毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

名づける ・ その1

2014年07月21日 17時31分43秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


ミヒャエル・エンデ作 「はてしない物語」 の主人公・バスチアンは、以前も書いたように 太っていて チーズのような青白い顔にエックス脚、勉強も運動も苦手ないじめられっこ、という恵まれないありさまなのですが、そんな彼にも 特技がひとつありました。

それは、物語を作ったり、ものや人に名前をつけたりすること。

この名づけの才能によって、彼は 物語の国・ファンタージェンの危機を救うことになります。

ファンタージェンが滅びに瀕しているのは、この国のあらゆる命の中心である 女王・幼ごころの君が病に臥しているからであり、女王さまを救うには、外国(とつくに)から人の子がやってきて、女王さまに新しい名前をさしあげる必要があるからです。

一読者として このお話を読んでいる段階で、バスチアンには 瞬時に 幼ごころの君の新しい名前が浮かんでおり、その名を声に出して呼ぶことで、彼はお話の世界に入り込み、ファンタージェンの救い主となります。

その後、ファンタージェンでの冒険のさなかにも、彼はたびたび この名づけの才を発揮します。

この 「名づける」 という行為について、幼ごころの君が アトレーユにこのようなことを言う場面があります。



   「正しい名だけが、すべての生きものや事がらをほんとうのものにすることができるのです。

    誤った名は、すべてをほんとうでないものにしてしまいます」



この言葉が 長いこと氣になっていました。

「正しい名前が大事」 っていう話、どうしても思い出せないんだけれど、この本を読む以前にもどこかで聞いた覚えがあったので、よけいに。

「名前をつける」 という行為に、いったいどんな意味があるのでしょう?





子どもの頃から大好きな、トーベ・ヤンソンさんの 「ムーミン」 シリーズの一冊、短編集「ムーミン谷の仲間たち」 の第一話 「春のしらべ」に、この 「名づけ」 に関する話が出てきます。

孤独を愛するスナフキンが、旅の途中で一匹のはい虫に出会うのですが、このはい虫くん、あまりにも小さかったため、名前をつけてもらえずじまいで、スナフキンに 自分だけの名前をつけてほしいと頼みます。

彼は スナフキンをひどく崇拝して、やたら話しかけては せっかくのひとりきりの時間をジャマしてしまい、いささか疎まれるのですが、結局 「ティーティ=ウー」 という名前をもらいます。

翌日、前夜のそっけないあしらいに氣がとがめたスナフキンが、彼を探しに戻ると、ティーティ=ウーは 新居にかける札作りの真っ最中。

いっしょに住んでいた母親の家を出て、新しく建てる家に 自分の名を書いた札をつけるのだと 夢中になっているティーティ=ウーに安心したスナフキンが、再び旅に戻るところで終わりです。

この二度目の出会いで、ティーティ=ウーが言うんですね。


   「ぼくはこれまで、そこらをとびまわるときによばれる名まえをもっていただけなんです。

    そりゃ、あれやこれやのことを、あれこれと感じたけれど、すべては、ぼくのまわりでただおこっているだけで、

    そんなものは、みんなくだらないことだったんです。

       (中略) 

    ところがいまは、ぼく、一個の人格なんです。

    だから、できごとはすべて、なにかの意味をもつんです。

    だって、それはただおこるんじゃなくて、ぼく、ティーティ=ウーにおこるんですからね。

    そして、ティーティ=ウーであるぼくが、それについてあれこれと考えるわけですからね」


初めてこのセリフを読んだとき、なにか大きな意味があるんだけれど、それがなんなのかわからない、という もどかしい氣持ちになったものでした。

その氣持ちを持ったまま、その後も繰り返し読み続けていたのですが。





名前をつけるっていうのは、他と明確に区別して 分け出すことなんですね。

区別されることで、それは その名を呼ぶものにとって 固有の意味を持つ。

名づけるという行為が、その人やものに 特別な意識を向けさせ、エネルギーを与えることになる。

ティーティ=ウーにとって、自分を 他の誰とも違う 「ティーティ=ウー」 として意識することは、大きな力が湧くもとになったんですね。

最初にスナフキンに出会ったときは、おずおずと おびえたような目つきで、スナフキンに認められようとけんめいになって、「あんまりおまえさんがだれかを崇拝したら、ほんとの自由はえられないんだぜ」と言われるほどだったのに、名づけてもらった後の彼は、また会えてうれしいと言いつつも、自分のことに夢中で スナフキンなどほとんど眼中になしといった様子に変わっています。





「はてしない物語」 でも、バスチアンは ファンタージェンの生き物たちから 魔法の砂粒(種)や剣や帯をもらうのですが、その都度 それに自ら名前をつけるよう促されます。

名づけることで それらは初めて力を持ち、所有者のために働くようになるのだからというのです。





名前がある・名前を持つ というのは、これまであまりにも当たり前に思えて、取り立てて考えたこともなかったのですが、今回、名づけるという行為に 思った以上の意味があるらしいとわかってきました。




またしても長い話になりそうなので、何回かに分けてアップさせていただきますね。