蒸し暑ぅ~
きのうまでの雨がたっぷり染み込んだ地面に 昼ぐらいから徐々に日が照りつけて、この時間になっても かなりの高温多湿状態です (^_^;)
まあ、天然無料サウナだと思えば。。。。と強がっておこう(笑)
いよいよ本格的な夏到来かな?
夏生まれのくせに 暑さにはてんで弱い私だけど、なぜか毎年この季節には ときめきを感じてしまいます♪
根拠もなく 「なんかいいことありそう」 って ワクワクしちゃって
梅雨明けまでに もうひと雨ぐらいありそうだけど、それもまたよし♪
外がだろうとだろうとだろうと、私は私の中の調和をはかることに専念していましょう♪
最近のように 異常氣象が続くと、からだのほうもついていくのが大変で、感覚を通して いろいろと注意信号を送ってくるから、もちろんそれには素直に従うのがいいでしょう。
日陰に入る、水を飲む、横になる、などなど、早目の手立てが大事☆
ただ、それとはまた別の感覚もある氣がするんだよね。
たとえば、暑いものを率直に暑いと感じる以上に、暑さに腹が立ったりイラついたり イジワルされているような氣がしたり、と 妙に感情的に反応していることに氣がついたら、はい、そこですかさず からだの感覚に注目~!
そう、まだやってるんです、これ。
っていうか、習い性として ますます磨きがかかってます♪
内側をたどると、必ずといっていいほど、その感情を生み出す元になっている感覚に行き当たります。
で、よけいな解釈など抜きで ひたすら観察を続けていると、時間の長短はあれど やがては消えていきます。
たいていの場合、感覚と共に感情も消えるなり薄らぐなりするようですが、残っていても すかさず意識の焦点を他に移すと、それ以上つきまとうことはまずありません。
以前ここにも書いたかどうか、消えても消えてもまた執拗に上がってくる感情があって、やり方がマズくてうまくいってないのか、それとも このやり方ですべての感情が消えるとは限らないのか、と悩んだことがありました。
それでもなお めげずに続けていたら、だんだんわかってきました。
どんな感情も、そもそも湧いた時点できちんと受け止め 味わっていれば、それで消えるものらしい。
でも、払いのけたりスルーされたりしたものは、そのまま心の奥に留まって、何年でも注目されるときを待ち続ける。
役目を果たすまでは、自然消滅したりはしないようですね。
で、長年の繰り返しで 同じ感情を溜め込めば溜め込むほど、消えるにも時間がかかるらしい。
宿題だって、三日分溜めるのと 三か月分溜めるのとじゃ あとの大変さが違うでしょ? って どんなたとえだ (^◇^;)
とにかく、そうやって長い間無視してしまって どっさり溜まった感情は、そのすべてを感じ尽くすまでは 何度でも繰り返し現れるようなのです。
たゆみなく対応していれば、やがては感情自体が和らいで、上がってきても さほどの苦痛を感じなくなったり、ちょっと注目すれば たちどころにすぅっと消えたり、と変化するようです。
何事も 続けてみるものですね♪
感情と向き合い なだめるのは さんざんやったし、それも続けていれば いずれはすっかり解放できるのかもしれません。
でも、両方やってみての手応えとして、感覚に注目するより はるかに時間がかかって効率が悪いのはたしかだと思います。
そもそも感情っていうのは、うれしいとか悲しいとか すでに自分の中に取り込まれて ストーリー化しかかった状態で 認識されるのですね。
だから、客観視しようにも まず切り離しがしにくいし、自分自身を見つめるよりも 作られた物語のほうに氣がいきがちだし、ヘタをすれば そこからさらに お話を発展させてしまいかねません。
でも、からだの感覚は、物語ではなく 単なる現象です。
だから、言葉化することなく 自己と切り離して 客観的に見つめやすいのです。
わざわざ感覚の中に入り込んで同化するようなことをしない限り、それ以上大きくしてしまうことはまずないし、消えるまでの時間も 感情を見つめるより ずっと短いようです。
そしてうれしいことに、否定的感情の総量が減ってくると、それに代わって 明るく前向きな氣持ちが 自然と前面に出てくるんですね。
分厚くさえぎっていた雲が薄くなったことで、切れ間から日の光がさし込んでくるようなものかな♪
そう、最初からずっとそこにあったんだものね♪
喜びや豊かさこそ 私たちの本質、本来のありようだものね♪
負の感情がデフォルトという思い込みが 勘違いだったとわかって、大きく自信を取り戻しつつある貴秋なのです \(^o^)/
念のために申し添えると、これはあくまでも、私個人の体験から導き出した 私仕様の答えです。
誰にでも当てはまるかどうかはわかりません。
私自身、あまりにも強く訴えかける圧迫感や息苦しさなど、これ以上感じ続けていられないと判断して振り払い(甘いものを食べる、DVDを見るなどの癒しによって 氣をそらし)、中断したことが何度かあります。
心の痛みがからだの症状としてはっきり現れている方などには、かえって危ない場合もあるかもしれません。
どなたでも、試される場合は、ご自身の判断で 様子をよく見ながらなさるようお願いしたいと思います。
ただ、負の感情というのは とても深く入り込んでいて とてもじゃないけどコントロール不可能なように思えたこともありましたが、解放できないものでは決してないと 身をもってわかったのは確かです。
時間もエネルギーも忍耐も必要だけれど、薄紙を剥ぐような変化でも 焦らず重ねてゆけば、想像をはるかに超えた 満ち足りた境地にたどりつけるものだと 今なら心から言える氣がします。
この観察、心に引っかかるものがある限り、この先もずっと続けていくつもりです。
また新たな発見などありましたら、随時ご報告させていただきますね。