毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

解放。。。の途上 (^^)

2013年10月15日 20時20分17秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


優しくありたいのに、なぜか人に冷たく接してしまう。

幸せになりたいのに、なぜか幸せに結びつかない選択をしてしまう。

「なぜか」がつく間は ブラックボックスの中だけど、そのからくりがわかれば きっと出られるはず。

そのためには、「幸せになれない思考回路の正体」と「なぜその思考回路が生まれたのか」がわかれば 解放される、と思っていたんです、当初は。

そして、ほとんどすべてといっていい引っかかりやもつれの根っこに 親子関係の問題が横たわっているとはっきり確認できたのは、大きな収穫でした。

が、たしかに そのからくりが見えると、ほっとして涙が出て楽になって。。。と、光さす心地を味わえるんですが、感動も束の間、しばらく経つと、せっかく手放したはずの回路を また拾っちゃうんですね。

数十年がかりで強化してきたクセなのだから、手放すにもそれなりの時間がかかるよね、と納得しつつも、行きつ戻りつがあまりにも執拗に繰り返されると、からくりを解き明かした頃の「やった!」感もだんだん薄れ、これってほんとうに解放されてるんだろうか?実は以前となにも変っていないんじゃないのか?という疑いが忍び寄ってくる。

そんな葛藤に悩まされていたときに出会ったのが、“作られた物語”ではなく からだの感覚を無心に観察したらいいよ、という情報。

詳しくは、ここここに書かせてもらっています。




一番根源的な記憶は、からだの感覚として刻まれている。

それに付随して起こる怒りや悲しみなどの感情は、すでにもう“作られた物語”なのだ、と。

そして、「辛かったねぇ、自分」 → 「そういえば、あのときの親とそっくりな人がいて、好きになれないんだよね」 → 「あの人ムカつくなぁ、この間もこんなこと言われて・・・」などと、記憶が現在につながり 連鎖的に発展していくと、新たな物語がどんどん紡がれて、肝心の原点からみるみる離れていってしまう。

離れれば離れるほど 原点に戻りにくくなり、解放から遠ざかってしまう。

だから、思考回路の生まれた過程や理由をいくら追いかけても、芳しい効果が得られなかったんだなぁ。

しかも、この発展のプロセスって、自分では意識せぬまま いつの間にかど~んと進んでるんですね。

だから、肝心の道筋はブラックボックスに隠れてしまい、「なぜか」この人嫌い、「なぜか」この場面腹立つ、と 自動的な反応だけが残って、繰り返し悩まされることになる。




では、この仮説に従い、物語はきれいさっぱり脇に押しやって、からだの感覚に集中し続けた結果 どうなったかっていうと。

この検証、まだまだ続行中なので 中間報告といったところなんですが(^^ゞ



しばらくは、これも行きつ戻りつの繰り返しでした。

現象だけ静かに観察していれば、やがてはすぅっと消えていく、のだけれど、しばらくすると、また同じ感覚が戻ってきて、感情が波だって。



これを何ヶ月ぐらい続けてたんだろう。。。あるときふと氣がついたんです。

悩んだり翻弄されたり ジタバタやってる自分を、少し離れた外側から見つめる 淡いけれどくっきりした視点が、いつの間にか現れて しんと居座っていることに。

不本意ながら 自分のすべてであるように感じざるを得なかった 三次元世界の外に、もっと広い世界が 確かに存在していたんだ、と。

それまでも概念として捉えてはいたし、ときたまかすかに感じることもあったんだけど、そういう夢か現か定かでないような 儚い感じじゃなくて、もうちょっと生々しい実感として。


地球視点と宇宙視点みたいなものかな。



私たちは、地球に生まれ育って、ほとんどの人は地球の外に出たことがなくって、地球がすべてっていう感覚を 意識するともなしに身につけている。

その外に宇宙があることは 知識として知っているし、写真もたくさん見てるから 疑いはしないんだけど、それはどこかおとぎ話にも似て 実感を伴わない。

それがある日、宇宙飛行士のように 少し離れた宇宙空間から、青い球体である地球を眺めている自分がいることに氣づく。

そんな感じ。




からだの感覚に集中するとは 同時に“作られた物語”の補給を断つこと、これをえんえん繰り返すうちに、物語が薄くなった分 外側の視点がじわじわと厚みを増し、存在を実感できるまでになったらしい。

これ、きっともとからあったんだね。。。「行き」の道のりで忘れていただけで。





この視点を獲得し(取り戻し)て以来、私の中でネガ世界の占める割合が けっこう減り、遠のいた感があります。

まだいささかウェイトは大きくとも、所詮はもっと大きな世界の一部分でしかなく、そこにい続けなければならない理由はないのだと。

そして、これからもっともっと割合を小さくしていき、やがてはすっかり解放されるに違いないと。

今はまだ、そんなに自在に抜け出せるわけではないのですけどね。

それでも、どこかに「もう大丈夫」っていう安心感が芽生えたのは 確かみたい♪



その安心感が、意識をじわじわと変え始めたようです(^^)