪でもされているような氣がしたけれど、今にして思えば、「そこを自力で体験するのが肝じゃない。手取り足取り教えちゃったら意味ないでしょ?」ということだったんですね(^^ゞ

今ならわかるなぁ、その配慮。。。それはまあ たいへんだったけどね(笑)





自分の心の動きに目を凝らし 本やサイトのご著者の助言をお借りしながら ああだこうだとやっていくうちに、少しずつわかってきたのは、こうすればいいと頭ではわかっていても、がんとして首を縦に振らないなにかが 自分の中に場を占めていること。

で、これいったいなに?と ひたすらたどっていくと、おおもとにいたのは決まって 幼い頃の私でした・・・・と、これはもう 繰り返し何度も書かせてもらったお話。

わけもわからずきつく叱られたり、思いのままに振舞うことを禁じられたり、まるで氣持ちに馴染まないことを強要されたり、とさまざまな縛りをかけられて、万能で自由な自分を忘れ、この世は怖ろしいところだ、自分は抵抗する術のない被害者だ、などと 本来の自分とはかけ離れた世界観を身につけ、それに沿った世界を構築して、ますます思い込みを強化してしまったんですね。

でも、その世界観は、幼い子どものおぼつかない思考を基準に生まれたもので 大人の自分にはそぐわないものだということぐらい、成人した今なら氣がついてもよさそうなもの。

幼く無力な日々には ひたすらがまんして従うしかなかったことでも、成長して力がついた今なら、もっと意に沿った選択や行動ができるはず。

・・・と理屈ではわかっているのに、心がどうしても言うことを聞かない。

なぜなんだろう?

それは、まだ脳の配線が未完成な 三歳頃までの子どもは、与えられた情報を 取捨選択することなく 無条件に受け入れ 取り込んでしまうから、なのだそうです。

「三つ子の魂百まで」の例えどおり、幼い頃に身近な大人から受けた影響は、それだけ深く刻み付けられてしまうってことなのね。





なぜこんなに感情が暴れるのかわからないまま、引きずり回されているしかない。

理性が冷静に進むべき方向を示しても、従おうとすると すさまじく抵抗するものがある。

前回の話に戻って、私たちが「そんなの理想論だよ。そうできればいいのはわかっているけど、そうそううまくいきっこないよ」などと言いたくなるときも、この幼い頃の強力な刷り込みが 主導権を握って、現在の自分の自由な選択をさえぎってしまっているんですね。

これ、ほんとうに辛いです(T_T)

葛藤の中ですごく消耗するし、自分にとって最善の選択が出来ず 本意でない結果ばかり引き寄せるから、人生がうまく運ばず 自信を失ってしまう。

と ここまで見えてくれば、この「洗脳」を解こうとせずにはいられません。

いかに根深くとも、後付けである以上 きっとなにか手立てがあるはず。

そして、これほど苦しいものだからこそ、なんとかせねば、してやろう、という思いをかき立てて、「行って」から「かえる」への方向転換を促す原動力になってくれるんだよね。。。そう思うと、なんてまあ うまく仕組まれているんでしょうね